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そこはかとなく、味わい深い海辺の町 – Trujillo, Honduras

朝起きてみると、昨日の大騒ぎはいつの間にか落ちつきをみせており、鳥のなく声が聞こえてくる。あとは宿のオーナーの部屋から流れてくるサッカー中継が聞こえてくるだけだ。

身体を休めながらも、せっかくのクリスマスでもあるので、外に出てみる。宿からまっすぐに続く道はひっそりと静まり返っている。

中央公園を抜けて、海に出る。波は穏やかだが、濁っていた。椰子の木が点々と植えられている間にごみは散らかり、豚がそれをもくもくと食べていたりする。

それでも、地元の人たちはオーディオ機器を砂浜に置き、明るい音楽をかけている。暑くない中、泳いでいる人たちがいる。犬があちらこちらにいて、ある犬は、飼い主とともに、走っていく。

水色の格子のワンピースを着て、頭にはピンク色のタオルを巻き、その上に大きな黄色のプラスチックの器を乗せているガリフナ族のおばちゃんがいた。本人が作ったというパン・デ・ココを買って、砂浜に座り、少しずつ、齧る。パンそのものは、気取りがなく、手をあげて美味しいと言えるものではない。

でも、それがこの町やビーチと同じように、そこはかとなく、味わい深い雰囲気をかもし出している。

ガリフナ族の主な居住地区は分かれているようで、ガリフナ族の食事が食べられるレストランはあちらだとそのおばちゃんは口をへの字にしたまま教えてくれる。

次第に町は肌の色の濃い、ガリフナ族の人々がほとんどとなった。

言われる方向に歩いて、また軒先でおしゃべりを楽しんでいた女性にどこか食事のできるレストランはないかと聞くと、Cocopandoに行けばよいと言う。

Cocopandoでは、食べたかったMachuca con Pescadoがあった。ココナッツのスープに揚げられた魚が入れられている。そしてバナナをすりつぶしたものが大きな団子状になって、ぽんと皿に置かれている。ココナッツのスープは、甘く濃厚で、あたたかなスープが、具合の悪い胃腸を優しく満たしてくれる。

バナナの団子は、そのままでは格別な味はないのだが、それをココナッツスープに入れると途端にまったりとした味わいとなる。

店を出ると、おっかないマスクをかぶった男性がぴーぴーと笛を吹き、周りを騒がせ始めた。オイルを塗った黒く輝く身体に金のネックレスをつけたガリフナ族の男性で、Indio Barbaroというらしい。笛を吹きながら、お金をせびるのだが、周りの人だかりはそれを嬉しそうにきゃきゃと眺めている。

そうこうしている内に雨が降り始め、中央公園とカテドラル、そばにあるサンタ・バルバラ要塞を見に行く。要塞の前に広がる草を馬が雨に打たれながら、かまわずに食んでいる。

宿に戻ってみると、昨日の爆音ライブの会場からは、再び、でも昨日のクリスマスソングとは変わり、Unchained MelodyやらHotel Californiaといった有名どころの曲が大音量で流れている。オーナーは、のんびりとハンモックに横になりながら、それを聞いている。

わたしたちの宿のオーナーも負けず劣らず見かけに迫力のあるおじさんだが、それでもその大音量に文句ひとつ言わず、テレビの音を消して画面をじっと見ている。

そんなトルヒーリョから首都テグシガルパまでの夜行バスが出ているという話を町の人に聞いた。聞いた中央公園付近という漠然とした場所で、聞いた12時から12時半ころという漠然とした時間に、バスを待ってみることにする。

橙色の灯りがついた公園を、若者たちが数組横切っていく。
近づいてきたタクシー運転手は、ここにはバスは停まらないから、ターミナルまで自分が運転するので、乗りなさい、と言う。

でも、わたしたちは聞いていた町の人の話を信じることにした。漠然とした場所で待っていると、確信に満ちたふうの地元の3人が歩いてきて、同じ場所でバスを待っていることが分かる。

こうして、夜中の12時20分頃、テグシガルパ行きのバスが海辺のほうから前照灯をつけて、近づいてきた。