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パレスチナ難民キャンプの今 – Border with Israel & the Palestinian Territories / Amman, Jordan

ヨルダン側のイミグレーション・オフィスの天井には燕が巣を作っていた。ヨルダン国王の写真がでかでかと描かれた壁紙の横で荷物確認をして、窓口に並べば、入国となる。イスラエルに入った痕跡は、イスラエル入国時にパスポートに貼られた荷物確認用のシールだけだ。

そこからタクシーをチャーターして、首都アンマンの宿、マンスールホテルまで向かう。所要時間約50分、なんとも近い。イスラエル、パレスチナ自治区であまり見かけることのなかった全身を黒いアバヤで覆う女性も再び見られるようになった。

アンマンにはパレスチナ難民のみならず、1980年代にはレバノン内戦からの避難民、1990年、2000年代の湾岸戦争、イラク戦争からの数十万人ともいわれるイラク避難民も住んでいる。その他ロシアやアルメニア、シリアからの人々も少なくないという。

宿の近くにも2軒並んでイラク食堂屋がある。そのうちの一軒、ビファレストランで、茄子の炒め物と、オクラの入ったピリ辛のトマトスープ、それにチキンののったご飯のセットをオーダーする。合わせてマンゴージュースを飲む。メニューは日本語でも書かれて店頭に貼られ、テープを切り貼りした装飾は、日本のカフェふうだ。

ヨルダンには、パレスチナ難民が多く住んでいる。かつての難民キャンプ、ワヒダット・キャンプの市場が今日土曜日には特に賑わっているというので、バスに乗って訪ねてみることにする。ヨルダン内に住む170万人近い難民のうち16%ほどがこのような公認キャンプに住み、そのうち5万人がワヒダット・キャンプに登録している。

市内中心にあるアル・フセイン・モスク辺りからバスに乗ってワヒダット・キャンプに行きたいと言うと、降りるときに教えてあげるから前のほうに座りなさい、と言う。街角にはヨルダン国旗が大きくはためき、パレスチナ難民のための国連施設がある。

ワヒダット・キャンプに到着してバスを降りると、今度は大人から子どもまで次々と写真を撮って、とポーズを構え、一人を撮り終えると、次はこっちとリレーが始まる。わたしたちがイスラエルに行く前の日本との「6-0」のワールドカップ予選を、今でも笑いながら責められる。

道ばたの看板には、国連のロゴに「平和はここから始まる」と書かれ、アラビア語で説明が書かれている。壁にはヨルダン国王や王妃のポスターも貼られている。街中ではベドウィンの赤と白のカフィーヤをかぶっている男性もちらりほらりと見かける。

パレスチナ難民キャンプと「キャンプ」の名前がついているものの、そこに見えるのは建物だ。1948年と1967年に多くのパレスチナ人がヨルダンにやって来た。人々は既に親の世代からこの辺りに住んでいるようで、家族の歴史がここに刻まれつつある。

数多くあるこの辺りのドレス店の一軒でもまた写真を撮ってのリレーが始まった。写真を撮っていると、コーヒーをどうぞとスパイスの効いたコーヒーを出してくれた。そして小声で言う。この辺りの75%はパレスチナ人で、残りの25%がヨルダン人。僕の両親がパレスチナからヨルダンにやって来たから、僕はヨルダン生まれのヨルダン育ちなんだよ、と言う。ここから5キロほどいったところに家を買って、今はそこに住んでいる。これが僕の息子たちだよ、と隣の男の子を指す。

大きなナスからキャベツ、それにトマトやいんげんなどの野菜、平べったい桃に葡萄やさくらんぼやスイカ、パイナップルといったフルーツ、ぶら提げられた肉のかたまり、それにきらびやかなドレスが所狭しと並んでいる。

イスラエル側パレスチナ自治区ヘブロンの市場を歩いていて上を見上げると、そこには落とされたごみの引っかかった金網があった。

ここヨルダン側パレスチナ難民キャンプの市場を歩いていて上を見上げると、そこに少年があげた凧が鮮やかに舞っている。

ヘブロンのパレスチナ人も明るくフレンドリーだった。それでも、「手元の箱を動かしてもイスラエル軍はそれに気づく」くらい、監視された世界に住んでいる。それに比べると、ここ難民キャンプの人々は、パレスチナ人としての歴史を背負いながらも、今現在は穏やかな日常生活がほんの少し垣間見える。

難民のなかでも、パレスチナに戻りたいと思っている人と、ヨルダンを気に入っている人がいると言う。ビジネスに長けたパレスチナ人を妬むヨルダン人も少なくないと聞く。

パレスチナ人がヨルダンのパスポートを持っていることは珍しくない。そしてイスラエル人がイスラエルの他に別のパスポートを持つ二重国籍もまた少なくないという。イスラエルの他に米国やドイツやフランスなどのヨーロッパのパスポート。だから、ヨルダンに来た時はイスラエル国籍であることを隠すのだと言う。だから、警察も、人々も、持っているパスポートの国籍ではなく、ルーツがどこなのかを知りたがるのだと聞いた。

「イスラエルは賢いんだよ」と、アンマンのパレスチナ人は声をひそめて言った。ヨルダンとイスラエルの政府間は仲が良い、でも人の間は仲が良くないのだという。

夕食は、宿の名従業員ルアンさんが差し入れをしてくれた、ドーナツやチョコクッキーにオレンジジュースをいただくことにする。ルアンさんも、ヨルダン生まれのヨルダン育ち、自由なイスラム教徒パレスチナ人である。