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拷問と煙と結婚式と先生 – Lima, Peru

朝食は、全粒粉パンにマルメロのジャムをつけ、ペピーノメロンを切ったものとカモミールティー、温かなミルクといただく。

今日も宿からほど近いブラジル通りからバスに乗り、旧市街へ行くことにする。リマのバスの車体には、行き先の通り名が書かれているので、旧市街を通る”Abancay”という文字を、過ぎ行くバスの車体の上に探すことになる。

旧市街は変わらずに賑やかで、巨大アボガドを売る男性や、子犬を売る男性たちが町に立っている。

昼食は、中央市場の食堂で、Aji de Gallinaをいただくことにする。玉ねぎを炒めてスパイスを入れたものに、やわらかくほぐした鶏肉やユカ芋を入れて、最後にゆで卵をのせてパセリを散らしてある。それに、牛肉の入ったスープとレモネードがセットになっている。

入った食堂は、既に開業8年目だといい、そのカウンターは混み合っている。わたしたちが席についた15時ころには既に店じまいへと徐々に進んでいるところで、最後にはカウンターで店の女性たちと共に食事をする、ということになる。

そこから歩いてすぐの宗教裁判所博物館を訪ねる。中南米のキリスト教の浸透ぶりは確かなものだ。この博物館は1820年まで異端者への追求が続いた場所でもある。スペイン植民地下で異教徒と疑われた者は、拷問を受け、キリスト教への改宗を迫られるか殺されたのである。

手足を縛られ、黒い覆面をした男性に四方向に引っ張られている様子や手を縛られぶら下げられる様子、身体を固定されて水を飲まされる様子、首を木枠にはめている様子が人形を使って再現され、拷問に使われた錆びれた道具も展示されている。地下通路もあり、掘られた穴の奥底に人が閉じ込められている。

博物館を出ると、その隣にある消防署から赤くて大きな消防車がうーうーとサイレンをならしながら、出ていった。

アルマス広場を通り、ラ・ウニオン通りのsaga falabellaでSDカードを買い、木材で作られたバルコニーがせり出しているセビリア風のトーレ・タグレ宮殿を通り、サン・ペドロ教会へ行く間も、空の向こうにもくもくと黒い煙があがり、多くの人がそちらの方を見ている。

数台の消防車がサイレンをならしながら駆け抜けていき、ヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてくる。町全体が落ち着かない。

サン・ペドロ教会は、イエズス会派によって、1625年から1638年にかけて建てられた教会である。人々が祭壇を前に、あるいは告解室で膝まづいている。

アルマス広場へ戻ると、カテドラルの中の小さな部屋の教会では、結婚式が行われていた。ブルーのネクタイをした花婿と白く長いウェディング姿の花嫁が教会から出てきて、友人たちと写真撮影をする。そのころには先ほど広場を覆っていた黒い煙も薄らいでいた。

そこからピロリ菌検査の結果を聞きに、バスに乗り、フアン先生を再び訪ねる。

「陰性でしたよ。」

変わらずに流暢な日本語でそう言う。薬を飲んで、食事に気をつけていれば2、3日で良くなると思います。

生魚、生野菜のほかに、たとえば町で売られているアイスクリームやかき氷も注意が必要です。アイスクリームは、夜に冷凍庫の電源を切り、朝にまた電源を入れ直していることもありますし、かき氷には水道水が使われていることもあるからです。それから、作り置きのものをレストランで出されてそれを食べたときには今回のようになる場合もあります。

先生も生野菜は自分で買ったものしか食べないし、かき氷も我慢をするという。

でもね、口から採れる栄養は口から採ったほうが良いんです。それができないときは、仕方なく点滴で栄養をとるわけです。

わたしたちが礼を言うと、先生は言う。

とんでもありません。

近くの商店でオレンジ、マンダリンに林檎と梨を買って帰ることにする。夜は林檎を切ったものに、マンダリン、そしてカモミールティーをいただいておしまいにする。