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エジプトからヨルダンへのフェリー – Dahab / Nuweiba, Egypt

エジプトのヌエバからヨルダンのアカバまでは、毎日フェリーが走っている。朝の10時に宿からヌエバ行きミニバンが出るというので、マンゴージュースを飲んだ後、ミニバンの出る時間まで海沿いを歩く。

朝の店は、今日もまたがらんどうとしていた。海沿いには、自転車禁止の看板の横に、ラクダと馬の禁止マークが描かれた看板が立っている。

商店でクリームの入ったロールケーキのお菓子を買い求めて、バンに乗り込み、ほおばる。

予定時刻に出発したミニバンは、ものすごいスピードでごつごつとした岩山に囲まれた道を突進していく。運転手は、自ら出しているスピードを気にも留めないようすで、助手席の男性をちらちら見ながら、楽しげに話をしながら運転する。

こうして、バンは40分もすればヌエバの町へと到着する。町の中心で、らくだが一頭のそりのそりと道を横切り、歩いていく。

ヨルダン、アカバ行きフェリーを運航するAB Maritimeのチケット売り場は、のんびりとしていて、売り場のおじさんも新聞をゆったりとめくっている。

「2時にフェリーは出発しますので、12時までにはフェリーに乗船してください。高速フェリーと普通のフェリーとありまして、今日、高速フェリーが港に来るのかどうかは分かりませんけど、高速フェリーがもし来たら、それに乗っちゃって良いですから。」

12時まであまり時間がなかったので、近くの店でターメイヤと揚げナス、それにフライドポテトがはさまったアエーシと、Molitoのホワイトチーズを買って、フェリー乗り場へと急ぐ。

祈りを捧げるイスラム教の男性がずらりと並び、頭を床に幾度もつける。荷物検査をしてから出国のイミグレーションオフィスへ行くも、まだオフィスは開いていなかった。

近くにいた男性はシリア出身だといい、今のシリアの状況を嘆いていた。
「アサドは狂っています。子どもたちだって殺されているんです。今のシリアは危ないので、僕はこれからヨルダン、サウジアラビア経由でクエートに向かいます。」

12時を過ぎたころに、職員たちがぞくぞくと現れ、簡単な出国カードを記入して提出して質問された氏名を答えれば、手続きが完了する。

フェリー会社の男性にフェリーの出発時間を尋ねる。すると男性はおどけたように言った。「弊社のフェリーに、時間はありません。出発するときに、出発することになっています。」

洗面所では、女性たちが洗濯をし、身体を洗っている。

待ち合いスペースには、乗客がまだらに乗船を待っている。味のこい具がたっぷりと入ったアエーシと、しょっぱいチーズのはいったMolitoをほおばりながら、木のベンチに腰掛けて待つ。

ようやく動きが出たころには、既に2時を過ぎていた。みなで一斉にEAST DELTA TRAVELと書かれたバスに乗り込み、フェリーの泊まっている場所まで3分ほど走る。

フェリーは、バスを何台ものみこむ大きな船だった。売店スペースのまわりをサロンふうの座席が囲み、ゆったりとした客席がぎっしりと並び、ゆるやかに冷房がかかっている。

甲板では、ムスリム服を着た男性が腰かけ語り合い、あるいは寝そべっている。ある男女は写真撮影をしあっている。

風は強く、海は深く青い。

右手にはサウジアラビアの岩山、左手には時折町の見えるエジプトの山々が連なる。

夕暮れ時、合図がなると乗客たちは脚や手を洗いに洗面所へ向かい、そのあと甲板に出て、一斉に祈りをささげ始める。

会話を交わしたエジプト人たちは、これからヨルダン経由、バスでサウジアラビアのメッカに向かうのだという。そのうちの一人の男性は、目だけを出してあとは手の先まで真っ黒に覆った奥さんを連れている。それでも言う。「ぼくにお金があったら、奥さん5人はもらうね。」

もう一人の男性は「ムバラクは馬鹿だった。エジプトは7000年の歴史ではじめて民主主義を手に入れようとしているんです。」と言った。

ヨルダンに行くと言うと、エジプトの人たちは口を揃えるかのように「ヨルダンとイスラエルは物価が高い。エジプトとシリアは安い。でも、シリアは今は危なくて入れないね。」と言う。

アカバの港が近づいてくるにつれ、右手のヨルダン側は橙色の灯りが瞬いてくる。その先に、ガントリークレーンが見える。左手のエジプト側は暗いものの、その先のイスラエル側、エイラートの町にもまたたくさんの灯りが並んでいる。

こうして、フェリーはヨルダンに近づいていく。