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ビシュケク宴会 – Bishkek, Kyrgyzstan

朝はスクランブルエッグにパン、それにバターにジャム。

ビシュケクの街をのんびりと歩く。今日もウェディングドレスを着た新婦がいて、新郎とともに写真撮影をしている。そのわきにはリムジンが停まっている。

街には中国の商店が点々とある。そこには大きな瓜も麺も調味料も、石鹸も洗剤もあって、商店の中では中国語が飛び交っている。

今日はカザフスタンビザを取りに行く。バスに乗って30分ほど。18時半からビザの受け取りができると聞いていた。でも、どうやら5分で作業が終われば18時35分にはその門を閉じてしまうこともあると聞いていたので、慌ただしい。

大きなホテルのわきを通ってぐんぐんと歩くと、大使館前に人だかりができているのが見える。到着したのは18時半を10分ほど過ぎてしまっていたが、まだ門は開いていなかった。そのまま待つこと30分ほど。ようやくその扉が開かれる。

申請者の多い中国人の人々には、まだビザの紙をパスポートに手貼りする作業が間に合っていないようで、それ以外の国籍の人々がまず窓口に並ぶ。これだけの人数がいるものの、受け取り書などはなく、ただ窓口で、国籍と氏名を告げるだけだ。

受け取りは申請のときとはうって変わってスムーズに行われた。

こうして無事にビザを取得した後で、友だちが弟さんや従兄弟と、車で私たちを迎えに来てくれる。

車は林を抜けて、進んでいく。いくつかの伝統的な家屋の並ぶレストランに予約をしておいてくれた。昨日と同じ顔に新しいお友だちも来てくれていた。日本語を片言で話す女性もいる。

いかにも外国人旅行客を狙っているふうのレストランかと思えば、友だちは友人たちと何度か来たこともあると言う。

噴水が噴きあげられているわきには、ひき臼、洗濯板、ミシンなど昔から使われていた古道具が置かれている。それは中国のものとほとんど変わらない。キルギスタンは中国とやはり近いアジアだった。でもイスラム教であり、旧ソ連国であり、アジアであって、それがミックスされて、どの要素も薄まっているのがキルギスだった。

旧ソ連で良かったところはロシア語を話せるということだけ。あとは、目上の人を敬うという伝統も薄れ、イスラム教の宗教も薄れて、それにお酒を飲む習慣もロシアから入ってきたのよとイスラム教徒である友だちは言う。

キルギスの伝統料理をコースで頼んでくれていた。ボルソという揚げパンにカイマというチーズをつけてほおばる。レタスやトマト、チーズにオリーブのサラダ、とろりとした馬肉やその腸詰め。そして羊肉のスープ、ナリン。

飲み物は、発酵飲料でぴりりとくるショロにチャラップや、アルコールのボゾ。ショロとチャラップを混ぜ合わせて飲んだりもする。

キルギスでは馬肉は高価なものなので、普段は羊や牛肉を食べているが、来客があったときには馬肉を食べるのだそう。

最後に、庭にあるブランコに乗ってぐらんぐらんと揺れる。

その後、18歳従兄弟の誕生日パーティが行われているカジュアルなクラブに行く。入口で荷物検査を受けて中に入る。のりのり音楽に合わせて若者が身体を揺らしている。その横で、ピザなどのカジュアルフードにコカコーラを飲む従兄弟と友だちたち。

挨拶をした後、再び車に乗り込んで家に帰る。

ビシュケクはとても小さい町だから、それぞれの人がそれぞれを知っているの、キルギス人は親戚間の絆がとても強いの、ほら、あそこにも別の従兄弟がいたと友だちは言って、走る車の窓の外を指す。

従兄弟5人、一緒に育ってきたの、と窓の外を見ながら、続けて言う。

今日は夜に停電が時折訪れる。2カ月前に引っ越してきてから、初めての停電だと言った。