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エルサレムと同じ国にある、テルアビブという街 – Jerusalem / Tel Aviv, Israel & the Palestinian Territories

今日はテルアビブに行きたい。朝起きてコーヒーとパンをほおばり、支度をする。

ユダヤ教徒にとって、毎週金曜日の日没前から土曜の日没後までは安息日、シャバットなので、その間はだいたいのユダヤ系交通機関はぴたりとお休みする。アラブ系バスは動いている。

アラブ系バスに乗ってダマスカス門まで行き、そこから休みの路面電車の線路に沿ってセントラルバス・ステーション近くの乗り合いタクシー乗り場まで歩く。黒服のユダヤ人も歩いていれば、タンクトップでジョギングをしている人々もいる。

テルアビブへ向かう通常のバスはユダヤ系のバスなので、走っていない。代わりに、乗り合いタクシー、シェルートに乗っていく。エルサレムはイスラエルの真ん中に位置している。テルアビブは西側にあって地中海に面している。この距離を1時間もかからずに到着してしまうのだから、イスラエルが四国ほどの大きさだということが分かる。

バンから降りると、ターミナル付近には、アジア系の人々の他に、アフリカ系黒人の人々をよく見かけた。テルアビブに多いはずの白人はほとんど見ない。彼らは、エチオピアやスーダン、南スーダン、それにエリトリアといった国々から難民としてやってきた人々で、この5年ほどで増えたのだという。

エジプトから砂漠を歩いて渡り、イスラエルに入ってきたのだと聞く。今は砂漠にフェンスがないのだそう。高い壁をパレスチナ自治区との間につくりあげているイスラエルの砂漠にまだフェンスがない。

イスラエルの男性は渋い顔で言った。「今フェンスを作ろうとしているところだけど、国として今は難民は受け入れざるを得ないんだ。」

ロスチャイルド大通りに面したカフェ、MAX BRENNERチョコレートバーに腰掛けて、ベネズエラのカカオからつくったミルクチョコレートのホットドリンクをオーダーする。チョコレートは「ハグマグ」という独自の器に入れて出される。この「ハグマグ」というのは、チョコレート・セレモニーに使うために生み出されたというから洒落ている。

辺りにはオープンテラスのカフェが並び、マクドナルドも黄緑色ののれんをつけている。並木道は太陽の日差しを受け、ホウオウボクの赤い花が緑に鮮やかに色を添えている。

テルアビブの現代建築群は世界遺産に登録されている。1920年代末から、バウハウスなどの建築学校を卒業した建築家たちがヨーロッパから帰郷したり、あるいはナチスを逃れてこの地にやってきて、街の中心にインターナショナルデザインの建築をつくりあげていった。

ロスチャイルド大通りの建築を、Yona Wisemanさんという女性が紹介してくれるツアーに参加することにする。

一連の建築群が世界遺産に登録されるとなったとき、テルアビブ市民は、ただの古びた建物で、もうすぐ崩れそうな建物もあるのになぜ、と首をかしげたらしい。それでも、最近では価値が見直されてきたのだそう。

テルアビブは街の中心にインターナショナルスタイルを取り入れて膨らんでいったこともとても稀有なことだという。バウハウスの影響を受けた建築物が街全体の6、7割を占めている。

海外からの移住者の増加を可能にした、鉄やコンクリートを使った機能的な建築、アール・デコ様式を取り入れた建築、ゆるやかな曲線を描くベランダ、細く長い直線的な窓、テルアビブが「白い街」と呼ばれるほどのホワイト・トーン。

ツアーを終えて、都市空間デザインで知られるディゼンゴフ広場まで歩く。テルアビブを網羅するレンタサイクルを、地元の若者たちも颯爽と乗りこなしていく。1992年まで映画館として使われていた建物が、今ではホテル・シネマというホテルになっている。
          
街の通りには、水着を着た人々が歩いている。
黒服づくめの人々も歩いているエルサレムと同じ国で。

地中海につきあたる。そこは明るい日差しの照りわたる、明るい海だった。むわりとする暑さの中で、海岸にはネスレやカールスバーグといった企業のパラソルがびっしりと並び、その下で人々は寝そべったり、あるいはおしゃべりをしたり、水たばこを吸っていたりする。イスラムの黒いアバヤをかぶる女性もいる横で、ビキニを着た女性がシャワーを浴びている。

海辺の売店でユダヤの伝統的なパンだともいわれるベーグルを買い求める。ごまののったベーグルを2つにスライスし、ピクルス、トマト、オリーブ、玉ねぎ、コーン、それにスライスチーズをのせて焼く。香ばしく、中はもっちりとして、とけたチーズと具材がよくからまりあっている。

海岸沿いに海を右手に眺めながら、歴史ある地区、オールド・ヤッファまで歩いていく。左手には、無機質な高層ビルが立ち並び、非現実的な趣をみせている。海はあくまで明るいままだ。

オスマン帝国時代につくられた時計台の周りには、アラブ系のスイーツ屋やサンドイッチ店などが軒を連ねる。丘の上からはテルアビブの街並みが一望できる。空には飛行機が飛び、海にはヨットが浮かんでいる。1880年代から90年代にかけて建てられた聖ペテロ教会や、願いがかなうという橋を抜けて、煉瓦づくりの小道Netiv Hamazalotを進むと、小さな港に出る。

港の近くのカフェのテラスで人々はくつろぎ、食事やお酒を楽しんでいる。Gold Starというダークラガービールをオーダーする。苦いけれど、軽いビールだ。

日も暮れて、シャバットが終了した。これで、20時以降、エルサレムまでのバスが運行が再開する。

灯のともる道をたどりながら、バスターミナルまで行こうとNeve Tsedek地区に立ち寄りながら歩く。この地区は、19世紀にはユダヤの知識人の住んでいたが、今では裕福な若者やアーティスティックな人々の住むエリアとなり、お洒落なカフェやレストラン、陶器屋などが並んでいる。

ふいにイスラエルの女性が、流暢な英語で道案内をしてくれると言った。アイスクリーム屋で働いている女性で、仕事のあと、疲れた身体で見送ってくれる。

テルアビブは夜まで賑やかだった。夜の遅くまで交通機関が動いている。22時に、これからエルサレムまで戻りたいと地元の人々に言っても驚かれない。エルサレムまでこれから戻るのね、じゃあ、バスの時刻表を調べてみるわね、とiPhoneをさくさくいじり、最終バスの時間まで教えてくれるほどである。

こうして途中からバスに乗ってターミナルまで行き、ごまつきベーグルを買い求めて、乗車する。定刻の22時45分に発車したバスでベーグルをほおばりながら、エルサレムへと戻る。ちょうど1時間でエルサレムにたどり着き、まだ人々の多く乗車する路面電車に乗って、そこからオリーブ山を登って家に帰る。オリーブ山のてっぺんには、いつもの通りにイスラエルの旗がライトアップされてたなびき、ユダヤ人墓地は岩のドームを向いて、ずらりと並んでいる。

紅茶にご飯、野菜にじゃがいもやにんじんの煮物、それに林檎をかじって休むことにする。