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Egypt

「今日はエジプトの歴史に残る日なんだ。」 – Cairo, Egypt

朝方、列車がカイロ駅手前のギザに到着すると乗客たちはどっと降りた。冷え切った身体を抱え、ようやく座席に着き、一休みをする。

6時前にはカイロに到着する。駅に降りれば、暖かい。

Al shohadaa駅から地下鉄に乗り、宿のあるタフリール広場、Sadat駅まで向かう。Al shohadaa駅は、かつてホスニ・ムバラク駅と呼ばれていたが、その元大統領ムバラクの名をつけた駅は塗りつぶされ、新たな駅名に変わっている。

久しぶりのエスカレーターだ。マクドナルドにピザハット、ケンタッキーフライドチキンまである。

カイロには、古びたビルが数多く残っていて、宿はその上層階を利用していることも少なくない。その場合は、手動式の古びたエレベーターに乗るか、あるいは動かなくなったエレベーターを横目に階段で上がることになる。

今回の宿イスマイリア・ハウス・ホテルでは、まだ手動式のエレベーターが動いていた。古びたエレベーターのボタンを押す。ボタンを押しても、なぜか自分たちの階で停まらず、一つ上の階の中途半端な位置で止まったり、じっとしたりしている。そのうちに、思い立ったように、またわたしたちの目の前を通り過ぎ、一番下へと向かっていく。エレベーターのボタンを連打し、いくどかすれ違った後、運よく目の前に止まる。

宿のテレビの前には、宿泊客たちが集まり、真剣な面持ちでテレビを見入っていた。ムバラク元大統領の裁判が行われているのだった。

一人の男性がテレビから目を離さずに言った。
「今日はエジプトの歴史に残る日なんだ。」
そして、終身刑がムバラク元大統領に言い渡されたとき、窓の外から歓声が沸き起こった。

今日とった宿は、ちょうど昨年の革命時にデモの中心部となったタフリール広場に面していた。

しばらくして宿から広場に出ると、そこには既に人が集まっている。若者が肩車をされ、こぶしを振り上げる。それに周りも同調し、手をあげる。子どもも肩車をし、ピースをする。人々は携帯電話を取り出してその様子を撮影し、大きな機材をもったテレビカメラマンも街灯インタビューを行っている。

身体をはって、車を止める人たちがいる。

それでもまだ昼の間はいつもと同じように、店の角で祈りをささげる男性がいて、男性同士手をつなぐ人々がいて、造花をつけたジュースボトルを抱えながら売り歩く男性がいた。

近くのジューススタンドでタマリンドのジュースを飲み干し、そばの屋台でターメイヤと揚げ茄子、フライドポテトときゅうりやトマトのサラダをはさんだアエーシをオーダーする。

エジプトには、エジプト米とマカロニや短く切られたスパゲティ、それにさくっと揚げた玉葱やレンズ豆やひよこ豆をトッピングしてトマトソースをかける、コシャリと名の国民に愛されている料理がある。

昼食は、コシャリの有名店アブー・ターレクに行き、名物のコシャリをオーダーする。ビルそのものがコシャリ屋になっている老舗だ。

お米もパスタもソースも玉葱も豆も混ぜ合わせて、そこにチリソースやお酢をかける。お酢とトマトソースが、またよく合う。

外の暑さに比べて冷房がかかった店内は、冷え切っている。スーダンから続いた灼熱と砂埃に、昨晩の列車の冷房がたたって、どうにも熱っぽく、体調がすぐれない。

今朝の判決に抗議をするために、17時からタフリール広場に集まるように国民の間で呼びかけが行われているらしい。

17時も近づくころ、街には取っ組み合いのけんかをする男性たちがいる。
街の壁には、No SCAF(エジプト軍最高評議会)、Fuck SCAFと落書きがされている。

ジューススタンドでイナゴマメのジュースを飲んでいるうちに17時を過ぎ、タフリール広場には国旗をもった大勢の人々が集まってきている。

夜の19時を過ぎて、宿から外に出ようとすると、既に門の外に人が押し掛けていて、門番がゲートをコントロールしていた。

なんとか外に出てみると、外は既に人だかりで、熱気に包まれていた。怒りや悲しみに満ちた調子でテレビインタビューに応える人々がいる。前に進もうとしても、身体のあちらこちらを触られるだけだ。

街灯によじ登り、国旗を振る人がいる。こぶしをあげ、掛け声をかける。
全身黒い布で覆ったアバヤを着た女性たちも、同じように叫び、こぶしを振り上げる。
イスラエルや米国の国旗にばつ印をつけたカードを持つ人がいる。
エジプト国旗を身にまとう人がいる。
シリア騒乱でもアサド政権反対派によって掲げられている、1963年以前のシリア国旗を頭上に振り上げる人がいる。

夜も更けたころ、真っ赤な炎が人々を照らす。目の前の広場の様子を、宿のテレビが流している。

太鼓と手拍子、掛け声、口笛がいつまでも鳴りやまない。そして、時折、地の底からぐおーと湧き立つ声が鳴り、一層手拍子が強まり、太鼓はどんどんどんと鳴り続け、ひゅーと口笛が鳴る。

暑い神殿と、極寒列車。 – Luxor / Cairo, Egypt

宿の近くのジューススタンドでぎゅっと絞ってもらったオレンジジュースを飲んで一日を始める。

頭に白いターバンを巻いたおじさんの食堂に入り、豆の煮込みfuulにターメイヤ、サラダやパンがついたセットをオーダーする。スーダンと似たメニューであるものの、ターメイヤの豆はソラマメに代わり、パンは、スーダン国で一種類かと思われる平たいパンから、丸型パン、アエーシへと代わる。

徐々に気温があがるので、商店で水のペットボトルを買い求める。そのうえ久しぶりにアイスクリームを見かけたので、ついでにネスレ社アーモンド入りチョコレートとバニラのアイスクリーム「Mega」も買い求める。

昼間の太陽のもと、再びジューススタンドに駆け込み、今度はさとうきびジュースをぐびぐびとする。ジューススタンドの一番人気は、さとうきびジュースである。

店の並びには、スーダンで見ることなかった酒屋まである。

茶色の建物の並ぶ街の中、ルクソール神殿の前には、真っ赤な看板を掲げたマクドナルドが派手に建ち、ロナルドが片手をふりあげている。

カトリックの教会も、ある。

アムン大神殿の付属神殿として建てられたというルクソール神殿には、ヒエログリフがぎっしりと刻まれたオベリスクが一本すらりとたっている。その右側のオベリスクは、パリのコンコルド広場にあるという。

塔門の前には、巨大なラメセス2世像が腰をかけている。そこから、かつてはカルナック神殿とつながっていた参道にスフィンクスがずらりと並んでいる。

神殿を眺めていると、観光にやってきたというエジプトの学校の先生集団に囲まれる。あちらこちらから一緒に写真を撮ってほしいと、肩を組まれる。陽気な先生たちである。

ルクソール神殿にある、アブーイル・ハッガーグ・モスクに入る。そこは、ルクソール神殿そのものの柱を残したまま、木造のモスクと融合されている。

モスクの中からは、神殿内部の、ヒエログリフやレリーフの刻み込まれたラメセス2世の中庭やそこに立ち並ぶ大きな柱を眺めることができる。

イスラム教徒にとっての休日である金曜の午後、祈りを捧げる人々、ゆっくりと昼寝をする男性や家族連れ、おもちゃの銃をもった子どもたちがいる。集まっていた信者の人々に、ターメイヤのはさまったパンを差し出され、ごちそうになる。

そこから、やや離れた場所にあるカルナック神殿に向かう。ルクソール神殿からバスで行こうと思っていたら、サングラスをかけてバイクに乗った男性が、乗せていってくれると言う。お言葉に甘えて、後部座席に二人またがり、ルクソールの町を疾走する。

カルナック神殿は歴代の王が増改築を重ねてできた複合施設。中心はアメン大神殿で、入口前にはスフィンクスがずらりと並んでいる。なにしろ大きな神殿だ。

ナイル川に沿う道を走るバスに乗って、ルクソール神殿近くまで戻る。エジプトの最近の混乱によって旅行者が激減しているようで、ルクソール神殿もがらりとしていて、馬車駐車場には馬が集まり、馬車乗りおじさんたちも暇そうに客引きをする。

暑さから逃れるため、冷房の効いたカフェ、Snack Timeでスプライトをオーダーする。ルクソール神殿の向こうに、夕日が沈んでいく。

今日はこれから列車でカイロに向かうので、水のペットボトルを買い、駅前のEl Hareefレストランで、細長い肉のかたまり、コフタをパンにはさんだものを買い求める。

同じ店で幾度も大きな水のペットボトルを買うものだから、店員もこちらの顔を覚えるほどだ。それほど、水をごくりごくりとやる。

ルクソールからカイロまでの列車のチケットは、窓口に行っても「いっぱい」だと言われていた。ただ、列車に乗ってからなら買えます、それで問題ない、の一点張りだ。

しかも、列車の時刻を聞いても、窓口の担当員、それにインフォメーション・センターの受付の人々、みなそれぞれに違う答えを返してくるものだから、一体何時にカイロ行きの列車が出るのか、てんで分からない。

とにもかくにも、ルクソール駅で停車していた列車に乗ってみる。座席はまだ空席が目立ち、2等車の空いている席に腰掛ける。

19時にはがたりと発車をした。車内は冷房が効いていて、涼しい。快適にすぎる。コフタをはさんだパンに、添えられていたサラダやペーストを加えて、ほおばる。

心地よさにつられてうとうととしていると、途中で多くの乗客が乗車してきた。これが、チケット売り場で言われた「いっぱい」の意味だった。

あっという間に座席は埋まり、指定座席を取れていない仲間たちと、席を立つこととなる。
既に通路では立っている人もいて、わたしたちはわずかなスペースを求めて、列車を歩く。

車両最前列の乗客の足元にわずかのスペースがあった。人気スポットでもあるようで、わたしたちも男性二人の足元にお邪魔することにする。

二人は、ソーシャル・ワークを学ぶ大学院生と教授だった。足元でうずくまっていると、Dairy milkのチョコレートバーやファンタ・オレンジをどうぞと教授に差し出される。
   
夜中の1時半を過ぎても教授と学生は議論を続け、教授はそのうちに羊肉の入ったボリュームたっぷりのパンをわたしたちに差し出し、自分も大きなそれを口に放り込む。

やがて車内はがんがんに効きすぎた冷房で冷え切ってくる。ぎゅうぎゅうのすきまに脚を折りたたみ、ただじっとうずくまる。

なかなかに眠れない。

アスワンハイダムと、ルクソールまでの道 – High Dam / Aswan / Luxor, Egypt

朝は、暑いのと子どもたちがはしゃいで身体の上にのっかったので、目が覚める。目を開けてみれば、そこには女性の足の裏があった。

眠っていた間にパスポート返却のために呼び出されていたらしい。預けていたパスポートを受け取りに、オフィスへ向かう。

2段ベッドがしつらえてあるオフィスは涼しく、中に入ると職員が食事をしているところで、食べていきなさい、パスポートの手続きはそのあとで良いから、と言う。

パンにチーズ、それに豆を揚げたターメイヤをじゃがいもやにんじんと煮たもの、大根や人参のピクルス、フライドポテトなど、職員用だという食事をいただく。食堂車で売られている食事よりもずいぶんと贅沢な食事である。

その後エジプトの入国カードを記入して、誘われた別室に行く。すると、エチオピアのアディスアベバで取得しておいたビザの上に、入国スタンプが押される。

同じ船に乗っていた女性にいただいた西瓜をかじり、買い求めたりんごジュースを飲む。

フェリーは、巨大なアスワンハイダムに近付いた後、アスワンよりやや手前のハイ・ダムで停泊し、人々は下船していく。船から降りると、暑さが身体にこたえてくる。国境を超えて自由な国に入ろうとも、気温の高さは変わりがない。

行列のできる荷物検査は、先に先にと急ぐ人たちで混沌としている。身体検査のゲートに何人も入ろうとするものだから、余計に時間がかかるのである。それでも、わたしたちはどうぞどうぞと行列を飛ばすようになぜか手招きされ、どうにも緩い荷物検査を終えるのだった。

そこから、大きなハイ・ダム駅を通りぬけ、アスワン駅のある街の中心部までワゴン車に乗る。白い服を着た男性ばかりの乗るそのワゴン車では、運転手と乗客がどなりあっている。30分ほど渇いてごつごつとした岩山を窓の外に眺めていれば、アスワン駅の前に到着する。

駅の横にはツーリスト・インフォメーション・オフィスもある。旅行客対象のはずなのに探すのも一苦労する場所にあるスーダンのオフィスとは、違う。

辺りには建物が立ち並び、マクドナルドさえある。暑さに耐えかね、ジューススタンドに駆けこみ、さとうきびジュースをジョッキにぐびぐびとする。

このままルクソールまで向かうため、駅のチケット売り場に並ぶ。そこには混沌が待っていた。窓口には、並ぶことをしない人たちが手を伸ばし、声を張り上げる。後ろから押される人の力に耐えしのび、なんとか15時出発のルクソール行きチケットを手に入れる。

冷房がやや効いた快適な2等車に乗り込む。座席にはまだ空席もあり、ゆとりがある。

3時発の列車は、4時半を過ぎてようやくがたりと動き出した。ナイル川に沿うように列車は走っていく。川沿いには緑があり、畑も見られる。淡い水色やピンクに塗られた四角い家々のわきを、列車はけっこうなスピードで走っていく。

スーダンとエジプトは似た文化をもっているのだと、スーダン人は言った。それでも、エジプトの電車はスーダンと比べてすごいんだ、とその人は付け加えた。

やがてナイル川に真っ赤な夕日が沈んでいく。

21時前に、列車はルクソールの駅へと到着した。ルクソールの町は、夜も賑やかに、男性たちはカフェの前で水たばこを吸い、鼓笛隊が繰り出している。イルミネーションが街を包み、明るい月が浮かんでいる。

同じ宿に泊まっていた中国出身の男の子に連れられて、一緒に夕食を取りに行く。レストランに入って、ソーセージとレタス、トマトのはさまったサンドイッチと、ピリ辛のピクルスをオーダーする。サンドイッチには、ケチャップの袋さえついてきた。 ― 洗練されている。

宿への帰りがけ、ジューススタンドでさとうきびジュースをジョッキに入れてもらい、ごくごくとする。

スーダンとアスワンに比べれば、やや暑さがやわらかい。

アブ・シンベル神殿と、すきまなく眠る人々 – From Wadi Halfa to Aswan, Egypt

やがて日は暮れ、ぽつりぽつりとした明かりが両側に点々としている。船のちょっとしたスペースを見つけては、イスラム教徒の信者が絨毯を敷いて祈り始める。

22時を回ったころ、遠くのほうに赤く大きな岩がどっしりとしているのが見えてくる。アブ・シンベル神殿だ。

ライトアップされた神殿は、橙色に光を放ち、高さ20mもあるという4体のラメセス2世像は無言のうちに船のほうを見ている。

船は進み続け、やがて、その巨大な神殿は小さく姿を変えていく。暗闇の中で、神殿の辺りだけは、町の光が線を成している。

食事券を手に食堂部屋へと行く。ここには冷房がきちんと効いている。食事券を出すと、夕食が運ばれてきた。赤い豆の煮たもの、ピリ辛の瓜、ゆで卵にチーズ、パン、あんずのジャムである。食堂部屋は、23時を過ぎてもまだおしゃべりを楽しむ男性たちで賑わっている。

そして、甲板に戻ると、そこは眠る人で足の踏み場もないほどになっていた。人を踏むことのないようにおそるおそる足を進めて、甲板の角にようやく広いスペースを見つける。

風は涼しく申し分ない。マットを広げて、そのまま眠りにつくことにする。

スーダン-エジプト国境情報

スーダンのワディハルファから、エジプトのアスワンへ、船で入国するルートです。

1.ハルツームの北ハルツーム駅近くのチケットオフィスで、チケットを購入する。
  毎週 水曜日 17時発
2.出発までに、ワディハルファのチケットオフィスで確認をしてもらう。
  (※チケットにスタンプを押してもらいます。)
3.ワディハルファのイミグレーションオフィスで出国手続。パスポート・出国申請用紙を記入して提出。
4.ナイルホテル前から、港行きバスが出ているので、乗る。
5.バスを降りたところにあるオフィスで、パスポート・出国申請用紙を提出。回収される。
6.船まで行くバスが出ているので乗る。
7.客室はほぼ地元の人で埋まっているので、甲板の場所を確保。
8.到着までにパスポートが返却される。
 (※名前が呼ばれます。眠っていて気がつかないと、翌朝船員室に行く必要があります。)
9.港からすぐの鉄道駅のホームを歩いて抜けたところから、
  アスワン市内までのミニバスが出ているので、乗車する。

◎両替
 スーダンのワディハルファで両替ができます。
 イミグレーションオフィスの向かい側の建物。
 SDG 1.00 = EGP 1.05 で両替しました。