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金と白と噴水とライトアップの街 – Ashgabat, Turkmenistan

朝に目が覚めてしばらくすると、テントの外から、おはよう、と声がする。テントから顔を出すと、昨晩とは別の音楽会社の男性が、どうぞと甘いコーヒーを出してくれる。煙草も勧められる。そして別れぎわ、なんどもウェルカム・トゥ・トルクメニスタンと言い、そしてわたしたちはなんども、ありがとう、と言う。

今夜のチェックインをするために、再びSyyahatホテルを訪ねる。すると今度は宿泊客から、飲んでいたコーラをどうぞと勧められ、大きなボトルをそのまま置いていった。トルクメニスタン・コカコーラ・ボトラーズ 2007 The Coca-Cola Companyのコーラ。

トルクメニスタンの多くの人々は、口を揃えてこの街にラマダンは関係ない、と言う。旧ソ連時代にイスラム教は弾圧されていて、地域からイスラム教色はずいぶんと薄らいでしまった。それでも、ラマダンを実行している人々はまだいるらしい。

ホテルのロビーにいる一人の少年は、表情を一つも変えず、隣のソファに座っている。こんにちは、と声をかけても、口をへの字に閉じたまま目線をこちらにちらりとやるだけだ。その少年と再度ホテルの外で会うと、先ほどとは別人かのようにいきいきと積極的に笑顔で話しかけてきた。同じ人間とは思えないほどだ。

街の中心に向かうために、真新しいバスに乗っていると、ロシア系の隣の青年が英語で話しかけてきた。英語を話せる人はここではとても珍しい。かつては中国に行ったこともあり、中国にはさまざまな国の人がいて、とても刺激的だったと言った。英語を磨いていつかは米国へ行きたいと静かに話す。そして、アフリカは貧しいんでしょう、興味があります、と加えた。

わたしたちが食事をする場所を探していると言うと、仕事に向かう途中であったその青年は、出勤時間を遅らせてわたしたちをお勧めの食堂へ連れて行きます、と言う。コンピューター修理の小さな会社で働く彼の月給は230ドル程度だというが、トルクメニスタンの物価は安いから足りているし、家族のために使うことだってできている。田舎のほうは子だくさんで6人から8人くらい子どもがいます。街で走る車はどれも新しそうに見えるけれど、大体中古車ですよとその青年は言った。

人々の間では、2018年までに政府がこの街の建物を白い高層ビルに建てかえるという話が行き交っているという。人々の住む古い建物を壊し、政府はお金を払って国民を移転させる。政府がお金持ちなのですね、と青年に言うと、青年は、そんなようなものです、と言葉を濁した。その青年は郊外に住んでいるが、移転をすると今飼っている羊を飼えなくなるから引っ越したくありません、と言う。

連れてきてもらった先は、トルクメニスタン印刷センターの職員食堂だった。それでもその建物に入った途端に、さきほどまで饒舌に話をしていた青年がなにやらもぞもぞとしだした。そして、もう仕事に行くので失礼しますといった具合で、そそくさと逃げるように出て行ってしまった。

食堂には気さくなおばさんたちがいて、幾人かの人々が食事をしている。確かにそこにはラマダンはないようだった。青年がお勧めだといっていたプロフを注文する。ご飯の上にのったチキンは柔らかく、油をまとった人参やご飯とともにとてもボリュームがある。それを添えられたパンとともにいただく。ラマダン中のイランから抜けだしたことを実感する。

インディペンデンス広場はとにかく金のドームに白い建物、ずらりと並ぶ白と金の街灯、それにじゃぶじゃぶと湧き出る噴水に囲まれ、きらりきらりとごみ一つ落ちていない。歩いている人もなく、人々のいる気配がない。

歩く人のほとんどないそんな場所でも、街を綺麗にするために働く人々はいる。清潔にすぎるバス停や噴水を更にごしごしと磨く人、道路の一つのタイルをかがんで修復する人、草花に水をやる人、仕事はそれぞれだ。とにもかくにも暑いので、人々は目だけを出したマスクをかぶったりしている。

辺りにはもちろん商店もなく、強い日差しの下、ひたすらに喉がカラカラになる。しかも一つ一つの建物が巨大なものだから、いったいいつ次の商店に巡り合えるのか、分からない。人気のない白と金の大きな建物に近づく。どれもミラーガラスになっているが、顔を近づけてそっと中を覗き込むと、意外にもこちらに笑いかけてくる護衛の男性がいた。水をください、とジェスチャーで頼んでみると、分かったというふうに水をもってきてくれた。

かつて中立のアーチの立っていたところに、小さな金色のニヤゾフ像が立ち、後ろには騎士像がある。アーチは郊外へと移転してしまった。その像のそばの芝生に腰かけ、ようやく見つけた小さな屋台で売られていたファンタ・オレンジを買い求めて、ごくごくと飲む。

現大統領ベルディムハメドフ氏の写真掲げられた門をくぐると、その向こうには誰もいないWorld of Fairytalesという名の広大な遊園地が広がり、しんとした敷地には大きな観覧車にビッグサンダーマウンテンさながらの岩山、ローラーコースターなどがある。5000万ドルをかけて2006年に作られたこの遊園地はほとんど営業されることはないという。

移転した中立のアーチまでどう行こうかと考えていると、近くの建設現場を仕切っていた建築会社の社長が、トヨタ車で送っていってくれると言った。そして冷えた水のボトルをわたしたちに差し出す。日本のJICAやその他公的機関とも仕事をしているようで、名刺を広げて見せてくれる。

アーチまでの道のりには、やはり真新しくてぴかぴか、天井には金の模様をあしらい、国旗をたてた白い建物がずらりと並んでいる。その男性は、僕はあの建物の一つに住んでいます、と指さした。57メートルの高さを持つ大きな国旗のわきを通り、アーチへ到着する。

アーチは、永世中立国であるトルクメニスタンを象徴している。政府機関で働く男性は、トルクメニスタンは全ての国と仲が良いんです、米国とももちろん、と誇らしげに言っていた。

アーチもまた、白の近未来的なふんいきで、黒に金でモチーフがあしらわれ、そのトップにはニヤゾフ氏がきらきらんと金色に輝きながら両手を広げている。アーチの前では軍人が行進し、護衛の男性が直立不動、その横には草花を手入れする男性が座り、あるいは寝そべっている。

真っ白なバスに乗って、真っ白な建物の並ぶ道を進み、街の中心まで戻ってくる。インディペンデンス広場から少し外れたところで降りると、ようやく一般の人々が歩いているのが見えてくる。胸元に刺繍をあしらった民族衣装を着た女性もいれば、ミニスカート、高いヒールのサンダルにサングラスの女の子も携帯を片手に闊歩していく。

ブリティッシュ・パブもあって、中に入ればサムソン・モバイルの広告に囲まれたディスコやビートルズの壁紙を貼ったパブ、それにカジノもある。工事中のクレーンがにょきにょきと立つエリアもあり、イランにはなかった米国大使館もある。

Magtymguly劇場の裏には、右手をあげたレーニン像がたち、そのまた近くには、1970年代にアシュガバットに住み作品を作ったロシアの美術家、Ernst Neizvestnyのトルクメニスタン共産党のアーカイブと題された彫刻作品の建物がででんと現れる。
     
再びバスに乗って、夕暮れのGirelgeの近くで降りる。白に金色の非現実的モニュメントのその辺りには、かつて畑であったような土地が広がる。新しく建てられている工事中のモニュメントの前にも、お決まりの噴水がつくられている。

トルクメニスタン独立モニュメントへと歩いていくと、そのうちに日が沈み、やがてライトアップが始まった。ライトは、水色に青やら黄色、紫にピンク、赤と次々と変わっていく。アザーンの音はトルクメニスタンでまだ一度も聞いていない。その代わりに噴水の音が周りを包んでいる。それほど噴水がじゃーじゃーとあちらこちらにあって、しかもそれがきちんと機能していて、それを保つ人々もいるのだった。ここでは高架にだってライトがついて、その色を変えていくのである。

この国は人々に無料で提供できるほど豊かなガスに恵まれ、そして人気のない夜の噴水もまた勢いよく噴き上げ続け、街灯は星のようにきらきらと輝き続ける。芝生の上で食事を楽しむ数人がぽつりといる。

地下道が煌々と明かりをつけていた。下っていくと、ごみ一つ落ちていない、しん、とした地下道が伸びている。隅のほうで、掃除を終えたらしい一人の女性が、布を敷いてひっそりと食事をしていた。その他に、この地下道を通る人はいない。

この街で物乞いは見かけていない。

バスに乗って、昼に通ったインディペンデンス広場の近くを通る。噴水一つ一つに、色がころころと変わっていくイルミネーションが灯されている。

夜は宿でテレビを見ながら、ホテルの売店で買った冷えたトルクメニスタンビールZip5に、向かいの商店で買ったタイのサーディントマト缶、それにパンを合わせていただく。ビールは、独特の匂いに、一口目はなにやら豆のような味がした。

テレビからはロシアの人形劇が流れてくる。