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キリスト教とユダヤ教の金曜日 – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

朝食にチキンやスクランブル・エッグ、ピザ、それにじゃがいも、グリーンピースとにんじんの煮物をいただいてから、イブラヒムさんのご飯づくりを手伝う。

レモネードを飲みながら、にんじんもじゃがいももどっさりと袋から出して大きな鍋に放り込む。イブラヒムさんはにんじんの皮むきも手元を見ずにすぱすぱ切っていく。それを見てみてとばかりに得意顔をこちらに向けるのだから、茶目っけがある。

今朝はイスラエルのユダヤ人数百人分の料理を作っていると言った。数百人分なんて大した量じゃないよと言った。彼にとっては、民族も国籍も宗教も関係ないのである。

イブラヒムさんの家のあるオリーブ山は、終末の日が訪れるとメシアが立ち死者がよみがえるといわれている場所で、岩のドームを眺めるようにずらりとユダヤ人墓地が並んでいる。ここの墓地はとても高額らしい。

イスラエルは、この山の頂上に国旗をかざすため、もともと住んでいたアラブ人の住人にビルの一部を譲るように交渉をしたという。それに反対したアラブ人住人を、補償金がほしいアラブ人住人が殺したという話も聞いた。

そのオリーブ山の頂上付近にあるイブラヒムさんの家から城壁に囲まれた旧市街まで歩いて30分ほど。イエスが昇天した場所にある昇天教会や主の祈りを弟子に教えたといわれる主の祈りの教会などが途中にあって、立ち寄りながら旧市街へ向かう。

イエス・キリストは、有罪判決を受けて、十字架を背負って処刑が行われるゴルゴダの丘まで歩いた。その足跡をなぞり、毎週金曜日午後には旧市街のヴィア・ドロローサと呼ばれるその道をフランシスコ派の修道士が行進する。道なりには14の祈祷所が設けられていて、それぞれのステーションで、イエスにおこった出来事についての祈祷文が読み上げられる。

ヴィア・ドロローサは当時から繁華街で、今もたくさんの土産物屋が軒をつらねている。その中で修道士が祈祷文をマイクで読み上げ、それが終わるとみなで賛美歌を合唱し、次のステーションへと向かう。

イエスが死刑の判決を受けた場所から始まる。十字架を背負い、鞭でうたれ、一度つまづく。聖母マリアがそのイエスを目にし、キレネ人のシモンがイエスを助け、ベロニカがイエスの顔をふき、イエスは再び倒れる。それからイエスはエルサレムの女性たちに語りかけ、三度目に倒れ、衣服をはぎとられられる。十字架がたてられ、イエスは息をひきとり、聖母マリアが遺体を両手で受け止める。そして最後に、墓に向かう。

世界各地のキリスト教徒たちが、祈りを捧げにやってきている。ろうそくを灯し、想いをはせ、イエスの墓に列をつくる。イエスが息を引き取ったあとに香油を塗られた場所で膝まづき、手をのせ、頭をつける。チーンと鐘の音がして、聖職者は香炉を振り、鳩は飛んでいく。

そのうちにそれぞれがばらばらになり、ミサが始まっていく。

ユダヤ教徒にとって、毎週金曜日の日没前から土曜の日没後までは、安息日、シャバットだ。神が天地創造の7日目に休んだことにちなみ、この間は心も身体も休めなければならない。

手荷物検査を受けて入るユダヤ教徒の嘆きの壁には、シャバットに入る金曜夕方、多くのユダヤ教徒が集まる。

イスラエルの国旗がたなびき、左手が男性、右手が女性の部分と、仕切りが設けられている。子どもたちも男女に分かれるので、黒い正装を着たユダヤ教徒の男性が、男の子をのせたベビーカーを押していたりする。

男性が頭にかぶる帽子キッパや、女性が肌を覆うスカーフも貸し出される。聖書や、金曜の夜&フェスティバルのための祈りの本、The Kotel Siddurという本などが本棚にずらりと並び、だれしもが手に取れるようになっている。

男性のほうは、ラーララライライライとリズムをつけて、肩車をしながら、腕をくみ、手をふりあげ、あるいは手拍子をしながら、ぴょんぴょんと踊りだす。そうして踊っているのは大抵頭の上に白いキッパをちょこんとのせた人々で、まるでスポーツ観戦のようにはしゃぐようすで嘆きの壁に背を向ける人もいる。

超正統派のユダヤ教徒は、くるくるとしたもみあげを長く伸ばし、豊富な髭をたくわえ、黒いハットやファーの帽子をかぶり、黒いコートを着ている。こうした人々は、それを横目に粛々と壁に向かっている。聖書を片手に、身体を前後や左右に揺らしながら、ときには声をあげて謡うように祈る。暑いのか、汗をかいている。顔に笑顔は、ない。

女性も同じように輪をつくり、腕をくんで、歌い、踊り始める。黒い服を着た幾人か女性たちは聖書を片手に、あるいは顔につけて壁に向かっている。願いや祈りを小さな紙切れに書いて壁の隙間にはさんで、祈りを捧げる人もいる。仕切りの向こうの男性たちの様子を外から眺める女性もいる。

男女の中には軍服を着た人々もまじっている。

シャバット中は、何もしてはいけない。電気機器を利用することも、ものを書くことも許されない。

日もとっぷりと暮れていく中、照明のつく嘆きの壁の前はより盛り上がりをみせていく。20時半を過ぎたころに、徐々に人々は家路につく。

そのころには嘆きの壁の近くのユダヤ人街はほんのわずかなユダヤ人が歩くばかりで、その他は、猫が橙色の灯にともされた通りをするりと抜けていくばかりだ。

そんなユダヤ教にとっての金曜日夜でも、アラブ系バスは運行している。空には花火があがる。家に帰って、じゃがいもやにんじん、いんげんの煮物やカリフラワー、それにパンやごまのペースト、レモネードをいただいて休むことにする。