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Israel & the Palestinian Territories

宗教の交じわる街 – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

朝食は、たまねぎと卵でスクランブルエッグをつくり、それにご飯とお茶を合わせる。イブラヒムさんも大きな鍋にご飯をたっぷりと盛り、それをしゃもじでくるくるかき回している。

今日も岩のドームの前のオリーブ山の頂上付近に、イスラエル国旗がはためいている。

真っ暗としていて備え付けのろうそくに火を灯して歩く預言者の墓や、イエスがエルサレムの滅亡を予言し涙したという記述にもとづいて建てられた主の泣かれた教会、金色のドームをもつロシア正教マグダラのマリア教会に立ち寄りながら、旧市街へと下っていく。

今日は、神殿の丘の上に建つ岩のドームを訪ねる。岩のドームの内部には現在イスラム教徒しか入ることができず、その他の人々は外から眺めるばかりだ。

非イスラム教徒が岩のドームのある神殿の丘に入るゲートは、ユダヤ人の集まる嘆きの壁のわきにある通路からだけだ。ユダヤ教徒も入れると聞いたが、その場合は軍人の護衛がつくとも聞く。

神殿の丘は、イスラム教とユダヤ教の聖地だ。神殿の丘には、かつて第一神殿、第ニ神殿が建てられていたが、第ニ神殿はローマによって城壁の一部以外、破壊された。その残された壁が、ユダヤ教にとっての嘆きの壁だ。2000年にはシャロン党首が神殿の丘を強行訪問して、反発するパレスチナ市民によってセカンド・インティファーダが起きている。

荷物検査を受けてから、イスラエル国旗のぶらさがる木造の回廊をつたって、神殿の丘に入る。

右手にはイスラム教徒にとって重要な聖地でもあるアル・アクサー寺院、その手前に手足を清めるための水場があり、その向かいに丸い屋根が黄金にきらきらと光を放つ岩のドームがそそりたっている。そして紺や水色、緑や黄色などの鮮やかな装飾をほどこしたタイルが八面体を作りだしている。

一部では、イスラム教徒にとって聖なる岩のドームを取り除いて、ユダヤ教の第三神殿を建設する計画があるとかないとか、まことしやかにささやかれている。

イスラム教徒以外は、岩のドームに入ることはできず、入口で追い払われる。

嘆きの壁の前には今日もユダヤ教徒が集まり、祈りを捧げている。壁の周りにはぎっしりとイスラエル国旗がたてられている。壁の前では、グレーのスーツを着た新郎と真っ白なウェディングドレスを着た新婦が笑顔で記念撮影をしている。ユダヤ人街にあるラムバン・シナゴーグでは、黒いキッパをかぶった二人のユダヤ教徒が静かに書物を読んでいた。

世界で最も古い地図にも記されていたというエルサレムのメインストリート、カルドを通り、ムスリム地区へ入っていくと、途端に賑やかにものが売られるようになる。チョコレートアイスをかじりながら、歩く。

ユダヤ人もいくつかの派閥に分けられていて、その中でも厳しい宗教生活を送っている正統派のユダヤ人が住むメア・シェアリーム地区に向かう。

彼らは聖書の律法をかたく守りながら暮らしていて、普段はイーディッシュ語を話している。通りにはユダヤ教用品や本屋、食料品店もある。フランス系ユダヤ人住人も多いようで、フランス語の本屋もある。もみあげのついた帽子を売る店、黒い靴ばかりを置いた靴屋、メズーザやろうそく立て、グラスが並ぶ店。

道沿いにはずらりと貼り紙がしてあり、それを熱心に読む人々がいる。携帯電話をただ耳をあてて聞き入り、足早に歩いていく人々もいる。道ばたには思いのほかごみが散らかっている。

人々が歩いているにもかかわらず、辺りは静まりかえり、部外者を受け付けない雰囲気がただよっている。男性はもみあげを長くくるりと伸ばし、黒い帽子をかぶり、黒いフロックコートを着ている。女性も全身黒い服で歩いていく。彼らはテレビやパソコンなどとの情報を一切遮断して暮らしている。

子だくさんが奨励されていて、一家族10人以上であることも珍しくないというから、子どももたくさん町に歩いている。超正統派のユダヤ人には兵役の義務もなく、仕事をせずに生涯をトーラーの勉強にかける。だから、街には黒い服を着た男性が食料に買い出しに来ている姿も、ベビーカーをひいている姿もよく見かける。

子どもたちも長いもみあげに黒い帽子。最初にこりともしなかった子どもたちに、挨拶をしてみたら、ようやく少しの挨拶がかえってきた。そのうちにそんな男の子たちも店頭で売られているピンク色のビニールプールに興味をもちはじめた。

一軒の食料品店の男性は、黒に白のストライプの入ったカジュアルなポロシャツを着ていた。その男性は言う。「ここら辺に住んでいる超正統派ユダヤ人は変わっていて、頭がちょっとおかしいんだよ。」仕事をしない超正統派のユダヤ人がどう生活しているのかは秘密なんだよ、とやや声をひそめて言う。そういう男性もユダヤ教徒だ。今のテルアビブの状況はよくない、宗教もなにもかも忘れさられていると嘆いた。

そんな中、フランス系ユダヤ教徒だという女性が買い物にやってきた。

超正統派のユダヤ人女性は、結婚すると髪の毛を剃るのだという。女性のシンボルである髪の毛を人の目にさらさないようにするためで、頭に帽子やスカーフ、ウィッグなどをかぶっている。

店に来たフランス系ユダヤ教徒の女性はさらさらとした金色の髪の毛をしていて、それもウィッグだと言った。結婚をしているから、髪の毛を隠すのだという。髪の毛を剃っているのか尋ねると、わたしはフランス系だから髪の毛は剃っていないのだと言いながら、微笑んだ。

メア・シェアリームを抜けて南に位置する繁華街のほうへ出ると、とたんにカジュアルなふうに切り替わる。洗練されたバーやカフェにマクドナルド。屋外でお酒を楽しむ人々がいる。

JAFFA CENTER駅から、マハネー・イェフダー市場のあるHA-DAVIDKA駅までLRTのトラムに乗る。マハネー・イェフダー市場には、黒帽子、黒服を着た家族がカジュアルな人々に交じって買い物をしている。右手にビニール袋、左手にベビーカーといった具合に、男性も夕飯の支度に大忙しなのである。難しい顔をしてかわいらしいパッケージのスイーツを買っていく黒帽子黒服の男性もいる。

パンや肉、野菜に果物と並ぶ一大市場の中に、1947年創業の老舗ハルヴァ屋があるので、ゴマを90%、黒糖を10%使ったというコーヒー味のハルヴァをいただく。甘すぎず、ふんわりと口に入る。

夕日に街が照らされるころ、トラムやバスを乗り継いで帰り、家でご飯とトマト、それにお茶と林檎をいただく。

イスラエルとパレスチナが対立する街 – Jerusalem / Hebron, Israel & the Palestinian Territories Hebron,

イスラエルにいると、歴史と今がとても近いことを強く感じるようになる。過去から続いてきた対立が今なお進行している。そして、世界の力の不均衡に頭を抱えることになる。

イスラエル人の若者たちは義務である兵役を終えるとよく海外に旅に出る。だから、イスラエルの外で、イスラエルのバックパッカーたちに会う機会が少なくない。フレンドリーで、明るく、前向きな人たちだ。

その印象のままこの地に足を踏み入れると、その若者の印象とこの地で起きているギャップを目のあたりにすることになる。

近代化されたビル、明るい海、かたくユダヤの教えを守り続ける超正統派のユダヤ人たち、それにイスラエルとパレスチナを隔てる分離壁。周りのイスラム、アラブ諸国に徹底的に嫌われるイスラエルという国。

ここで起きている争いについて、イスラエル人のおおよそ60%の人々はもううんざりだと思っていると聞いた。そして、ここの女の子は海外で会うとオープンなのに国の中で会うと壁ができているものだから、世界の中でも口説くのが難しいらしい、とも聞く。

ダマスカス門からオリーブ山にかけてのアラブ人が多く住むエリアには、ユダヤ人は恐がって入ってこないともいう。新市街にはユダヤ人が多く、物価も高い。

今朝は、じゃがいもとにんじんやグリーンピースの煮込み、それにパンやコーヒー、アーモンドジュースをいただいてから、ヘブロンという街に出かけることにする。

ヘブロンはパレスチナヨルダン川西岸地区にある街で、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の祖、イブラヒムの墓がある。ユダヤ人入植者とパレスチナ人との間に今も激しい対立がある街でもある。ユダヤ人入植者がパレスチナ人を追い出そうとして、暴力や嫌がらせが連発していると聞く。

2、3日に一度は両者の間で対立が起き、イスラエル兵もそれをガス抜きだと思っているともいう。実際に、その様子を見た方が言っていた。両者の対立が起きたとき、イスラエル兵が15秒以内に撃つと脅したものだから、パレスチナ人たちが建物の2階の窓から1階へと飛び降りた。その時の様子をパレスチナ人たちは、そんなこともあったんだと笑いながら話をしてくれたのだそう。

エルサレムのダマスカス門からアラブバスと乗り合いタクシーを乗り継いで1時間ほどでヘブロンの町に到着する。 

ヘブロンのような西岸地区は、パレスチナ自治政府とイスラエル軍が管理する割合によって、エリアA、B、Cとに分かれている。パレスチナ自治政府が行政権をもち、イスラエル軍がときにパレスチナ自治政府と共同でセキュリティコントロールしている地域はエリアBと呼ばれている。

ヘブロンの町にあるエリアBは、イスラエル軍が自治権、警察権ともににぎるエリアCに混ざりながら囲まれているので、そのエリアをまたぐときにはイスラエル軍によるチェックポイントを通過しなければならない。チェックポイントの先にある学校や職場に行く場合には大変な時間がかかってしまうのである。

バスを降りると、パレスチナの旗がたち、街はアラビア語で溢れている。スパイスや香水を売る店もあれば、MANGOなどといったブランドものを売る店もあり、活気がある。そしてあちらこちらから、ようこそと陽気に声をかけられる。パレスチナ警察も穏やかな笑みをたたえている。「ガザを解放しろ」と書かれた壁の下で少年がわたしたちに笑いかける。同時にその横をヘブロン暫定国際監視団(TIPH)のワッペンをつけた人々が行き交っている。

バスターミナルから、イブラヒム・モスクまで歩く途中、両わきに店舗の並ぶ市場がある。
いくつかの店の鍵は溶接されて開かないようになっていた。ユダヤ人入植者たちが、アラブ人の営業を阻害し、いやがらせをしているのだという。閉じられた店の並ぶ場所はひっそりとしている。こんなふうに閉店に追いやられた店舗は2000軒以上にも及ぶという。

市場の上には金網が敷かれ、その上にごみが落ちている場所がある。上に住むユダヤ人がごみや汚水を投げつけてくるので、金網で防御をしているのだという。

市場を歩いていると、一人の男性に話しかけられた。その男性の弟の奥さんは、妊娠中に屋上の水タンクを確認しに行ったとき、隣の入植地に住んでいたユダヤ人に頭を5発撃たれて殺されたのだという。水タンクには銃痕を修復した跡がある。

それでもお腹の中の赤ちゃんは生き残った。ところが、その男の子も道で歩いていたところを突然目に毒物スプレーを浴びせられ、今は青いサングラスをかけている。国際団体の支援により、ヨルダンに手術を受けにも行っている。

殺された場所だという屋上に立つと、隣接して真新しいユダヤ人入植地がある。たいていユダヤ人の入植している建物は新しくなっていて、よく目立つ。すぐ隣のビルの屋上で、イスラエル軍が銃をもって、街を監視し、そのための部屋も設けられている。その奥には、イスラエル国旗をあしらった新しい水タンクがそそり立っている。

ユダヤ人の遊ぶバスケットボールコートからも、毎日パレスチナ人の通る道へごみが投げ捨てられるといった。

家に通されてお茶をいただきながら、話を更に聞く。市内に住むパレスチナ人は約20万人、そこにユダヤ人入植者が400人ほどいて、彼らを守る軍人が2000人いるのだという。かつて学校や病院だった建物も入植地と変わっていく。

また市場をてくてくと歩いていると、再び声をかけられた。家をあがっていくと、当時2歳と3歳の子どもが殺されたという部屋に通される。2007年にイスラエル軍がそこに火を放ったのだという。

部屋を出ると近くに修復された水のタンクが置かれている。そばに住むユダヤ人入植者が屋上に忍び込み、ナイフで水タンクに穴をあけたのだといった。

あるパレスチナ男性は「ユダヤ人は、パレスチナ人が長年住んできた場所に入りこんで国をつくり、僕たちの土地を奪っていったんだ」と言う。暴力をふるうことは違法だが、ユダヤ人入植者は捕まらないんだ、と別のパレスチナ人は吐き捨てるように言う。

チェック・ポイントを抜けてイブラヒム・モスクにたどり着く。すると、今日はアル・イスラ・ワル・ミラージュという特別な日だからイスラム教徒以外は入れないと言われる。通常はユダヤ教徒とイスラム教徒と分かれた入口を通り、中に入る。イスラム教徒には荷物検査があり、ユダヤ人すなわちユダヤ教徒には荷物検査はないのだとイスラム教徒の男性が言った。今日は全ての入口がイスラム教徒にのみ解放されている。

中に入れずどうしたものかと思っていると、パレスチナ人の男性がやってきた。監視していたイスラエルの若い軍人女性が、その男性を指して「この方はイスラム教徒の責任者なので、この男性がノーだと言えば、ごめんなさい、入ることはできません。」と付け加えた。

再び街を歩いていると、パレスチナ人だという中年男性に声をかけられる。パレスチナの医療系NGO、パレスチナ赤三日月社で働くというその男性は、自宅の屋上からイブラヒム・モスクが見えるから、立ち寄っていくと良いと言って、家に招き入れてくれた。

そこは築100年以上の、いくつもの部屋のある大きな家で、壁は1m以上もあるところもある。開け放たれた窓からは心地よい風が吹きこんでいた。仲の良いその夫婦には、7人のお子さんがいる。テレコミュニケーション企業やチャイルド・ケアで働く娘、会計を勉強している娘、結婚をした娘、それに3人の息子たち。学費が年間一人5万ドルかかるから、7人も子どもがいると大変なんだといいながら、父親はまた笑う。

15歳の息子はサッカーが得意で、イタリアとフランスに行き、来月はギリシャに行く。過去には有名政治家にも会ったという。家にはそれを称えたいくつものメダルがぶら下がっている。夏休みの今は、スーパーマーケットでアルバイトをしているとも言った。

パレスチナ人のその家族は、それぞれヨルダンのパスポートを持っている。それでも、先月家族でエルサレムにある、イスラム教にとって重要なアルアクサ寺院に行くことになった時は、まだ若くてIDを持たない息子は行くことがかなわなかったと父親は言った。

成人した娘たちは、父親に頬を寄せる。
父親は、息子と抱き合う。そして、がははと大声で笑う。
母親は、控えめながらも、カメラをいじってはしゃいだりする。

仲の良い幸せな家族が、平日の夕方、幸せな団らんの時間を過ごしている。

そのうちに、食事をしていきなさいと言われ、テラスで家族と夕食を囲むことになった。お母さんが作ったという、ズッキーニにご飯を詰めたキシュイーム・メムライームを姉妹がテーブルに並べる。食卓にはその他にトマトソースやパン、それにお父さんが庭で育てていて収穫したばかりだというチリやピクルス、それにパプリカが添えられた。

庭には花が植えられ、棚には先祖より受け継いだアンティークの壺や、息子がイタリアで買ってきたピサの斜塔の置物が置かれている。

この家族の気持ちには、余裕があった。そして、政治的なことにはあまり関心がないようだった。お父さんは、食事は家族で毎回とるんです、それが一番好きなんだと言った。

屋上に行くと、モスクが近くに見える。すぐそばに銃をもったイスラエル兵がいて、見張りをしている。お父さんは、周りのことを説明するのに、指をたてないように気をつけながら、説明をしてくれた。

お茶までいただきながら、次回は泊まっていきなさいと言われる。

スピーカーからは爆音のアザーンが流れてくる。壁には、ゴーストタウンと戦え、と書かれている。

すっかりと長居してしまい、20時を過ぎてから、乗り合いタクシーとバスを乗り継いでエルサレムへ向かう。乗り継いだバスにはイスラエルの旗が天井にはられて、バラがぶらさがっていた。わたしたち外国人を乗車させるのを渋るのか、チケットを渡すから別のバスに乗り換えるように勧められるも、結局そのまま乗せてもらうことにする。途中、個々の乗客に対するチェックポイントもなく、21時半にはエルサレムに戻ってきた。

宿に戻り、イブラハムさんが作ってくれたグリーンピースやにんじん、じゃがいも、たまねぎのスープ、それにご飯にお茶をいただく。

伝統と今のエルサレム – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

朝はゆっくりと起きて、じゃがいもの煮物やご飯、野菜、パン、それに林檎、そしてコーヒーを合わせていただく。

家を出て旧市街まで歩いていると、家の近くの肉屋で、買い物をしながら友だちと話をしているイブラヒムさんに出くわす。ホワイトハウスにまで呼ばれるおじいちゃんは、こうして、よく買い物をし、よく料理をしている。

イエスが頻繁に祈りに来ていたという、オリーブの木が植えられたゲッセマネの園や、地下に聖マリアの墓があるマリアの墓の教会を訪ねる。エルサレムは観光客ふうの外国人で溢れている。でもここはユダヤ教、イスラム、キリスト教の聖地でもあり、多くの人々にとって、観光といえどもより宗教的な意味をもっている。

今日は、先日歩いたヴィア・ドロローサの14の祈祷所をもう一度じっくりと歩いてみる。イスラエルの宿にはいくつかの形態があって、普通のホテルやホステルから、巡礼客のためのクリスチャン・ホスピスやイスラエルの集産主義的共同体キブツのもつ宿泊施設にフィールド・スクールまである。

ヴィア・ドロローサの途中にオーストリアン・ホスピスがあるので、立ち寄ってみる。屋上にはオーストリアとバチカンの旗がはためている。併設されているカフェにはドイツ語のメニューがあり、ビールも置かれている。

屋上からは、岩のドームや聖墳墓教会など旧市街を眺めることができる。十字架がささっている建物もあれば、アザーン用のスピーカーが備えられているイスラム教ミナレットも、イスラエルの国旗を掲げるビルも、視界の中にある。

旧市街の土産物屋には、現在のイスラエルやパレスチナのようすを描いたTシャツが数多く売られている。「Don’t worry, Be Jewish」と書かれたもの、オバマ大統領がユダヤ帽やパレスチナ帽をかぶった合成写真をはったシャツ、戦闘機とともに「America, Don’t worry, Israel is behind you」、「Palestine in my facebook, twitter, YouTube and Gmail, AND MY heart」とロゴ付で書かれたもの、「War Good for few, Bad for most」と書かれたシャツ。ヴィア・ドロローサの道の途中にはHoly Rock Cafeもある。

イエスの墓があるとされる聖墳墓教会は今日もろうそくを片手に訪ねる信者が絶えない。聖職者たちもろうそくや聖書を手にもち、賛美歌を歌い、香炉を振る。地下の聖ヘレナ聖堂には大きなモザイク画が残されている。

すぐとなりの贖いの教会を眺めながら、旧市街の南、アルメニア人地区に位置する聖マルコ教会に向かう。ここは、福音書を書いたマルコの家だといわれる場所に建てられた教会で、シリア正教会によって管理されている。シリア正教会によると、ここの地下室にてイエスが最後の晩餐を行ったという。

既に閉館時間を過ぎていたようで、管理人の女性が、今お茶を飲んでるところだから、そこに腰掛けて待ちなさい、と言う。言われるがままに待つ。

そのうちに女性はお茶を飲み終え、すくりと立って、入りなさい、とばかりに扉を開ける。彼女は、かつて数学の教師だったものの、神の啓示により、ここで働くようになったのだと言う。

シリア正教会はアラム人を主とする人々が作った教会で、イエスが話した言葉もアラム語だったといわれている。教会の壁には、アラム語が彫られている。彼女も、100万人から200万人いると言われるアラム語話者の一人だ。どこか遠くを見ながら聖マルコ教会の説明をしたあと、目を閉じて、アラム語で歌い出した。

その後、イエスの12使徒のひとり、ヤコブが殉教したとされる場所に建てられた聖ヤコブ教会に立ち寄る。日の暮れた旧市街は、店も閉まりはじめ、ただ橙色の灯にともされた石畳の道に人々が時折歩いていくばかりだ。

そんな旧市街からヤッフォ門を抜けて、新市街に抜ける。そこには、Mamilla Mallというショッピング街が通っている。突然に辺りは、明るくモダンで、きらきらと輝き始める。Clarksやノースフェイス、ナイキ、アディダス、GAPにNine West、Rolexなど有名ブランドの店が並ぶ。

銃を背にもったカーキの軍服を着た若い女性軍人たちがファーストフード店でジュースを飲んできゃぴきゃぴしている。その横で、黒いとんがり帽子にもみあげをくりくりとしたユダヤ人男性や子どもたちが歩いていく。もみあげくりくりの黒帽子男性が、大道芸さえ繰り広げている。

夕食は家に戻って、じゃがいもや肉の煮物にご飯やサラダ、それに紅茶をいただく。

エルサレムと同じ国にある、テルアビブという街 – Jerusalem / Tel Aviv, Israel & the Palestinian Territories

今日はテルアビブに行きたい。朝起きてコーヒーとパンをほおばり、支度をする。

ユダヤ教徒にとって、毎週金曜日の日没前から土曜の日没後までは安息日、シャバットなので、その間はだいたいのユダヤ系交通機関はぴたりとお休みする。アラブ系バスは動いている。

アラブ系バスに乗ってダマスカス門まで行き、そこから休みの路面電車の線路に沿ってセントラルバス・ステーション近くの乗り合いタクシー乗り場まで歩く。黒服のユダヤ人も歩いていれば、タンクトップでジョギングをしている人々もいる。

テルアビブへ向かう通常のバスはユダヤ系のバスなので、走っていない。代わりに、乗り合いタクシー、シェルートに乗っていく。エルサレムはイスラエルの真ん中に位置している。テルアビブは西側にあって地中海に面している。この距離を1時間もかからずに到着してしまうのだから、イスラエルが四国ほどの大きさだということが分かる。

バンから降りると、ターミナル付近には、アジア系の人々の他に、アフリカ系黒人の人々をよく見かけた。テルアビブに多いはずの白人はほとんど見ない。彼らは、エチオピアやスーダン、南スーダン、それにエリトリアといった国々から難民としてやってきた人々で、この5年ほどで増えたのだという。

エジプトから砂漠を歩いて渡り、イスラエルに入ってきたのだと聞く。今は砂漠にフェンスがないのだそう。高い壁をパレスチナ自治区との間につくりあげているイスラエルの砂漠にまだフェンスがない。

イスラエルの男性は渋い顔で言った。「今フェンスを作ろうとしているところだけど、国として今は難民は受け入れざるを得ないんだ。」

ロスチャイルド大通りに面したカフェ、MAX BRENNERチョコレートバーに腰掛けて、ベネズエラのカカオからつくったミルクチョコレートのホットドリンクをオーダーする。チョコレートは「ハグマグ」という独自の器に入れて出される。この「ハグマグ」というのは、チョコレート・セレモニーに使うために生み出されたというから洒落ている。

辺りにはオープンテラスのカフェが並び、マクドナルドも黄緑色ののれんをつけている。並木道は太陽の日差しを受け、ホウオウボクの赤い花が緑に鮮やかに色を添えている。

テルアビブの現代建築群は世界遺産に登録されている。1920年代末から、バウハウスなどの建築学校を卒業した建築家たちがヨーロッパから帰郷したり、あるいはナチスを逃れてこの地にやってきて、街の中心にインターナショナルデザインの建築をつくりあげていった。

ロスチャイルド大通りの建築を、Yona Wisemanさんという女性が紹介してくれるツアーに参加することにする。

一連の建築群が世界遺産に登録されるとなったとき、テルアビブ市民は、ただの古びた建物で、もうすぐ崩れそうな建物もあるのになぜ、と首をかしげたらしい。それでも、最近では価値が見直されてきたのだそう。

テルアビブは街の中心にインターナショナルスタイルを取り入れて膨らんでいったこともとても稀有なことだという。バウハウスの影響を受けた建築物が街全体の6、7割を占めている。

海外からの移住者の増加を可能にした、鉄やコンクリートを使った機能的な建築、アール・デコ様式を取り入れた建築、ゆるやかな曲線を描くベランダ、細く長い直線的な窓、テルアビブが「白い街」と呼ばれるほどのホワイト・トーン。

ツアーを終えて、都市空間デザインで知られるディゼンゴフ広場まで歩く。テルアビブを網羅するレンタサイクルを、地元の若者たちも颯爽と乗りこなしていく。1992年まで映画館として使われていた建物が、今ではホテル・シネマというホテルになっている。
          
街の通りには、水着を着た人々が歩いている。
黒服づくめの人々も歩いているエルサレムと同じ国で。

地中海につきあたる。そこは明るい日差しの照りわたる、明るい海だった。むわりとする暑さの中で、海岸にはネスレやカールスバーグといった企業のパラソルがびっしりと並び、その下で人々は寝そべったり、あるいはおしゃべりをしたり、水たばこを吸っていたりする。イスラムの黒いアバヤをかぶる女性もいる横で、ビキニを着た女性がシャワーを浴びている。

海辺の売店でユダヤの伝統的なパンだともいわれるベーグルを買い求める。ごまののったベーグルを2つにスライスし、ピクルス、トマト、オリーブ、玉ねぎ、コーン、それにスライスチーズをのせて焼く。香ばしく、中はもっちりとして、とけたチーズと具材がよくからまりあっている。

海岸沿いに海を右手に眺めながら、歴史ある地区、オールド・ヤッファまで歩いていく。左手には、無機質な高層ビルが立ち並び、非現実的な趣をみせている。海はあくまで明るいままだ。

オスマン帝国時代につくられた時計台の周りには、アラブ系のスイーツ屋やサンドイッチ店などが軒を連ねる。丘の上からはテルアビブの街並みが一望できる。空には飛行機が飛び、海にはヨットが浮かんでいる。1880年代から90年代にかけて建てられた聖ペテロ教会や、願いがかなうという橋を抜けて、煉瓦づくりの小道Netiv Hamazalotを進むと、小さな港に出る。

港の近くのカフェのテラスで人々はくつろぎ、食事やお酒を楽しんでいる。Gold Starというダークラガービールをオーダーする。苦いけれど、軽いビールだ。

日も暮れて、シャバットが終了した。これで、20時以降、エルサレムまでのバスが運行が再開する。

灯のともる道をたどりながら、バスターミナルまで行こうとNeve Tsedek地区に立ち寄りながら歩く。この地区は、19世紀にはユダヤの知識人の住んでいたが、今では裕福な若者やアーティスティックな人々の住むエリアとなり、お洒落なカフェやレストラン、陶器屋などが並んでいる。

ふいにイスラエルの女性が、流暢な英語で道案内をしてくれると言った。アイスクリーム屋で働いている女性で、仕事のあと、疲れた身体で見送ってくれる。

テルアビブは夜まで賑やかだった。夜の遅くまで交通機関が動いている。22時に、これからエルサレムまで戻りたいと地元の人々に言っても驚かれない。エルサレムまでこれから戻るのね、じゃあ、バスの時刻表を調べてみるわね、とiPhoneをさくさくいじり、最終バスの時間まで教えてくれるほどである。

こうして途中からバスに乗ってターミナルまで行き、ごまつきベーグルを買い求めて、乗車する。定刻の22時45分に発車したバスでベーグルをほおばりながら、エルサレムへと戻る。ちょうど1時間でエルサレムにたどり着き、まだ人々の多く乗車する路面電車に乗って、そこからオリーブ山を登って家に帰る。オリーブ山のてっぺんには、いつもの通りにイスラエルの旗がライトアップされてたなびき、ユダヤ人墓地は岩のドームを向いて、ずらりと並んでいる。

紅茶にご飯、野菜にじゃがいもやにんじんの煮物、それに林檎をかじって休むことにする。

キリスト教とユダヤ教の金曜日 – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

朝食にチキンやスクランブル・エッグ、ピザ、それにじゃがいも、グリーンピースとにんじんの煮物をいただいてから、イブラヒムさんのご飯づくりを手伝う。

レモネードを飲みながら、にんじんもじゃがいももどっさりと袋から出して大きな鍋に放り込む。イブラヒムさんはにんじんの皮むきも手元を見ずにすぱすぱ切っていく。それを見てみてとばかりに得意顔をこちらに向けるのだから、茶目っけがある。

今朝はイスラエルのユダヤ人数百人分の料理を作っていると言った。数百人分なんて大した量じゃないよと言った。彼にとっては、民族も国籍も宗教も関係ないのである。

イブラヒムさんの家のあるオリーブ山は、終末の日が訪れるとメシアが立ち死者がよみがえるといわれている場所で、岩のドームを眺めるようにずらりとユダヤ人墓地が並んでいる。ここの墓地はとても高額らしい。

イスラエルは、この山の頂上に国旗をかざすため、もともと住んでいたアラブ人の住人にビルの一部を譲るように交渉をしたという。それに反対したアラブ人住人を、補償金がほしいアラブ人住人が殺したという話も聞いた。

そのオリーブ山の頂上付近にあるイブラヒムさんの家から城壁に囲まれた旧市街まで歩いて30分ほど。イエスが昇天した場所にある昇天教会や主の祈りを弟子に教えたといわれる主の祈りの教会などが途中にあって、立ち寄りながら旧市街へ向かう。

イエス・キリストは、有罪判決を受けて、十字架を背負って処刑が行われるゴルゴダの丘まで歩いた。その足跡をなぞり、毎週金曜日午後には旧市街のヴィア・ドロローサと呼ばれるその道をフランシスコ派の修道士が行進する。道なりには14の祈祷所が設けられていて、それぞれのステーションで、イエスにおこった出来事についての祈祷文が読み上げられる。

ヴィア・ドロローサは当時から繁華街で、今もたくさんの土産物屋が軒をつらねている。その中で修道士が祈祷文をマイクで読み上げ、それが終わるとみなで賛美歌を合唱し、次のステーションへと向かう。

イエスが死刑の判決を受けた場所から始まる。十字架を背負い、鞭でうたれ、一度つまづく。聖母マリアがそのイエスを目にし、キレネ人のシモンがイエスを助け、ベロニカがイエスの顔をふき、イエスは再び倒れる。それからイエスはエルサレムの女性たちに語りかけ、三度目に倒れ、衣服をはぎとられられる。十字架がたてられ、イエスは息をひきとり、聖母マリアが遺体を両手で受け止める。そして最後に、墓に向かう。

世界各地のキリスト教徒たちが、祈りを捧げにやってきている。ろうそくを灯し、想いをはせ、イエスの墓に列をつくる。イエスが息を引き取ったあとに香油を塗られた場所で膝まづき、手をのせ、頭をつける。チーンと鐘の音がして、聖職者は香炉を振り、鳩は飛んでいく。

そのうちにそれぞれがばらばらになり、ミサが始まっていく。

ユダヤ教徒にとって、毎週金曜日の日没前から土曜の日没後までは、安息日、シャバットだ。神が天地創造の7日目に休んだことにちなみ、この間は心も身体も休めなければならない。

手荷物検査を受けて入るユダヤ教徒の嘆きの壁には、シャバットに入る金曜夕方、多くのユダヤ教徒が集まる。

イスラエルの国旗がたなびき、左手が男性、右手が女性の部分と、仕切りが設けられている。子どもたちも男女に分かれるので、黒い正装を着たユダヤ教徒の男性が、男の子をのせたベビーカーを押していたりする。

男性が頭にかぶる帽子キッパや、女性が肌を覆うスカーフも貸し出される。聖書や、金曜の夜&フェスティバルのための祈りの本、The Kotel Siddurという本などが本棚にずらりと並び、だれしもが手に取れるようになっている。

男性のほうは、ラーララライライライとリズムをつけて、肩車をしながら、腕をくみ、手をふりあげ、あるいは手拍子をしながら、ぴょんぴょんと踊りだす。そうして踊っているのは大抵頭の上に白いキッパをちょこんとのせた人々で、まるでスポーツ観戦のようにはしゃぐようすで嘆きの壁に背を向ける人もいる。

超正統派のユダヤ教徒は、くるくるとしたもみあげを長く伸ばし、豊富な髭をたくわえ、黒いハットやファーの帽子をかぶり、黒いコートを着ている。こうした人々は、それを横目に粛々と壁に向かっている。聖書を片手に、身体を前後や左右に揺らしながら、ときには声をあげて謡うように祈る。暑いのか、汗をかいている。顔に笑顔は、ない。

女性も同じように輪をつくり、腕をくんで、歌い、踊り始める。黒い服を着た幾人か女性たちは聖書を片手に、あるいは顔につけて壁に向かっている。願いや祈りを小さな紙切れに書いて壁の隙間にはさんで、祈りを捧げる人もいる。仕切りの向こうの男性たちの様子を外から眺める女性もいる。

男女の中には軍服を着た人々もまじっている。

シャバット中は、何もしてはいけない。電気機器を利用することも、ものを書くことも許されない。

日もとっぷりと暮れていく中、照明のつく嘆きの壁の前はより盛り上がりをみせていく。20時半を過ぎたころに、徐々に人々は家路につく。

そのころには嘆きの壁の近くのユダヤ人街はほんのわずかなユダヤ人が歩くばかりで、その他は、猫が橙色の灯にともされた通りをするりと抜けていくばかりだ。

そんなユダヤ教にとっての金曜日夜でも、アラブ系バスは運行している。空には花火があがる。家に帰って、じゃがいもやにんじん、いんげんの煮物やカリフラワー、それにパンやごまのペースト、レモネードをいただいて休むことにする。