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辺野古の今と神のいるところ - Okinawa, Japan

宿には、「沖縄古語大辞典」や「時の眼ー沖縄―復帰40年の軌跡」 などの本がどっさりと積まれていて、棚には、酒やらやちむんが並んでいた。

シークワーサーをかじった後、車に乗って、ジュゴンの見える丘に向かう。宿で教えてもらっていなければ辿り着けない場所にあった。














車で入れなくなる場所から、車を降りて、すすきやらが生い茂る小径を歩いていく。足元は両脇、遥か下まで、崖であったりする。15分ほど歩いたところで、とたんに芝生の広場に出て、そこから、ぱっとエメラルドグリーンの海が広がっていた。












見渡す限りの海は太陽の光をきらきらと浴びていて、きっとここには神様がいるのだろう。12月とは思えない暖かな日差しだ。草むらに寝そべり、風と海の音を感じる。

この辺野古への基地の移転が検討をされている。












辺野古への基地移転問題に対して、座り込みをしている場所があるとのことを宿で伺って、車で向かってみる。辺野古のメイン通りから集落を越えて、海沿いにいったところに、テントはあった。泊まった宿は、基地移転反対派の活動拠点にもなっていたようだが、年末年始は人々は帰省していて、座り込みも少ないだろうと聞いていた。

集落とキャンプシュワブの間には、網格子がそびえたっている。
そこには、「子どもたちに平和な未来を」「沖縄は屈しない!」といった布が張られていて、その合間に、物を取り付けたり貼り出したりすれば、日本国警察に通報するといった内容を英語と日本語で書いた看板が貼られている。











年末は座り込みもないかもしれませんね、と聞いていたものの、一つのテントには、女性たちがいて、来訪者に熱心に説明をしていた。壁には新聞の切り抜きや、チラシなどが所狭しと貼られている。











夏にも巡回船を出して抗議活動をおこなっていたという女性が、私たちに丁寧に説明をしてくれる。

沖縄知事に安倍首相が面会しようとしなかった、
ジュゴンの食べ物である海草の生えている場所や珊瑚礁を壊して、埋め立てを行い、滑走路を作ろうとしていること。
普天間から辺野古に移す目的の一つは、普天間が市内地にあり、世界一危ない基地だと言われていたからなんです、と加えた。

テントの前には、座り込みが3908日目だと書かれている。

自分たちの運動が、沖縄の民意を変化させ、それが県知事選の結果にもあらわれ、政治を変えていったこと、基地があることによる経済効果は、ほとんど見込まれないということ。

わたしたちにできることはないですか、と聞いたら、この現状を多くの方に伝えてくださいと言った。

わたしたちは、辺野古から一気に那覇に車で戻った。

車を戻した後、国際通りにあるブルーシールに入る。

おすすめをしてもらった、ウベと塩ちんすこうのアイスクリームをシングルでオーダーして、食べ歩きをしながら、駅まで向かう。モノレールとバスで、琉球最高の聖地だと言われる斎場御嶽を訪ねる。

先ほどの辺野古周辺とはうってかわり、
観光地と化した世界遺産の聖地は観光客がたくさんいた。

琉球創世の神、アマミキヨが国始めに造った七御嶽の一つといわれているという。















自然の中に、神様がいる。人の流れが途切れると、そこには確かに静かな時間が流れていた。

夜ご飯は、以前の沖縄旅行でも訪ねたまんじゅまいで、ふーちゃんぷるーと、じーまーみ豆腐、グルクンの唐揚げをほおばる。

閉店すれば、移動をして、近くのお食事処三笠で、おすすめの沖縄風チャンポンをいただく。三笠は、全員男性客で、いかにも地元に愛されているお店だった。