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国境からトルヒーヨ、チャンチャン遺跡とワンチャコ海岸 – Border with Ecuador / Piura / Trujillo / Chanchan / Huanchaco, Peru 

橋を渡ったところにあるペルーのイミグレーションオフィスもまた小さな建物があるのみだ。窓口に人はおらず、声を出して呼び出すと、眠そうにした普段着の男性が出てきた。パスポートを差し出すと、男性は奥にひっこみ、代わりに別の男性が出てきた。

こちらも一枚の紙に必要事項を記入すれば良いだけの簡単なものだった。目的地トルヒーヨまでのバスは何時に来ますかと尋ねると、トルヒーヨとの間のPiura行きまでのLoja発のバスが朝の4時に来る、と言う。結局、当初検討していたLojaからの夜行バスを待つ、ということになるのであった。

雨の降る暗闇に濁流が流れ、脚の悪い犬がそれをじっと眺めている。辺りは時折車が通っていくほかはしん、と静まり返り、たくさんの虫が飛んでいる。イミグレーションオフィスには「探しています」と書かれた長髪の女性の写真が貼られている。

イミグレーションオフィスの向かいにある、ぽつりと灯のついた別の小さな建物の外に椅子を置かせてもらい、バスを待つことにする。

2時間ほど待った4時過ぎにLojaから出発した夜行バスが国境まで到着したので、席を確保する。他の乗客の入国手続を待ち、バスは4時半を過ぎて、出発した。

バスが進んだ先には数軒の商店が並び、やがてそれは家にかわり、そしてそのうちに木々が生えるだけの土地になる。

国境を出発して1時間半ほど経ったころ、警察だという男性がバスに乗り込み、わたしたちだけにパスポートの提示を指示し、バスを一度降りなさい、と言う。指示に従い、バスを降りる。警察官たちはいくどもわたしたちの国籍を尋ね、そしてパスポートを持って、道のわきにある建物に消えていった。

前方にはまっすぐな道が続いている。右手には月が見え、左手は暗闇から深い青色の空へと変わりつつある。

わたしたちを置いて先を急ぎたがる運転手をなだめ、じっと警察官を待つこと5分ほど、行ってよいというので、バスに乗り込む。

それから2時間半ほど、ペルーに初めて降り立った街は、Piuraという街だった。

バスターミナルはバス会社ごとに分かれており、目的地トルヒーヨまでのバスを出すIttsa社のターミナルまで2ブロック歩くことにする。

Piuraの町の地面はぬれていて泥にまみれており、人や車ががやがやと行き交う、元気な街だった。こうしてようやくコロンビアとエクアドルの街が静かな落ち着きをもっていたことを知ることになる。

Ittsa社のターミナルに着いたのが8時50分、9時に出るバスがちょうどあるというので、それに乗ることにする。乗車時に指紋をとられるものの、ペルーのパンアメリカン・ハイウェイを通るバスは競合も多く、サービス抜群の快適バスなのであった。

バスは2階建てとなっており、冷房の効いたつくりになっている。そして出発してまもなく、かわいらしい添乗員の女性が、ソーセージとレタスのはさまったロールパンと、ガムが中に入ったグレープフルーツの飴を一人一人に配ってくれるのである。その後にはコーヒーやヨーグルト、ジュースなどをいただくこともできる。

そうとはいえ、立派に見える椅子のつくりはややがたつきが見られ、前の人が椅子の角度を変えると、わたしたちのテーブルに置かれたものがひっくり返る仕組みになっていることも、ある。

街から出ると、そこには平原が広がっており、田んぼやとうもろこし畑や水路がところどころに見られ、働く人々が点々としている。南へ向かうにつれ、辺りは乾燥していき、乾ききった白い土と草が混在し、そのうちに白い土と葉のない木が広がる平地となる。

さらに南へ向かうと、右手に穏やかな海が広がっているのが見える。そしてそのうちに、木も生えない乾燥地帯となる。ただまっすぐに南へと平地を向かうバスは、さほどゆれることもない。

3時間ほど経ったころ、チクライヨの町に到着する。2日ほど前に大雨が降ったとのことで、町の地面は凹んだところに水がたまり、深い水たまりになっている。そしてその向こうは、すぐに乾いた地面になっているという具合である。

チクライヨの町を出るとすぐに、今度は昼食が配られる。トレーに、チキンとユカ芋、アボガドとマヨネーズをからめたサラダ、そしてフルーツゼリーが乗ったセットである。ドリンクも朝食とはかわり、蛍光黄色のインカ・コーラなどが用意されている。

その後も時折田んぼやとうもろこし畑などが突然現れる他は、乾いた土地が続く。そのうちに遠くに大きな山の連なりが見え、その前に広がる砂漠にぽこぽこと砂の山があり、そこにだけもこもこと草が生えている。

そんな風景を眺めながら、16時ころにトルヒーヨのターミナルに到着する。チャンチャン遺跡の閉まるまでまだ時間があるので、タクシーに乗り、遺跡に向かう。

チャンチャン遺跡とは、1100年ころからインカに征服されるまで栄えていた、700kmにおよぶ地域を支配していた王国チムー王国時代の首都跡で、20kmにも広がる、世界遺産に登録されている遺跡である。  

タクシーの中からその広大な遺跡の様子が見えてくる。遺跡は平地に迷路のように入り組んでいる。当時と同じであろう、風が吹いている。

日干し煉瓦(アドべ)で造られている遺跡は、神殿、儀式を行う広場、墓地などに分かれ、それぞれに鳥や魚のモチーフや丸や網状のパターンが繰り返し施されている。中心部には大きな井戸があり、豊かな水をたたえている。

見学をしていると、ペルー人観光客の女性から一緒に写真をとってください、と言われる。

遺跡のほど近くにワンチャコ海岸という海岸があるので、そこに宿をとることにする。遺跡から、バスの走る通りまで砂道を歩いていると、ぺルー人観光客を乗せたバスが、乗っていきなさいと促してくれる。

家族連れでツアーに参加している人もいれば、男性一人参加している人もいる、その観光バスもワンチャコ海岸にこれから立ち寄るということで、乗せていってくれるという。

到着するころにはもうそろそろ日の入りの時間を迎えるころで、砂浜に座って、日の沈むのを待つことにする。波は高く、サーフィンをしている人もいれば、波打ち際できゃきゃとはしゃぐ子どもたちも、砂浜で本を読む男性もいる。砂浜にはモチェ期のころから使われているという葦でつくられたトトラ舟が幾隻も立てかけられている。

やがて太陽は、西の空の雲の中へと沈んでいった。

宿を探そうと地図があるという警察署を訪ねると、今度は警察が、望む宿まで送っていくから車に乗りなさい、と言う。言葉に甘えて荷物をパトカーにつめこみ、車の上でくるくるとライトを回すパトカーによって、宿まで連れて行ってもらう。こちらが日本人だと分かると、フジモリ大統領の話になり、フジモリ氏は良かったと、珍しく言った。

こうして宿にたどり着く。隣のレストランでは、愉快な音楽に合わせて、人々が踊っている。

身支度を整えた後、波の音が聞こえる海岸沿いを歩いて、開いている数軒のレストランから、Jungle Bar Restaurant Bilyを選び、夕食とする。

ぺルーは水産大国だといい、そのセビーチェもよく知られているというので、地元のビール、Trujilloビールに合わせてセビーチェをオーダーし、トトラ舟のたてかけられた暗くなった海を見ながら、いただくことにする。セビーチェには海老や貝、魚にとうもろこしやユカ芋も入っており、そこにレモンの味がきゅっとつまっている。

宿に戻るころには、隣のレストランも既に人気がなく、辺りは静まり返っていた。