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ナスカの地上絵は見に行く価値がありました。 – Nazca, Peru

今日は、セスナでナスカの地上絵を見に行く。このナスカの地上絵、見えづらくてがっかりするだけだ、セスナが揺れて絵を見ているどころではない、という話を聞いてきた。でも、巨大な絵がいくつも平原に書かれている、なんて不思議に過ぎる。

朝の9時にバンが宿へ迎えに来るころ、町は日曜市がたち始め、それによってもたらされた交通渋滞でクラクションがぶーぶーびーびーと鳴り響いている。

ナスカ空港まで約10分、ちょうど卒業旅行でペルーに昨日到着した東京からの男の子3人がバンに乗っていた。10日ほどペルーを回るのだという。今までほとんど見なかった日本人がナスカ空港にはいた。この時期のペルーの日本人宿は卒業旅行によるハイシーズンだとも聞く。

空港にはいくつかの航空会社のカウンターが並んでいるが、Nazca Travel Air社でチェックインをする。静かなカウンターもある一方、多くの旅行客がこのカウンターに集まっている。

氏名、パスポート番号、国籍、年齢、体重を改めて記入し、パスポートを提示し、鞄を置く。わきには体重計も置かれている。

1時間ほどしたところで名が呼ばれ、改めてパスポートを提示し、セキュリティチェックを受けて搭乗口へと向かう。エプロンには10機ほどのセスナが並んでいる。

機長から、フライトする地上絵の順番などに関する簡単な説明を受けてから乗り込む。操縦士2名、乗客4名である。

ヘッドフォンをつけてエンジンがかかると、すぐに離陸となり、ぐんぐんと150mほどまでその高度をあげていく。

乾いた大平原パンパ・インヘニオには、思いのほか、地上絵の地図として手渡されていた絵柄以外の数多くの直線やゆるやかな曲線が描かれていた。ところどころに茶けた丘が盛り上がり、はるかかなたに山々が連なっている。

1939年、ポール・コソック氏によりはっきりと地上絵の存在が確認される前に建設が進んでしまっていたパンアメリカン・ハイウェイが、大平原の真ん中にコンクリートの道をまっすぐに引いている。

ヘッドフォンを通して一つ一つ説明をされながら進んでいく。なかなかに聞き取りづらいが、それでも手元にある地図をみて確かめながら、進んでいく。

くじら、不等四辺形、宇宙飛行士、さる、犬、ハチドリ、コンドル、蜘蛛、フラミンゴ、オウム、木、手、小さなコンドル。

聞いていたよりも、ずっとその線ははっきりとしており、セスナも想像と比べて揺れは少ない。宇宙飛行士は茶色の丘に大きく描かれ、ハチドリも蜘蛛もは黒い砂の上に白く浮かび上がる。パンアメリカン・ハイウェイの脇にたてられたミラドールのそばに木と手が描かれている。

約30分のフライトはあまりにもあっという間だったが、忘れがたいフライトになった。

フライトが終わると、再びバンに乗ってナスカの町に送ってもらう。町のレストラン、La Kanadaで、紫とうもろこしをシナモンとグローブで煮て濾し、レモンを加えたチチャ・モラダを飲む。

Soyuz社のイカ行きのバスに乗り、40分ほどいったところにあるミラドールへと向かう。地上絵の解明と保存に貢献した故マリア・ライヘ女史の観察やぐらで、セスナからも見えたものだ。

やぐらに上がる前はただ荒涼とした平地であったものが、やぐらを一段一段と上がるごとに、地上絵が姿を現す。

その線を目で見てみると、ごしごしと力いっぱいに描かれているのが感じ取れる。時折セスナが頭上を通り過ぎていく。

ところどころで砂埃が舞い、そしてそのうちに小雨がぱらりと降ってくる。そんな場所に、深さが10cmほど幅は20cmほどしかない線による大きな絵が、存在している。

そこから、通り過ぎるバスを再びつかまえて、先を行ったところにあるマリア・ライヘ博物館に向かう。

マリア・ライヘ女史が地上図の横でほうきを持っている写真や各絵柄を入念に計測していた様子、細かく数字の書かれた計測図、三角定規やメジャーなどが展示されている。

庭には、マリア・ライヘ女史と夫レナーテ氏の墓が花に囲まれ、その横で、子どもが自転車に乗って遊んでいる。

研究室を再現した部屋には質素なシングルベッドやテーブルなどが置かれるのみで、壁には計測図がずらりと並んでいる。

いよいよ雨が激しくなるころ、CUEVA社のバスをつかまえてナスカの町へと戻る。宿のある、舗装されていないマリア・ライヘ通りはぬかるんでいる。日曜市はそろそろ終わりを迎えようとしていた。

リマ行きバスの出る22時半前、Flores社の窓口へ行く。指紋をとり、一人一人の顔をビデオカメラで撮っていく。

チケットに書かれていた41番と42番の指紋の欄には既に別の人の指紋が押されていたが、窓口の男性はさして気にしない様子で、その隣に押しなさい、と言う。

言われるままに指紋を押し、バスに乗り込むと、その座席には既に親子が座っていた。よくチケットを見返してみたら、わたしたちのチケットの日付が昨日の日付になっていたのであった。

満席のそのバスから降り、カウンターに交渉に行くとアレキパ発ナスカ経由リマ行きの最終バスが23時半に出るという。

その最終バスに空席がないかを調べてもらっている間も、既に扉の閉められた柵越しに幾人もの人がリマ行きのチケットはないかと尋ねてくる。その度に、バス会社の男性は首を横に振る。

アレキパ発のバスにちょうど二席分の空席があるというので、それに乗ることにする。そのバスは、今まで乗ってきたペルーの豪華バスとは異なり、シンプルなつくりのバスだった。

バスに乗車したとたんに、人々の匂いがむっとしてくる。多くの乗客がとうに深い眠りについていた。