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キューバの象徴 – Havana, Cuba

先生からスペイン語個人レッスンの天真爛漫なお誘いを受けていたので、今日から大学に行くのではなく、午後の個人レッスンに切り替えることにした。束の間の学生生活は、ハバナ大学という場所で輝いていたから、ほんのり名残惜しい。

先生はキューバ人に18年、外国人に20年間スペイン語を教えている64歳のベテラン先生である。

レッスンまでに時間があったので、窓の開けられた明るいハバナ大学の図書館でしばらく勉強をしてから、キューバ到着初日に見た革命広場の内務省の壁にあるチェ・ゲバラとカミーロ・シエンフエゴスのモニュメントを見に行く。

「Hasta la victoria siemple(常に勝利に向かって)」と書かれたチェ・ゲバラのモニュメントの前で、ゲバラの格好をまねたおじちゃんが記念写真を撮り、軍人が歩いている。隣の情報通信省の壁にはカミーロが「Vas Bien Fidel」という文字とともに広場のほうを向いている。そして、1996年に建てられた高さ109mのホセ・マルティ記念博物館がそびえたっている。

この「革命広場」というたいそう立派な名前の広場も、アスファルトのだだっぴろい空き地のようで、陥没している箇所さえある。そのあたりもキューバはどことなく良いのである。

裏手にグラウンドがあり、野球に励む大人たちの姿があった。わたしたちはNestleのCrocantyというチョコクランチアイスをほおばりながら、それを眺める。

キューバでは、日本の野球はよく知られている。レストランのテレビではよく野球試合の中継が流されていて、キューバでは野球が小学校から大学まで必修科目なのである。

個人レッスンを受けるにあたって、移動した「先生紹介物件」のお父さんは以前はエンジニアであり、その後ホテル・プラザのバーテンダーなど様々な仕事をこなした後に退職、今は家でカサ・パルティクラルを営んでいる。お母さんは障害のある子どもたちにカウンセリングなどを行っており、今大学院で勉強もしている。子どもは息子と娘がいて、息子さんはテレビで司会なども行う有名人なのである。

授業の後は中華街で夕食を食べるために古い形の乗合タクシーに乗り込む。ライトアップがほどこされた旧国会議事堂のそばにある「華人街」と書かれた大きな門をくぐると、右手に既に閉鎖されて久しいとみられるHOTEL NEW YORKと書かれたホテルがある。米国議事堂をモデルにした旧国会議事堂と、華人街の門、廃墟と化しているHOTEL NEW YORKが、同じ視界の中に入る。

ぐんぐんと進んでいくと、ようやく一角に中国語の書かれた看板をかかげる店が数件連なっているのが見えてくる。

キューバは食事がいまいちだと聞いていて、「困ったら、メキシコからもってきたカップラーメンか中華街に逃げ込むべき」 – 確かに、屋台があふれるような国では決してない。店に入ってもあるのは豚や鶏肉を炒めたものにご飯やサラダ、フルーツがついているものか、小さな商店でチーズやハムをパンにはさんだものやピザといったぐらいしか見当たらない。

それでも、思いのほか、中華街に逃げ込まずに済んできた。十分食事を満喫しているキューバである。

中華街では中国の人はあまり見かけず、店員もキューバの人が圧倒的に多い。
道を歩いていると、熱心に声がかかる。天壇公園という店が、中華街で唯一シェフが中国人であると店頭営業マンは言う。

中華街という名のつくその一角は子どもたちが踊ってみせたり、獅子舞が太鼓などと共に練り歩いて客をひきつける。いくつかのレストランと数軒の店があるほかは静かな場所である。

客引きはどこも熱心で、中華の他にピザやパスタなどのイタリアンを置いている店も多い。中華料理だけで一店舗を作るほどのメニューが揃えるのが大変らしい。わたしたちはLong Sai Liという店を選び、入る。

チャーハンに、お好み焼きのような味のする春巻き、揚げせんべい、酢豚という名の甘い豚肉のセットをオーダーする。キューバでよく食べる大きな肉とは違い、各食材が細かく切られている。フレンドリーな店員さんたちは、わいわいと野球観戦をしている。

そこからほど近い場所に、ヘミングウェイがかつて通ったフロリディータというバー&レストランがあるので、入ってみる。今日もライブがあり、今日も客であふれている。

ヘミングウェイが座っていた場所に、今は実物大の像が置かれている。木のカウンターに座り、ヘミングウェイが飲んでいたという、砂糖抜きのダイキリ、パパ・ヘミングウェイをオーダーする。

ラム酒のハバナクラブにグレープフルーツ、マラスキーノというリキュールをミキサーで混ぜるのだが、その音が見事に大きいのである。それが、少し湿気たバナナチップとともに提供されるのである。

格好をつけすぎない雰囲気や味が、かえって日常の酒という感じで具合が良い。ヘミングウェイが日常普段使いで飲んでいただろうことが容易に想像できる。

バーテンダーの後ろには「THE CRADLE OF THE DAIQUIRI」と書かれている。