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突然の寒さと、友だちとの再会 – Bishkek, Kyrgyzstan

朝の6時半ころ、窓からひんやりとした風が入ってきて、目覚める。外を見てみると、草原に馬が草を食み、その向こうの山には雪がかかっているのさえ見える。標高も3000メートル近い。ずっと暑い砂漠地帯が続いていた中、ここで突然に雪山が現れた。そのうちに目の前に太陽があがり、辺りはわずかに暖かくなっていく。

それからずっと車はビシュケクに向けて走りを進め、数回の検問を通った後、街へと入りかけていた。そこで、運転をしていた二人は突然に言い出す。わたしたちが伝えていた宿の場所が分からないから、ここで降りてあとは自分たちで行ってほしい。

今どこにいるかも分からないまま、それでも運転手の二人が宿を探してくれそうになかったので、車を降りる。まわりの人たちに尋ねながら、ローカルバスに乗り換えて、ハブ地点となっているオシュ・バザールに向かい、そこからまた別のバスへと乗り換える。

バスには日本人のような顔立ちの人もいれば、金髪に白い肌の人、黒髪にほりの深い顔立ち、それにモンゴルふうの顔立ちの人もいる。

アパートの一室を使った宿には、そこに住んでおられる日本人の女性もいた。日本人はキルギスへの短期入国にビザが必要ないことを知らない警察官もいるようで、警察官の尋問にあった際に提示ができるよう、ロシア語と日本語を併記した注意書きの紙を渡される。

少し落ち着いたところで、かつて北京で一緒に住んでいたキルギス人の友だちに電話をかけると、夕食を一緒にしようということになった。友だちは、整った顔立ちに丁寧なお化粧をしたたいへんな美人さんで、しかもとても魅力的な女性とあって、大きな車を運転する男友だちと一緒に迎えに来てくれた。

街の向こうに雪山を眺めて積もる話を交わしながら、ときどき食事をしにくるというおしゃれなレストランへと連れて行ってくれる。

生ビールにはじまり、ジューシーなシャシリク、ボルソという小さな四角いパンやナン、韮の入ったマンティ、小さなマンティの入ったトマト味のスープにサラダ、大麦焙煎発酵飲料の舌がぴりりとする見た目にコーヒーのようなマクスムなどが次から次へとテーブルに運ばれてくる。

イスラム教徒である友だちは、ラマダン中は断食を実行していたという。1年ほど前に観た米国映画の影響もあって、肉や魚などを摂るのを止めたといい、ラマダンも苦ではないのだと言った。この国では肉を摂らない外食はなかなかに難しい。

一方男の子の友だちもイスラム教徒であるが、ビールも飲むし、ラマダンは関係ない。シェイン・コスギ、ホンダケイスケを知っているとにこやかに言った。

キルギスの若者の夜は、とても洗練されていた。

既に宿の部屋もおさえてしまっていたものの、今夜から友だちの弟と従兄弟の住む家に泊まっていったら良いと言うので、夕食をいただいてから荷造りをしに宿に戻り、オーナーのおばあさんにご挨拶とお礼にお詫びを伝えて、移動をすることにする。

友だちは今は実家暮らしなので、弟と従兄弟の住む家賃8万円ほどという豪華マンションをわたしたちにあてがってくれたのだった。

2カ月前に越して来たばかりだと言い、リノベーションを施した家の中は新しいものそのもので、そのうえ週に1、2回、気の向いたときにお手伝いさんに電話をかけて掃除をしてもらったりしているというから、家はとても清潔に整えられている。Wifiもとんでいて、弟や従兄弟はパソコンにオーディオ機器をつなげてノリノリ音楽を聴きながらネットをしている。

夜が遅くなってからもチョコレートのアイスクリームにコカコーラを差し出してくれ、ビシュケクでの共同生活がはじまった。