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日本からペルー・リマへのEMS配達事情 – Lima, Peru

日本からペルー、リマへEMSで荷物を送ったとき、こんなふうに飛んできました。

2月10日 22:09 引受 / 東京都
2月12日 3:29 国際交換支店から発送 / 東京国際支店 東京都
2月15日 2:49 国際交換支店に到着 / LIMA EMS PERU
2月15日 8:00 お届け先にお届け済み PERU

最新施設のピロリ菌検査と、崖の上の高級住宅地 – Lima, Peru

朝からピロリ菌の血液検査を受けに、バスに乗って、「警察通り」という警察の多い道を通り、クリニカ・サン・フェリペの中にあるRoe Laboratorio Clinicoへ行く。

そこは近代的な建物であり、中にはカモミールティーなどのティーバッグも用意されている。しかもWi-fiゾーンだと書かれている。からっぽのお腹に温かなカモミールティーがじんわりとしみる。

そのうちに小部屋に通されて、慣れた手つきで注射をされる。そして、明日の17時にはインターネット上に検査結果が出ていますので、それを確認してください、といい、ログイン用のユーザーIDとパスワードが手渡される。

昼食後に飲む薬があるので、注射が終わってから、近くの中華料理屋Kuon Whaで昼食をいただくことにする。赤い門に赤いテーブルクロス、赤い壁掛けなどがかわいらしい。

鶏のささみと細麺の入ったワンタンスープと野菜と鶏肉のあんかけ麺のセットを注文し、少しずつ、おそるおそる口に入れていく。

客の多くが大盛のチャーハンを選び、インカ・コーラの瓶をテーブルに置いている。中には、わたしたちが栄養ドリンクとして薬局で買ったfruttiflex1リットルのボトルを懐から取り出して、グラスに注ぎ込む客もいる。

そこから、リマの当山ペンションに立ち寄る。パソコンのハードディスク交換にあたり、日本のパソコンの神様からEMSで送ってもらっていたDVD類が無事に届いたのだった。リマは南米でも比較的配達事情が良い。このペンションもまた、満室だといい、荷物の受け取りだけをお願いすることとなった。

そこからバスに乗り、新市街であるミラフローレスへと向かう。

噴水のあるOvaloから、高級ホテルやレストラン、アルパカの服を売る高級服屋、カジノなどの並ぶラルコ通りを歩き、海に面したショッピングモール、ラルコ・マルまで歩く。道を歩く人々もどこかしら落ち着き、洗練された装いをしている。

そんな街角にも、果物を山積みにした台車が見られる。

ラルコ・マルには、映画館、QUIKSILVERやノースフェイス、久しぶりに見るスターバックス、T.G.I.フライデーズ、オープンカフェや寿司バーなどもある。

そこから、海岸沿いの崖の上に伸びる道沿いを歩き、「恋人達の公園」まで行く。

空は霞み、海と雲の境目がぼやけている。
陸ではスケートボードにのった男性たちが技を磨き、海ではサーフボードにのった人たちが波を待っている。

恋人達の公園には、キスをする男女の大きな像がある。日の沈む時間、恋人や家族、友だちどうしでそれぞれに海を眺めている。

太陽は、赤くなり、一度黄色く色を変えた後、再び赤くなって沈んでいく。

海沿いの道にはスピードをゆるめた車が渋滞をつくっている。
崖の上には高層マンションが立ち並び、ところどころについた灯が豊かさをかもしだしている。

遠くの岸には、黒くなった丘に十字架がライトアップされている。そのまま海を眺めながら、崖の上にしかれた道を歩いて灯台まで行き、それからサンタ・クルス通りまで歩いていく。

サンタ・クルス通りからバスに乗り、宿より一駅手前で降りてスーパーPlaza Veaに立ち寄ってから宿に帰ることにする。既に20時半をまわろうとしているのに、スーパーは多くの人がレジに列を成し、カートに商品を大量に載せている人も少なくない。

先生からお勧めをされていた食材をそのままなぞってかごに入れる。グラナディージャ、ペピーノメロン、マルメロのジャム、アボガド、カモミールのティーバッグに、スーパーお手製の全粒粉パン。

夜はカモミールティーを淹れて、アボガドやグラナディージャといただくことにする。

お腹がいたくなったら。 - Lima, Peru

朝起きて、オレンジジュースや、林檎、お気に入りのグラノーラにミルクをかけていただくも、どうもお腹の調子はよくならない。ナスカにいたときから調子がよくないので、まともな食事もとれずに、ふらふらとしてくる。

そこで、加入している保険会社の提携病院がリマにはあるので、まずはそのクリニックに電話をかけてみる。流暢な日本語を話すフアン・ホセ・ボニジャ先生が応対する。

お伺いさせていただきます。

バスに乗って、軍人病院で下車し、閑静な住宅街を歩く。こいのぼりがかけられている家もある。しばらく迷うこと20分、看板のない先生のクリニックが、落ち着いた雰囲気をもって構えられている。

どうぞと招き入れられ、名刺を渡される。そこには日本語でこう記してある。

フアン・ホセ・ボニジャ
岐大・消化器系・阪大医学博士
和西公認翻訳者
JICAペルー顧問医

基本的な情報から、仕事、リマの滞在日数、旅のルート、家族の病歴などの質問がある。そして、横になって体温や血圧を測定し、診察を受ける。

生野菜、生魚が原因かもしれません。果物は皮をむいてくださいね。農業に使う水が下水であることもあるので、極力生野菜など生のものは避けたほうがよいです。

食事は以下のように気をつけてください。

避けたほうがよいもの:ラクトースを含むミルク、ヨーグルトやアイスクリーム、豆類、ソフトドリンク、コーヒー、アルコール飲料、チョコレート、カカオ(ココア)、調味料、揚げ物や炒め物、煙草

豊富にとったほうがよいもの:皮をむいたフルーツや野菜(キャベツ、カリフラワー、ブロッコリは除く)

飲みもの:2リットルの水やフルーツジュース。

夜の9時以降は重い食事はとらないでください。
昼食や夕食の後は10分から15分の散歩をしてください。
パンは白パンよりもトーストしたパンや全粒粉のパンが望ましいです。

お茶:カモミール、レモングラス、コカ、boldo、matico。
  
果物:グラナディージャ、マルメロのMazamorraやマーマレード。砂糖が多少多いぶんには気にしなくて大丈夫です。

りんごは、赤りんごよりも緑りんごのほうがよいです。

それから、野菜をゆでたものに塩をふった野菜スープも身体によいですよ。

そういってグラナディージャをはいどうぞと出される。

薬を近くの薬局屋で買ってきてください。
1.抗生物質CiprofloxacinoのCiproflox 10錠:1日2回、5日間
2.電解質などを含む栄養ドリンク、frutti flex2リットル:1日1リットルの水とfrutti flex1リットル、合計2リットルを飲んでください。
3.ビタミン剤であるMucovit:昼食の後に1錠、10日間分です。

そう言ってiPadを取り出して、薬局屋や、必要書類をコピーするためのコピー屋の説明をする。

日本の岐阜、美濃など合計7年ほどを日本で過ごしていたという。腹痛以外にも高山病などに罹り訪ねてくる日本人患者もいるという。

薬を飲めば2、3日もすれば良くなると思います。それから12月末に同じ症状があったということはピロリ菌の疑いもあります。今後のことも考えて明日、Roe Laboratorio Clinicoに行って、検査をしてみてください。

そしてわたしたちを送り出すときに、言う。
はい、どうも。失礼いたしました。

バスに乗って、宿へ帰る道、マウロさんの働く酒屋も通る。マウロさんはわたしたちを見て、にっこりと笑顔になる。今日も元気で働いていた。

夜は、林檎の皮をむき、小さく切ってかじる。あとは、抗生物質の薬と、いちご味とアニス味のある、美味しいとはいえないfrutti flexを飲んで休むことにする。

リマのがやがや旧市街 – Lima, Peru

朝食は、マンゴーを切ったものと、グラノーラにtutty fruttiのヨーグルトをかけて食べる。

リマの旧市街を歩きに行こうと昼ごろに外に出ると、強い日差しでくらりとするほどだった。ブラジル通りを走るバスに乗る。暑い昼のリマでは、バスの中にアイスクリームやらドリンクやらを売りに乗り込んでくる人がひっきりなしだ。

Abancay通りの中華街近くで下車をする。同じ「世界遺産の旧市街」であっても、エクアドルのキトとは違って、リマはがやがやと商売の音があちらこちらから聞こえてくる。

道の片隅で靴を磨く人も、アイスクリームを売る人も、音楽を奏でる人もいる。

バス停から中華街に向かう途中に中央市場がある。赤褐色の大きなオリーブの実やチーズのかたまりや、頭と手足の先は切り落とされ、しっぽの先の毛が残された山羊、そしてハタやニベ、アジやサバ、カツオの卵やセビーチェ用の海鮮類といった水産物が売られている。ペルーは水産大国なのであった。

食堂も併設しているものの、相変わらずお腹の調子が低調なままのわたしたちは食事をとることを諦め、市場を出て向かいの中華料理店のスタンドで売られていたチチャ・モラダを買って、飲むことくらいしかできない。

そうこうしているうちに、「中華坊」と書かれた、赤い柱に緑の瓦をつけた中華街の門が見えてくる。リマには赤い提灯をぶら下げた中華料理店が町のあちらこちらに見られ、そしてまたレストランや小さなショッピングモールを備えた中華街も存在するのである。

どろりとしたシロップをかけたかき氷を売る店の前には、行列ができている。ハワイの首飾りが流行っているのか、青や黄、赤、ピンクや水色といったカラフルな首飾りをわんさかと身体にまきつけて売る女性たちが町を練り歩いている。

そこからアルマス広場へと向かう。てっぺんに十字架をさしたサン・クリストバルの丘のふもとには、濃いピンクや緑、水色といった家々が立ち並んでいる。

真っ白な国会議事堂の周辺には多くの警察官が配されているも、日本語で話しかけられたり、アイスを食べたりしていて、のんびりとしたものである。

アルマス広場とサント・ドミンゴ教会・修道院の間にあるLa Casa de la Gastronomia Peruana前にいくつかのオープンカフェが並んでいる。その中で、”Healthy Restaurant”と銘打った「La Otra Salsa」という店があり、健康になりたいと、そこで食事をとることにする。

お勧めをされたSopa a la Minutaをオーダーする。ほんの少しぴり辛のクリームトマトのスープに牛肉とパスタを入れ、上に目玉焼きをのせたものにパンが添えられている。トラックの運転手によく食べられているという食事だそうで、身体がぽかぽかと温まる。

それから1549年に建てられ、過去の地震にも耐えてきた薄い桃色のサント・ドミンゴ教会・修道院を訪ねる。スペイン製の青タイル、Azulejosも残されている。

その後、印刷所の立ち並ぶ道を通り、ラス・ナサレナス教会へと向かう。この教会は、「キリストの受難像」という有名な壁画が祭壇にかかげられ、淡い色彩で十字にはりつけられたキリストが描かれている。教会内には告解室がいくつか設けられ、人々が列をなしている。

教会の周辺には今度は眼鏡専門店が立ち並ぶ。日本語らしい名の、中はまるでペルーのレストランも存在する。日系の人々が経営しているのかもしれないと想像を、する。

サン・アグスティン教会は、過去の地震により修復を繰り返してきた教会であり、無事に残った入口のチュリゲーラ様式の装飾と比べて、中はシンプルなつくりでキリストが赤い布の上で十字にかけられている。

それから旧市街のメインストリートであるラ・ウニオン通りに出る。洋服屋、靴屋に家電量販店と並び、休日夕方、多くの人でにぎわっている。

通り沿いにある、リマで最初のミサが行われ、ペルー軍の守りの神、聖女メルセーがまつられているラ・メルセー教会へと入る。ちょうどミサが行われており、人々が集まってきている。あちらこちらに精緻な木彫りが見られる。

ラ・メルセー教会前にあるスーパー、Plaza Veaに立ち寄り、買い物をする。バレンタインデーらしく、できあいのチョコレートコーナーも存在し、数人の若者がそこからチョコを手に取っていく。店には喫煙禁止、ペット禁止という他に、武器禁止と書かれ、銃の絵に赤い斜め線がひかれている。

いよいよ賑わうラ・ウニオン通りから少し抜けてヘスス・マリア教会を見た後、また通りに戻り、南のサン・マルティン広場まで下る。

ぺルー独立運動に貢献をしたサン・マルティン将軍の像がたつその広場では、人々が芝生に寝そべり、商品売りに人が集まり、休日の夜を満喫している。

車で連れて行ってもらう – Lima, Peru

シンプルなつくりのバスも、6時半ころにはリマのFlores社ターミナルに到着する。

売店で売られていた桃のジュースを飲んだあと、行こうと思っていたJesus Maria地区の宿に向かうことにする。ターミナル前から出ているバスに乗り約5分、下車をしてうろうろと探すものの、なかなか見つからない。

食料品店に入り、その場所を尋ねると、店の主人が何かつぶやいてから店を出ていき、そのうちにどこからともなく日本語を話すフランシスコさんが現れた。ブルーのシャツに黒いパンツをはいた、きれいな身なりをしている。

タクシー運転手をしているというフランシスコさんは、「車に乗ってください、探している宿まで連れて行ってあげます、大丈夫、タダだから。」と言った。会社所有のものだという、日産のタクシーに乗りこむ。

大学を卒業したその日に、日本で働く従兄から電話がかかってきて、日本で仕事をしないかと誘われたのだという。そのまま飛行機に飛び乗り、1991年から2001年までの10年間、日本のあちらこちらで仕事に励んだ。

その間に産まれた息子さんはもう16歳だという。現在スペインにいる奥さんとは別れ、息子と二人暮らし、リマでタクシーの運転手をしている。

ペルーの景気は上向きだと言う。よくペルーで耳にするフジモリ大統領について尋ねると、「それまでの大統領のときは経済はバラバラだったけれど、フジモリ大統領はそれをまとめあげた。それは良いこと。でも、わいろが問題で捕まっちゃったね。」

日本の料理は刺身も納豆もおいしいとお腹に手をあてる。

数軒の宿をあたるも、今バレンタインデーの連休中だというペルーはどこも満室が続いた。数時間休憩ができる宿もあるという。

いろいろとフランシスコさんの運転で宿をあたった果てに、以前に見たことがあったというホステル、Markawasiに連れてきてもらい、そこに部屋を見つけて、確保する。

昼食は、宿のテラスで、スーパーPlaza Veaで買ってきた林檎とグラノーラにtutti fruttiのヨーグルトをかけていただく。

ここペルーは日系移民者も多く、移民80周年を記念して1981年に建てられた日秘文化会館や日本人移住史資料館もリマにあるというので、訪ねてみることにする。

日秘文化会館行きバスに乗るためにバス停に向かっていると、再び日本語で話しかけられた。

酒屋で働いているというマウロさんは、日本語で言う。「前、群馬に住んで働いていたよ。」

少しだけの会話を交わした後、再びバス停に向かって歩き出す。すると、酒屋のトラックに乗ったマウロさんが追いかけてきて、連れて行きますからどうぞ乗っていってくださいと促す。同僚を電気のない荷台に閉じ込め、わたしたちを助手席に乗せて、日秘文化会館まで送る。

日秘シアターや日秘総合診療所がそばにある日秘文化会館に入ると、千羽鶴がずらりとぶら下がっている。

2階にある日本人移住史資料館では、1899年、佐倉丸に乗った最初の移民790人が横浜港を出港して34日間でペルーCallao港にたどり着いてから今日までの様子を中心に展示している。特に新潟、山口、広島、岡山、茨城、東京といった場所からの移民が多かったという。

初期移住者が過酷な環境の中ゴム園で働いていたこと、その約80年後の1980年代におきた日系ペルー人の「出稼ぎ現象」、1996年トゥパク・アマル革命運動の武装テロリストによる人質事件にも触れている。

調子の良くならない体調を抱えながら、1階の日本料理も出すレストランNakachiで、うどんをいただくことにする。

チャーシュー、鶏のささみに野菜、うどんの入った「Kake Udon」をオーダーする。ほどなくして運ばれてきたうどんのスープをすすり、しばらく目を閉じる。スープはぬるく、うどんもやや粉っぽい。それでも、久しぶりの日本食に浸る。レストランでは、日系らしい女性が多く、スペイン語と日本語が聞こえてくる。

会館を出るころには夕焼けが見え、バスに乗って宿に戻る。

夜の11時42分、マグニチュード4.8の地震があり、短い時間だが、ぐらりと揺れる。

こうしてペルーの大都会リマの初日は、日本を想う一日となった。