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長いチョコレートヒルへの道 – Cebu / Bohol, Philippines

フィリピン時間で12時を過ぎても静かなままだったので、そうか、フエンテ・オスメニャで「何かが起きるかも知れない」は違ったのかもしれないと思っていたら、そのうちに、パンパンと花火が打ち上がり、歓声があがる。

どんどん打ち上がる花火を見ながら、アイスをほおばる。20分ほど満喫したところで、24時間運行していると聞いていたジプニーに乗って、宿に戻ろうと思った。

ジプニーを待てどもなかなかに来ないということで、
夜中も外では爆竹がどかんと鳴り響き続け
どこかの地面に大きな穴があいているのではないかと思ったほどだ。

来るジプニーは全て、違う方向へと向かうジプニーだったもので、タクシーに乗ろうとするもどれも満車。そのうちに、夜中の1時近くになる。

そこで、一台の車が止まった。車体にはタクシーと書かれているが、中にはドライバーの家族が乗っている。宿の名前を言うと、乗せて行ってあげるよと言う。有難く車に揺られていると、「お二人がいたあの場所は、危ない場所なんだ。あんなところに立っていたら、バイクに乗った若者にやられるよ。だから、君たちを乗せたんだ。」

宿に到着して、支払おうとしても、お金はいらないよ、と言う。











私たちは翌朝5時に宿を出て、ボホール島への船が出る港に向かおうとしていた。港までジプニーで行くのはなかなかに大変だというから、タクシーで迎えに来てもらうことにする。

数時間眠ったあと、そのタクシーのおじさんは、ぴったりの時間に迎えに来てくれた。15分ほどでまだ暗い港に到着し、ボホール島のタグビラランへ向かうOcean Jet社のカウンターに降ろしてもらう。「7時ころに出港予定だ。」その辺にいた男性が言う。

ちょうど良い、とタクシーの運転手にお礼を言って、別れる。

まだカウンターは開いていない。
すると、別の男が「今日は正月だから、7時の船は出ない。」と言い出す。
他のメジャーな船会社のカウンターは、また遠くの場所にあり、他の船会社を探すのなら、またタクシーに乗らなければならない。

困ったものだと近くにいた青年につぶやくと、「僕もボホール島に行く。トゥビゴン着のフェリーは、6時半に出航する。タグビラランではなくて、トゥビゴン経由でチョコレートヒルに行くのなら、その船に乗れば良い」と教えてくれた。











こうして、私たちは無事にチケットを手にして、その青年と、トゥビゴンへ向かう。さして波も揺れず、2時間すれば、ボホール島だ。その青年に教わるままにトライシクルに乗り、指し示してくれた、チョコレート・ヒルに最も近い町、カルメン行きのバンに乗り込む。仕事でボディガードをしているというその青年は、私たちの代わりに運転手たちと交渉するときの目は鋭いが、私たちには優しい顔を向けた。トライシクルの料金も、払ったから大丈夫だといい、煙草を吸った。











こんなふうに、年明けからお世話になりっぱなしで、10時前に、カルメンに到着する。

少しお腹がへっていたので、市場の隅に佇む、崩れ落ちそうな木の小屋でパンと珈琲を提供するカフェに座る。静かで上品な笑みを湛えたおばあさんが、珈琲を淹れてくれる。

淹れるといっても、珈琲の粉に缶に入ったミルクを注ぎ、ヤカンのお湯を継ぎ足すだけだ。そして、ガラスに入った、パサリとしたパンを取り出す。

一つ一つの動作がとても丁寧に行われる。その珈琲もパンも、じんわりと身体に染みる。
おばあさんは、流暢ではないが、きちんとした英語を話した。

ここから、チョコレート・ヒルに向かうことにする。

私たちを客になると狙いを定めて、
はるばるトゥビゴンからバンと並走してきたバイクマンが、私たちに声をかける。

サングラスをかけた、いかにも怪しげな雰囲気だが、
眼鏡をとると、優しそうな2児のパパの顔だった。











そのバイクに乗り、10分ほど走ったところにある、チョコレート・ヒルの展望台がある。展望台の上まで歩いていくと、地震で崩れた跡があり、そこからぽこぽこと膨らむ丘を眺める。全部で1200個ほどの丘が広がっているのだという。

ぼんやりとその様子を眺めていると、フィリピン男性と結婚をして、今東京に住んでいるといううスイス人女性に話しかけられた。お互いの両親を連れて、旅をしているのだという。

両手をぐんと伸ばして、風を感じる。











1時間ほどのんびりとした後、再びバイクにまたがり、田舎町を走り、カルメンに戻る。ちょうどボホール島最大の街、タグビラランまでのバスが出るところで、それに乗り込む。

まだ乗客はあまりおらず、窓を開け放して、伝統的なフィリピンの家屋がぽつりぽつりと緑の中に建つのを眺め、川を渡り、進む。 











風が心地良い。

途中、雨が降り、雨が止み、バスが壊れたので別のバスに乗り換えたりしたものの、2時間弱でダグビラランに到着をする。

バス停から港のあるところまで、トライシクルに乗って進む。

港に到着したのは、14時ころ。

セブへ戻る船は何時に出ているだろうか。

雨が再び降る中、港に並ぶ船会社のカウンターを回る。
お正月だからだろう、閉まっているカウンターがほとんどだ。
静かな港でもなんとか客が集まっているカウンターを見つけると、そこには、10:30 PM DAILYとある。
しかも、カウンターに人は不在なので、今夜出航されるかわからない。

一軒、今日運行しているという船会社は、普通席が満席で、その上のランクの席が、想定額の5倍ほどするもので、しかもあと2席しか空いておらず、17時出航です、という。

どうしようかと思っていたところ、ちょうど同じように困っていた韓国の若い男女が、バンをチャーターして、一か八かでトゥビゴンに戻るというところだった。

便乗をさせてもらい、くるり、トゥビゴンに戻ることにする。ざあざあと大雨が降ったものの、1時間少しでトゥビゴンに戻ってきた。











到着したところには、長蛇の列。何かと思ったら、Sea Highway Carrier社のセブ行きボートへのチケットを買い求める人々だった。1時間と少し待つが、1時間おきに今日も船が出ているようで、いずれにしてもセブに帰れそうだ。

先ほど一緒にバンに乗ってきた韓国の若い男女は、いつの間にやら、闇チケットを手に入れたようで、先に行ってしまった。

Peanut Kissesという、キスチョコのかたちのピーナツ版が周りの商店でよく売られていたので、それをほおばりながら、雨の降る中、待つ。

ようやくチケットを手に入れて、トライシクルに乗り、港へ向かう。私たちが手に入れられたのは17時45分の船だったが、港に泊まっていた17時発の船に乗せてもらえないかと尋ねると、「屋外のシートだったら良い」ということだったので、乗り込ませてもらう。

こうして、ようやく17時にボホール島を離れ、セブへと向かい始める。
が、出航してすぐに、屋外には空気を引き裂くようなエンジンの爆音が鳴り続けるということを知る。

スタッフのお兄さんは、ごっついイヤーマフを手にしていて、それを小さな子供に当てたりしている。テッシュペーパーを耳に入れている乗客もいたので、それを真似て、ティッシュペーパーを小さく切り取り、丸めて耳に詰めると、心なしか爆音が小さくなった。こうして18時半前にセブに到着する。











てくてくと港を歩いていると、地元の人々の暮らす家が並ぶエリアがあり、その後、また暗くなったりして、治安に不安を覚えたので、ジプニーに乗り、近くのサンペドロ要塞まで向かう。

ここはスペイン統治時代に、イスラムの海賊などからの防御のために造られたというが、今となっては、芝生に憩う人々の集まる場所になっていて、暗い港から来た私たちに、陽気なイルミネーションが安らぎを与えてくれる。

ここからジプニーを乗り換えて、セブ・シティ最大のショッピングモール、アヤラ・センター・セブに向かう。ここには、無印良品もダイソーも、世界的ブランドがずらりと店舗を構えている。

フィリピン料理を食べたい私たちは、広大な敷地の中でフィリピン料理店、Max’s restaurantを見つけ出す。このショッピングモール内レストランの価格帯は、他のセブ・シティの食堂の価格帯と別次元にある。例えば、セブ・シティの食堂で100円のところが、ここだと、その10倍といった具合だ。

きれいな格好をした人々が多く、あとで聞いたところ、こういったモールに来られる地元の人々は限られた人々なのだという。

ガイドブックにフィリピン料理だと書かれているものが、必ずしもフィリピンの食堂でよく見つかるものだとは限らないものだから、こういった場所で「ガイドブックにフィリピン料理だと書かれているフィリピン料理」をオーダーする。











炭火で焼いた刻んだ豚肉をガーリックなどと炒めたシジリン・シシグ、ココナッツミルクと唐辛子で豚肉を煮込んだたビコール・エクスプレス、フィリピン風生春巻きルンピア・ウボットにライス。そして、Mountain Dewにミリンダ。きちんと、バナナでできたケチャップも添えられている。

フィリピンの地元の食堂のフィリピン料理は、日本でも食べたことのような味がするものだが、こんなふうに、専門店で「フィリピン料理」をいただくと、その特徴がきちんと輪郭としてとらえられて、そのどうにも不思議な味覚が浮き出てくる。

そうこうしている間に、外は豪雨となり、ジプニー乗り場には、再び長蛇の列。この雨では、ジプニーが来るかもわからないし、どれくらい並ばなければ良いかも分からないので、タクシーに乗って帰ることにする。

宿では、台風で被害にあったといわれているレイテ島で、スキューバの店を運営しているという日本人男性に会い、現地の状況と、フィリピンの話を聞き入る。