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きんぴか首都のテント泊 – Ashgabat, Turkmenistan

イランからトルクメニスタンへのゲートを過ぎると、今度はトルクメニスタンの迷彩服を着た担当男性が再びパスポート、と言う。

ニヤゾフ前大統領は、見栄えが良くないという理由で国民に金歯を禁じていたと聞いていたが、担当男性のうち一人は金歯だ。

イランから抜け出れば、女性旅行者のほとんどが頭にかぶっていたヒジャブを取り払っている。倣ってヒジャブを取ると、イミグレーションの担当官が、マーントーも脱いで問題ないというので、脱いでみる。

頭のヒジャブも身体のマーントーもなくなり、情報規制も厳しくて盗聴も行われることがあるというトルクメニスタンに入国するにもかかわらず、なにやら自由な気分になってくる。

トルクメニスタンのイミグレーション・オフィスの建物には、現大統領ベルディムハメドフ氏の肖像が描かれている。

オフィス内にはカラフルな水玉の生地の胸元に刺繍があしらわれたワンピースを着たトルクメニスタンの女性が多くいた。そして、キルギスで教鞭をとるイラン人先生集団もこれからトルクメニスタンに入国する手続きをとっている。

まずは銀行で入国税を支払い、その領収書をもって、イミグレーションの窓口へと向かう。入国カードを書く必要もない。指紋をとられる人もいるが、日本人はとられない。担当者の男性はちらりとこちらを向くだけで、あとはパソコンを眺め、入国スタンプをボンと押した。

その後さらに進むと税関担当の女性が立っている。パスポートを渡すとロシア語ばかりの用紙にごにょごにょと勝手に記入をしてくれ、手続き完了となる。

緩衝地帯専用タクシーは、トルクメニスタン女性たちがイランから持ち込んだカーペットやら布団、シーツなどでめいいっぱいになっている。もはや女性たち以上に人々の乗れるスペースなど見当たらないが、ふくよかなおばちゃんが、膝の上に乗りなさいと身体ごと引っ張って膝の上に誘う。こうして、わたしたちは、一人はカーペットの上にまたがり、一人はおばちゃんの膝の上に座って、アシュガバットの街へと向かう。

乾いた山々が連なる中をぐんぐんと進む。途中、その山々の向こうに高層ビルの建つ大きな街が見えてきた。あれがアシュガバットだと、トルクメニスタン女性たちは指をさす。

30分ほどふくよかな膝に座ったところで、チェックポイントがあり、乗り合いタクシーを降りて窓口にパスポートを見せる。隣に居合わせた男性が、わたしたちが日本人だと分かると、スズキ、とつぶやいた。

ここからアシュガバットまでどうして行こうかと、てくてくと大きな幹線道路を歩き始める。すると、一台のバンが通りかかり、街に向かう途中まで乗せて行ってくれるという。「ハミ瓜、西瓜」と中国語で笑いながら連発し、スーパーでも売ってるから買うと良いと言う。そして下車するときには、前に停まっていたバスに乗ってテッケ・バザールまで行くと良いと硬貨を手に握らせてくれた。

バスはHyundai製の真新しい白いバスだ。バス停も、街の中にいたっては、豪華なつくりになっている。乗客の女性たちも、スカーフをかぶる人、かぶらない人それぞれで、時に金髪の女性もいて、窓の外には露出の高い服を着た男女が手をつないで歩いている。

広場に向かう中、そのほとんどが新しくてぴかぴか、きんきんきらきらの金色に真っ白な壁、輝かしいばかりの建物の数々に興奮ばかりだ。

Syyahatホテルに入ってチェックインをしようとしていると、従業員のおじちゃんが、本場米国のコーラを持ってきてくれ、パンもどうぞと現大統領の写真がでかでかと一面に載っている新聞紙の上にのせてくれる。それでも、レセプションに座っている美女は、口角のあがらないまま、予想外の部屋代金を口にする。再開発でかつて旅人たちの泊まっていた民泊などがことごとく壊されて、今は質のわりに高いホテルしかなさそうなのだ。

既に夜も遅くなっていたので、今夜はホテルの近くでテントを張ることにする。近くに開いていた商店でビーフの缶詰にもっちりとつまった食パンを買い求める。商店では、身体のラインのでる服を着たワンピースを着た女性が、ビールサーバーから生ビールを注いでいる。道には、まだ若者や男女のカップルも手をつないで歩いていく。

ホテルの近くで灯りをともしていた音楽会社のそばにテントを張る。そばに交番があるようで、警察もあちらこちらから通り過ぎて行くが、なにも声をかけられない。テントの中で休んでいると、音楽会社の男性がこんばんは、と言う。そして、チャイでもいかがですか、と温かくて甘いジンジャーティーを持ってきてくれる。最後におやすみなさい、と言われてテントの中で眠りにつく。