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亡くなった子どもと産まれてくる子ども – Kigali / Nyamata, Rwanda

朝は、みこうちゃんが、わかめの入った味噌汁と炊いたタンザニア米、それにソーセージにほうれん草の炒め物をつくってくれる。ご飯には、日本の梅ごましおをふりかける。ルワンダにはパキスタン米も入ってきていて、タンザニア米よりも安価だという。

久しぶりのおいしい日本食にお腹を満たされて、外出をする。

今日はまずバスに乗ってNyabugogoバスターミナルまで行き、Kigari Safaris Express社のバスに乗り換えて1時間ほどいったニャマタに向かう。大雨が降っていて前方が見えないものの、バスのワイパーは壊れて、運転手は開けた窓から顔を出して前を見ながら運転をしている。

その大雨も、ニャマタに着くころには止んだ。

ニャタマのバスターミナルの前にある商店で、並べられた容器から、卵入りサモサやグリーンピースを詰めて揚げたもの、それに、ゆで卵が入っていた揚げものを頼む。

ルワンダでは、環境を意識して、包装に紙袋が使われている。この商店も、茶色い紙袋に包んでそれらを持たせてくれる。紙袋から一つずつ取り出してつまみながら、歩いていく。バイクタクシーも自転車タクシーもいる。二人乗り自転車をした人々も、ちゃりちゃりと自転車をこいでいく。なんとも静かで穏やかな光景だ。

それでも、ここ来た理由は、ニャマタ虐殺メモリアル教会であった。人が殺された現場である。当時ツチ族が逃げ込んでいた教会が、虐殺現場となった。

町にはあちらこちらに紫色の垂れ幕がかかり、「ツチ族虐殺追悼:輝かしい未来をつくるために、歴史から学びましょう」と白字でうたわれている。

昨日訪ねたキガリ・メモリアルセンターには大勢の見学者がいたが、この教会にはわたしたち以外にいない。受付にいた女性も、「ガイドをする上司は今不在なんですが」と言いながら、門を開けてくれた。

教会内には、ぼろぼろに汚れた犠牲者の衣服や靴、ブランケットが積み重なっておかれていた。壁には当時の血痕が残っている。

それでも、教会にはやわらかな日差しが差し込み、鳥がさえずっている。教会の外から、赤ん坊の泣く声や、コーラスの歌声がかすかに聞こえてくる。

机の上には、当時身につけられていたアクセサリーや、財布、人種を記したIDが置かれている。

まず手を切り、その手を持ってバイバイと犠牲者に向け、そして切り殺された人もいるという。

お墓の下に、頭蓋骨と骨がぎっしりと並べられている。ある頭蓋骨には斧でざっくりと切られた跡があり、ある頭蓋骨の側部には大きな穴が開けられ、ある頭蓋骨の目の部分はくり抜かれている。

脚や手を切られ、頭をたたき割られた様子を、受付の女性が、表情で訴えてくる。美しかった妊婦も殺された。殺された赤ちゃんは柩に入れられて、紫と白の十字、白いレースのついた布でくるまれている。

その受付女性は、身重だった。帰り際にそっと、そのお腹に手を触れさせてもらう。

教会を出て、ニャマタのバスターミナルへと歩いていく途中、自転車に乗った男の子がふいに声をかけてきた。「こわがらないでください、心配はいらないです」とつぶやいた。教会の中に眠るお母さんにこうしてときどき会いに来るのだという。

今、15歳だというその男の子には、他の家族から引き取った子どもも合わせて5人の兄弟がいるといった。英語を上手に話すその男の子と最後に握手を交わす。手は細くて優しかった。ルワンダには虐殺孤児も少なくないと聞く。

やはり、今は、のどかな小さな町だ。

ニャマタのターミナルから乗り合いタクシーに乗ってキガリへ戻ることにする。乗り合いタクシーは満席にならないと出発しない。エンジンをかけて今にも出発するといったふうにやや車を前に出して、客を慌てて乗車させる。そしてまた元の位置に戻って、しばらくすると、また出発するふりをして、と繰り返して集客していく。

ターミナルに一度戻り、ルワンダと日本の夫婦が1996年に立ちあげたNGO、ONE LOVEを訪ねる。このNGOは、虐殺や地雷、ポリオなどで脚を失った人々に無料で義足を提供している。宿泊施設やレストランなどを経営し、その利益を活動のために使っているという。

今日は日曜で閉まっている義足製作所を通り過ぎ、隣のショップに立ち寄る。そこには、松葉杖やプラスチックの椅子を改造してつくった車椅子の他、脚を失った人々が作ったラジオやひょうたん、置きものなどの商品も並んでいる。

案内をしてくれた女性は、高校卒業後、ホテル運営を1年間勉強し、最近ここに採用されたという。ホテル業を勉強しておけば、失業することはないからです、と微笑みながら言う。

そしてまたバスに乗り、町の中心地にある「ホテル・ルワンダ」の映画のもととなったDes Mille Collinesホテルを訪ねる。

そのホテルは、今でも高級なホテルとして営業を続けている。スタッフの男性は、ルワンダは安全な国なんです、人々は自由に町を歩くことができます、他の国ではこうはいきません、と笑顔で話す。警察の強いこの国は、比較的安全なのだ。そして政府は虐殺のイメージを払しょくしようと努力をしている。

ホテルにはプールもあり、街を見渡せるそのテラスでは、ゆったりと食事を楽しむ人々がいる。

街を歩けば、牛乳屋の並ぶ道を行き交う人々に次々と挨拶をされる。そこにも、また紫に白字で「輝かしい未来をつくるために、歴史から学びましょう」と書かれた看板がふいに現れる。ぎゅうぎゅう詰めのバンに乗り、みこうちゃんの家へ帰る。

夜は、タンザニア米から、中に入っている小さな石を取り除いて、圧力鍋で炊く。テラスからは、キガリの夜景が見える。それに、肉団子入りピリ辛スープやオリーブ、トマトとたまねぎのサラダ、キャベツ、さらには塩辛までいただく。近くの商店で買ってきたPRIMUSもMutzigもSKOLビールもあっという間にあいてしまう。