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カサ・パルティクラル営業マンと、お医者さんの生活 – Havana, Cuba

ハバナ大学は毎月最初の月曜日からコースを開始している。12月は5日からで、昨日はクラス分けテストとコースや大学の説明で、授業は今日からである。

今朝も同居歌手ジェシーちゃんと家からてくてく歩いていく。米国人がキューバに入国するのにキューバ政府側は拒否をしないが、米国政府のほうが難色を示すらしい。たとえば米国人が第三国を経由してキューバに入国することに対して、キューバ政府のほうはダメだとは言わないのである。

ジェシーちゃんの腕には「混乱」、脚にはアニメのキャラクターがほられている。背中にはカリフォルニアで彫られた日本語の「道程なくして目的地は有り得ず」。

わたしたちが入ったクラスにはデンマーク、スリランカ、カナダ、ノルウェー、米国人などがいて、中には既にぺらぺらのクラスメートもいる。数年キューバに住む予定の人や留学、大学入学までの休みの人など、背景はばらばらだ。9時から12時半まで30分の休憩の他は頭フル活用である。大学は、日差しが降り注ぎ、キラキラしている。

午後は大学の先生から個人的に紹介された別のカサ・パルティクラル(宿)、「先生紹介物件」を見学しに行こうと思っていた。

授業が終わり、キャンパス近くにあるカフェテリアCachaでチーズののったピザをかじり、Batidoという麦とチョコにミルクを合わせたようなスムージードリンクを飲みながら歩いていると、ハバナ大学で心理学を勉強しているというAlbertoくんに声をかけられてた。近くのカサ・パルティクラルを紹介するから見に行かないかというお誘いである。

一軒は細長い作りの家の二階にリビング、キッチン、ベッドルーム、バスルーム、テレビに電話などがついていて、煙草の匂いがぷんぷんするおじいさんがオーナーであった。

もう一軒も細長く、壁中に絵の掛けられたカラフルな部屋とバスルームがついている、ポップなお部屋である。こういった紹介をして成立すると、一日に例えば5CUCほどが紹介人の懐に入る、と聞いたこともある。街を歩ければ、あちらこちらでカサ・パルティクラルの紹介営業人に話しかけられるのだ。

それでも、Albertoくんは誠実な男性だった。「キューバでモノを買うときに値段を聞いちゃいけない。必ず旅行者価格を提示されるから。キューバの友だちを作って、現地の価格を知って、買わなきゃいけないよ。」

よくキューバの人が買っているコッペパンのような太く長いパンは、1つ15センターボで買えるんだよと言って、わたしたちに買ってくれた。

キューバでは、声をかけてきた道行く人についていくと、果てに飲み物をごちそうするようねだられたりすることも多い、と聞いていた。Albertoくんは最後の最後に本当に申し訳なさそうに言った。

「大学で論文を書くためにUSBが必要なんだけれど、持っていない?キューバで買うと20CUCするんだけど、手元に10CUCしかなくてどうしても買えない。USBがないと、先がないんだ」と首の前に手で直線をひく。そして加えて言う。「ダメならいいんだ。こんなこと聞いちゃってごめんね。」キューバ人の平均月収は240MN=10CUCなのである。

その後、わたしたちが身の回りの必要品を買いにCUCの商店に立ち寄ると「お母さんの誕生日が近づいているから、石鹸を買ってもらえないか?ダメならいいんだ。」彼のお財布にはCUCもあるが、家に帰るだけのお金しか入っていないのだと言う。商店で、わたしたちは石鹸をプレゼントすることにした。

彼がこうしてお願いをする中にも、いくばくかの恥じらいと多くの遠慮を感じた。

Albertoくんとお別れをした後に、「先生紹介物件」を見に行こうとまたてくてくと歩いていると、Salon Rojoというクラブのチラシを配っている男性、Miguelくんがいて、弟が大使館で働いていて日本人女性と結婚して博多に住んでいるという。そしてMiguelくんは言う。「カサ・パルティクラルを探しているなら、友だちの家を紹介するよ。」

Miguelくんについて、その物件を見せてもらう。Claraさんという女性のその家は、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」も撮影された大きな空き地の近くにある。その空き地には有事のための避難防空壕トンネルもあるが、子どもたちが入り込んで問題になったこともあり、今は閉じられているのだという。

大きな庭のついた家がならぶ落ち着きあるVedado地区において、Claraさんの家のまわりは少し違った雰囲気に囲まれている。大きな道から狭い路地を通り、吠える犬を通り過ぎ、開け放たれた窓から爆音音楽が流れ、家で話す人々の声がもれ出る場所の一角に、ある。

Claraさんはわたしたちが思い描くいわゆるキューバ人といった外見の肌の色の濃い女性で、歯の抜けた笑顔のかわらしい女性だ。家の2階だけカサ・パルティクラル用に改修をしたような新しさで、Claraさんがテレビやベッドなどをまさに準備をしているようなところだった。

でも、わたしたちは、もともと約束をしていた「先生紹介物件」になんとか辿り着かなければならない。

Miguelくんに別れを告げるとこういった。「子どもに買うミルクはCUCでないと買えない。5CUCほどで買えるから、買ってくれないか。キューバ人がMNからCUCに換金できるのは9時から15時までだから、もう時間が遅くて換えられないんだ。」

キューバ人は外国人旅行者と話をするのは禁じられているが、警察に聞かれても友だちだと答えれば問題ない、と言う人もいる。一方で、外国人旅行者と話すのは違法でもなんでもない、と言う人もいる。

さて、今度こそ「先生紹介物件」に辿り着こう。またてくてくと歩いていると、道行く男性に話しかけられ、言われる。「食べるものを買いたいから1ペソください。」

「先生紹介物件」である、Enriqueさんとマルタさんの家は心地よいものであった。そして言う。「他のカサ・パルティクラルと比べたかったら、慌てなくて大丈夫だからね。」

今住まわせてもらっているカサ・パルティクラルは、大きな家に選ばれた古き良き家具が置かれており、申し分ない。ランドリーサービスまでつき、毎日ベッドメイキングまでしてくれる。

今のカサ・パルティクラルは、月金の週に2日は家の掃除にお手伝いをつけているが、その他はお父さんのMarceloとお母さんのDulceさんによって手作業で行われている、という。ランドリーサービスは、お父さんが自ら洗濯機をかけ、丁寧に折りたたみ、洒落た棚に整然と並べられていたりする。ベッドメイキングもホテル並みの美しさである。

それでも明日は「先生紹介物件」に移ってみることにした。

今日の夜はDulceさんの夕ご飯をいただくことにする。牛肉の煮込みに白いごはん、ポターヘ・デ・フリホーレス(黒豆のスープ)、プラタノ・フリート(バナナのフライ)、に野菜の炒め物。通常キューバ人は牛肉よりも豚肉を食べるというが、ご馳走を出してくれた。キューバの人は、このスープをご飯にかけて食べている。

Dulceさんは、夫のMarceloさんと仲良く支度をしてくれた。このカサ・パルティクラルを始めて3年。医者としての収入では少なすぎるので始めることにしたのだという。月金の週二日、朝9時から2時頃まで働くお手伝いさんに払う給料が、Dulceさんがフルタイムで眼科医として働く全給料と同じだというから、経済システムがおかしなことになっているのだ。

お手伝いさんに払う給料はその仕事の相場だという。キューバで医者として働く給料がひどく低いのだ。

ハバナ大学でジャーナリズムを勉強しているという英語がネイティブ並みの娘さんも言う。ジャーナリズムを勉強したら新聞社やテレビ局などで働くと言うが、その給料は、高校を卒業して中古家具の修理をして再販売をしている友人の3分の1程になるだろうと言う。でも収入は関係ないと今は思っているから、と幼い頃1年インターナショナルスクールに通った他は独学で学んだという流暢な英語で言う。

この家はもともとMarceloさんの持ち家である。今年秋から住宅や自動車の売買も解禁された。テレビではベネズエラのニュースが流され、ブラジルのメロドラマが人気を博す。
キューバが、変わっていく。