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キューバらしい街 – Santiago de Cuba, Cuba

キューバのカサ・パルティクラルの室内は一様に暗い。窓にスクリーンがかかっていたり、窓が家の外に向かっていなかったり、分厚い木の板が光を遮ったりしている。それでも朝は、近隣の家の開け放たれた窓から漏れ出る爆音のりのり系音楽と、人々の話し声で目が覚めた。人々は早々に家の外に繰り出している。

朝食はNancyさんの手作りだった。オムレツにトマト、チーズにパリパリとしたパン、オレンジやバナナ、そしてオレンジジュースと苦めのコーヒーであった。バターはふんわりとした卵の風味であり、チーズは豆腐のようでもある。備え付けのマスタードと蜂蜜はキューバ製であるが、チリソースは米国製、コーヒーの入った磁器ポットはブルガリア製であり、ミルクの入った磁器ポットはYAMASANと書かれた日本製であった。

昨日の誕生日会で撮った写真や動画を渡すためにEglisさんたちの住む別の家を訪ねる。パソコンはあるが、インターネットに個人宅でアクセスするのは違法なのだと言った。違法かどうかの見解は、人によってずいぶんとばらつきがある。いずれにしても、キューバにおけるインターネット利用は高級ホテルといった一部限られた場所でのみ可能であり、また高額なので、ほとんどのキューバ人はイントラネットとEメールのみを利用している。

Eglisさんのパソコンには既にEglis自身のデジカメで撮影した写真が入っており、子どもたちがそれを嬉しそうにのぞきこむ。

家には33歳のEglisさんの子ども三人と、一番上の娘さん15歳のボーイフレンドがいた。昨日のパーティでも集まった両親の若さに目を見張ったのだが、今日もEglisさんと娘さんボーイフレンドがほぼ同じ歳のように見えるから、驚いてしまう。

入口は質素なEglisさんの家も、三階まである。元気な犬のジェイクが常に興奮をしている。屋上では奥さんの趣味でmaracullaなどの家庭菜園が行われ、ココナッツもなっている。食べるための魚もプラスチック製の大きなタンクの中に飼われていた。

7月26日モンカダ兵営博物館を訪ねる。この兵営は1854年に刑務所として建てられたもので、1952年に政権についたバティスタの兵営であった。1953年にカストロ率いる革命軍が親米バティスタ政権打倒をかかげてこの兵営を襲撃するも失敗に終わりカストロも逮捕されたが、これがキューバ革命実現に向けて大きなきっかけとなる。

いまだその襲撃の際の弾痕がいくつも残っている。兵営前には、やしの木が生え、子どもたちがタコをあげており、電線にはいくつかのタコがひっかかって黒く垂れ下がっている。

Victoriano Garzon通りのフェスティバルを歩く。土曜日の夜のほうが盛り上がっていたのだと思うが、日曜お昼もモヒートやラムを飲む陽気な人たちがいて、わたしたちもお酒を勧められる。子どもたちは簡易遊園地で遊びまわり、音楽を聴くブースにはPanasonicのテレビが置かれている。

何匹もの豚が口から太い木で貫通され、くるくると回されながら焼かれていく。赤と白の縞々の服を着た男性はサポジラという実を売っている。ビールはCaciqueが20MN、Mayabe 18MNで売られ、BucaneroとCristalは1CUCで売られている。

わたしたちは屋台で売られていた魚とチップスを10MNで、アイスクリームを1MNで買って歩きながらバスターミナルに明日のバスについてを調べに行く。魚はあじフライであり、チップスはじゃがいも揚げ、アイスクリームはナッツ味の練乳風味といった具合で、シンプルな味が良い。

バスターミナルの後はどこからか連れられてきたマイケルさんにモロ要塞まで連れて行ってもらうことにする。青い車体の古びたその車はフロントガラスにひびが数多く入り、窓は木で落ちないように留められ、メーターは壊れて動かない。ブオオオオと大きな音を鳴らして出発すると、大きな身体のマイケルさんはサングラスをかけて、まるでバイクを運転しているかのごとく身体全体を揺らしながら、その車を運転していく。

モロ要塞は1950年代に海賊の襲撃を防ぐために基礎が造られ、1643年に完成したもの。撮影スポットにもなっているのか、花嫁がドレスを着て、撮影をされながら、時に花びらをまきながら、歩いていく。武器庫や礼拝堂、牢獄などがあるのだが、リアル人形が暗闇にむやみに置かれていたりして、こちらを仰天させる。

要塞の上からはカリブ海と半島を見渡すことができる。また日の入りに合わせて空砲をうちあげる儀式が行われた。白い服装にハットを被った7人の男女が一連の儀式を行い、空砲がうちあがると、「VIVA CUBA DE LIBRE」と叫んだ。

市内に戻り、中心地にあるカテドラルや、キューバで最も古い建物だと言われるサンティアゴ・デ・クーバを建設したディエゴ・ベラスケスの家、革命前はキューバのラムであった今やプエルト・リコのラム酒・バカルディの博物館を回る。

1844年に建てられた音楽会館で、1950年代以降トロバ音楽のコンサートが人気を呼ぶようになったカサ・デ・ラ・トローバでは、サンティアゴ出身だというGRUPO LA PASIONがライブを繰り広げている。ここは映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のコンバイ・セグンドなどを輩出した場所でもある。建物内でも外でもペアになって踊り出す人々が現れる。

行きすがりの人に教えてもらったLa Caribenaという個人宅を改装した屋上パラダールで夕ご飯をいただく。白身魚と海老やハムにチーズがのせてあり、ご飯やサラダ、バナナのフライ、プラタノ・フリートがついている。ビールはBucaneroにする。ここには表価格と若干安い裏価格のメニュー表があるが、いずれにしてもCUC払いの店である。サンタの格好をした店員ミュージシャンが時には音楽をひき、時には食べ物を運ぶ。

ここに連れて来てくれた男性は、わたしたちの食事の終わるのを待っていて、やはり何か報酬を求めているようだった。そして話しながら歩いている途中、セスペデス広場に近づた頃、「これから先、旅行者と話しているのが見つかると警察に捕まるから、これ以上はついて行けない」と言った。

セスペデス広場やドロレス広場はバンド音楽で多くの人々が集まっていた。風は涼しく、おじいちゃんもおばちゃんも、おかあさんも子どもも一緒に組んで踊り始める。

旅行者と一緒に食事やお酒を飲み、ご馳走をしてもらう。
旅行者に情報を与え、報酬を得る。
商店にある品物の数は少ないが、24時間オープンのカフェテリアも存在する。
そして同時に明るく腰をふりながら踊り続ける人々が、ここにはいる。