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ハバナに住んでいた人と、住んでいる人。 - Havana, Cuba

朝、朝食をとっていると、眼科医であるお母さんがきちんとした格好をして出勤していく。

今日はハバナ大学スペイン語コース初日である。ハバナではバスも走っているが、そのサービスは地元の人も閉口するものなので、我慢してバスに乗るか、歩くか、タクシーに乗るかという選択肢となる。

そもそもそんなバスには乗らずに10MNで乗れるタクシーに乗るという地元の人もいれば、1時間ほどバスを待って挙句の果てにバスが停まらずに通り過ぎて行ってしまっても次のバスを待つという地元の人もいる。

同じ家に住んでいるカリフォルニア出身でベルリン在住経験のある、歌手のジェシーちゃんも今日から大学に行くというので、一緒に歩き始める。家のお母さんは20分ほどで到着すると笑っていたので、甘く見ていたら徒歩で1時間ほどかかった。ハバナは、やはり大都市。大きいのである。

午前中はコースの説明と試験だけである。その試験の途中に、お誘い先生たちが現れた。大学でも教えている先生たちが、「大学は高いからわたしのプライベートレッスンを安くで受けないか」という売り出し文句を天真爛漫に提示してくれるのである。

ハバナ大学は1728年設立のキューバで最も歴史のある大学で、法学部、心理学部、経済学部などがあり6,000名がハバナのキャンパスで学んでいるのだという。医学部は6年間、その他は5年間のコース。Acula Magnaと書かれた建物にはショートパンツをはいた学生は出入り禁止ということで、何やら重々しい建物も、ある。

一通り大学の案内を受けた後、また1時間程歩き、旧市街にあるパルタガス葉巻工場へ向かう。工場に入ることはできなかったが、葉巻ショップには入ることができた。葉巻の他、湿度計のついた葉巻ボックスや灰皿なども売られている。

そして片隅で、赤くマニキュアをほどこしたふっくらとした女性が葉巻を巻いている。比較的大きな葉を広げ、小さく切った葉を細く数本まとめて、丸めこむ。太い刃で片方を切り揃え、木の型に入れて、形を作る。型ができたら、また葉で包み直し、口のあたる箇所も含めて滑らかに整えていく。

1929年建築の米国国会議事堂をモデルに作られたという旧国会議事堂やキューバ・クラシックバレエの本部であるガルシア・ロルカ劇場を見た後、屋台で焼肉ハンバーガーを食べる。

加えて、周りのおじちゃんたちが揃って飲んでいたモネダ・ナショナル系(MNで購入する)Polarビールをまねて、いただく。フルーティーな甘みがふわっと口に広がるも一瞬にしてそのふわりが消えていくビールだった。

そのうちに、日本語を勉強していて、今はCubanacanという国営旅行エージェンシーで働くライネルくんに声をかけられる。以前はNacional de Cubaホテルで庭師をしていたと言う。

キューバは「仕事を選ばなければ、仕事はある」と言った。ガイドとしてもキューバ各地を回っていて、仕事は楽しいのだそう。現在、キューバではCUCを得られる観光業が一番所得が高く、それは医者以上だったりもする、と話してくれた。医者や弁護士のお給料が高いということは、キューバでは、ないのだ。

キューバは人が優しくて好きだと笑う。結婚をしてもすぐに離婚をする周りの人々を見て、最近は結婚をしないキューバ人が増えてきたのだという。31歳のライネルくんも、女の子には不自由しない様子で、女の子からもナンパされるらしい。

配給制度は今もあり、毎月1度、地域特定の店で米(3kg)、油、塩、砂糖、豆、スパゲティ、コーヒー、卵(10個)、鶏肉(0.5kg、 70センターボ)が格安の合計70MN程度で買えるが、石鹸などの配給は今は無いのだと言った。卵は割れやすいので卵以外は1か月に1回まとめて買ってしまうので、重くなるのだそう。

ライネルくんと別れた後、セントラル公園のホセ・マルティ像を通り、オビスポ通りを抜ける。お友だちに教えてもらっていたカヒータという紙箱に入ったランチボックス、他の都市では見つけにくかったが、ここでは簡単に見つけることができる。頼んだカヒータにはチャーハンが入っている。ハバナはやっぱり他の街とは、違う。

オビスポ通りにあるヘミングウェイの常宿だったホテル・アンボス・ムンドス、511号室に入る。エレベーターの扉は手動式である。1925年開業のオレンジ色のホテルで、ヘミングウェイは1928年に初めてここを訪ね、1932年から39年の間、アフリカを含めた他の国とこのホテルを行き来していた。 

「Green Hills of Africa」と「A death in the afternoon」はこの部屋で執筆された。ちょうど良い大きさの部屋にシングルベッドが置かれており、ヘミングウェイの使っていたタイプライターや釣りざお、ルイ・ヴィトンのカバンが展示されている。

このホテルは彼のお気に入りの場所へのアクセスも良い。そして、この部屋の窓からは要塞群が見える。テラスもあり、一つ一つが気取らずに、洒落ている。

アルマス広場、ギリシャスタイルの寺院El Templete、1704年建立のカテドラルや1720年に建てられたコロニアルアート博物館を見て回り、ヘミングウェイの通ったというラ・ボデギータ・デル・メディオに入る。レストランはがらりとしているが、バーは音楽もかかり、大変な盛り上がりをみせている。Nat King ColeやNicolas Guillenがかつて座ったテーブルも保存されている。

夜ご飯は豚焼肉とチャーハン、サラダセットとクロワッサンにハムとチーズをのせてあたためてもらったものをいただき、タクシーで帰ることにする。

タクシーは、1955年のフォード車、モーターは韓国のヒュンダイ製だという真っ赤な車で、ハバナを東から西へと飛ばしていく。運転席には、友だちがいるというカナダの国旗が置かれていた。