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Ecuador

朝風呂と、静かな夜の町 – Banos / Riobamba / Cuenca, Ecuador

Banosの西にあるEl Salado温泉もまた朝の4時半から営業をしている。そこで早起きをして、まだ営業開始準備を終えたばかりの市場の横から、バスに乗る。

乗客のほとんどが途中で下車をし、わたしたちだけを乗せたバスは坂をあがっていく。バス停から川沿いに歩いてすぐの川のほとりに温泉は設けられている。

到着したのがまだ7時半過ぎだというのに、辺りには多くの車が停車し、地元の人たちでにぎわっていた。

鍵のつくロッカーや温水シャワーを完備したその温泉は2フロアに分かれ、温かい温泉からぬるい温泉まで5つの茶色い温泉と、水のプール、水風呂、滝は温水、冷水2種類ある。

おじいさん、おばあさんが多いものの、家族連れやカップルも入りに来ている。普段は民族衣装を着ているおばあさんも、ここでは水着を着る。女性はシャワーキャップをつけることが求められているので、一様に頭はすっぽりとキャップでおおわれている。幾人かの女性は、耳たぶにいくつもの金のピアスを垂れ下げている。

すっかりと朝風呂を楽しんだ後、雲が目線と同じ高さに垂れこめる中再びバスに乗って町へ戻り、町の中心にある教会、Basilica de Nuestra Senora de Agua Santaへと向かう。

教会前には色とりどりのキャンドルをかごに入れて売る女性や、駄菓子を売る露店が並んでいる。中では日曜日朝のミサが行われており、参拝者があふれかえっている。祭壇脇にみなキャンドルを立てていく。

昨日朝食を食べた屋台が教会から近いので、カルメンおばさんを再び訪ねる。多くの客でにぎわう中、おばさんはわたしたちに気づくと、片手をあげて、挨拶をする。そして、ご主人が椅子を並べて拭き、どうぞと言う。

できればそこに座って、コーヒーやチョコラテと合わせてゆっくり朝食をいただきたいが、次の目的地、クエンカまでのバスの時間が近づいている。

だから、昨日の牛モツGuatitaとじゃがいもの煮込みやSeco de Pollo(鶏肉料理)とともにエクアドルの定番だという、チーズをはさんだパンを買い求める。

パンが出来上がるのを待つ間、屋台に座っていた女性客に、Ibarra地方で有名なハムとチーズのパンをどうぞと差し出される。

そして、カルメンおばさんのパンをかじりながら、宿に戻ることにする。外はさくっと中はもっちりとしたパンと、優しくまったりとしたチーズがよく合っている。

宿から荷物をとってから、バスターミナルへと向かう。部屋のテレビではポケモンが流れている。

リオバンバ社でチケットを購入し、バスは定刻の11時を15分ほど過ぎて出発する。リオバンバまで約1時間半、ゆるやかな丘に畑が耕され、牛がのんびりとしている。リオバンバでバスを降り、後ろにつけていたバスに乗り換えて、乗り込んできた物売りおじさんからバナナチップを買い求めて、かじる。

羊の周りで子どもたちが遊んでいる。見知らぬ日本の俳優たちが出ている映画が流されている。そこからもゆるやかに隆起した丘に牛がまばらにいて、その横で少年たちはサッカーをしている。そして時折、バスは鉄道と平行して走る。

途中からぞくぞくと人々が乗ってきて、立っている乗客もいる。途中険しい谷や崖で有名な「悪魔の鼻」のそばを通る。この辺りは景色もきれいだというが、深い霧がたちこめ、見えるのは道のへり位だ。だから、想像を、する。

徐々に青い空が見えてきた頃にバスターミナルに到着すると、男性一人から宿を見に来ませんか、と声がかかる。久しぶりのことだ。車で宿まで連れて行ってくれるというのでそのまま車に乗りこみ、宿を見に行く。

クエンカで2軒目の宿だという、まだ3カ月目のその宿、El Capitolioは家族経営の宿で、玄関のベルをならすと子どもたちが走ってきて「こんばんは」と言いながら扉を開けてくれたりするのである。オーナー男性と奥さん、子どもたちが手作業で、丁寧なサービスを提供しているのがこちらに伝わってくる宿であった。

日曜日の夜はほとんどのレストランが閉まっている。世界遺産だというクエンカの街もひっそりとしていて、歩く人はほとんどなく、車が行き交うばかりである。

うす暗い町に灯をつけていた、クエンカに4店舗あるというレストラン、Los Kanibalesに入り、お勧めのグリルチキンとフライドポテト、サラダにチキンスープ、ポップコーンにビールを合わせてオーダーする。

ボリュームのある夕食をいただいていると、22時の閉店30分前ほどになり、店の灯が一つ二つと消され、店のシャッターも閉じられた。そそくさと食事をいただき終わり、帰宅できるのを待っていた店員に礼を言って店を出る。雨がぽつりぽつりと降っている。

月曜日の夜にはコルドバ通りのレストランもたくさん開きます、と宿のオーナーが教えてくれた。明日の夜のクエンカは違ったふうになるのだろうか。

温泉の湯気と、雲と、滝の、白いバーニョス – Banos, Ecuador

Banosの周りは山々に囲まれ、滝も多いというので、マウンテンバイクをレンタルして巡ることにしようと思っていたものの、朝からあいにくの雨である。

どうやら昨日、ほど近い5016mの火山、Tungurahuaが噴火したようで、地面や車の上に灰がうっすらとかぶり、道路を掃く女性がいる。傘をさせば灰がつき、マスクをしたほうが良いですよとアドバイスをもらうほどである。

雨が止むのを待ちながら、朝の6時半から開いているという屋台で朝食をとる。教会横に何台かの屋台が並んでおり、そのうちの一台に座る。その屋台の料理人は、72歳のカルメンおばあさんで、屋台を始めてもう35年だという。エクアドルの朝食の定番の一つだという、牛モツGuatitaとじゃがいもの煮込みにキャベツとご飯をそえたものをいただく。

すっかりと寒い朝なので、食後に温かい飲み物Aguita de Anisに砂糖を入れて手でそれを包み込み、暖をとる。そのうちに、カルメンおばあさんが、これもどうぞと甘いホットチョコラテにさらに砂糖を入れて、テーブルに置いてくれた。

時折雨が弱まるものの、まだ様子をみることにして市場に向かい、夕食のための買い物をする。アボガドにトマト、ソーセージBoton de res、そしてチーズを買う。町では多くのモルモットが炭火焼にされてくるくると棒で回されている。ちょこんとした口が、なにやら凶暴な顔に変形している。飴を店先にかけてびよんびよんと伸ばしている店も並ぶ。

BanosからMachayまでは7つの滝があり、川に沿ってほぼ下り坂のその道をマウンテンバイクに乗って下っていく。滝や橋の各所にバンジージャンプやらCanopyやら蛇の首巻きやらのアトラクションが用意されている。

アゴヤンの水力ダムを越えて滝にたどり着くと、そこではCanopyやロープーウェイのアトラクションがあり、そのわきの砂糖きびがいくつもたてかけてある売店で、砂糖きびを切った茎が売られている。買い求めようかと近づいて行くと、どうぞと茎を渡される。その甘い汁をちゅうと吸っていると、また一つ、どうぞ、と言う。

5つあるトンネルの内、2つ目以外はわき道があり、川の崖に沿って、時折岩の上からしたたる水をあびながら、そしてまた時折雨に降られながら、自転車をこいでいく。

腰と脚にロープをくくりつけて水平に下っていくCanopyはあちらこちらにあり、中には家族で手作業で作ったかのように見えるものもあり、びくびくとするである。ロープーウェイもまたよく見かけ、中には地元の人たちに使われていたのであろう、物を運ぶためのロープも川のはしとはしをつないでいる。こちらもまた家族経営らしきものもあり、滝があるごとに、そこに商売が生まれ、家族が住み、子どもが生まれ、育ち、元気に遊びまわるのである。

Rio Blanco、Cielo橋の上に設けられたバンジージャンプでは、女性が挑戦し、歓声があがる。そして、撮影された挑戦者の動画が流され、人だかりができて、みなが見入っている。

再び自転車をこいでManto de la Noviaにたどり着き、ロープーウェイで滝の近くまで行く。ぐらつく鉄の柵でできたロープーウェイが相当な勢いで下がっていくものだから、相当にひやひやとするのである。

二つの滝が寄り添うように流れ落ちていくのを眺めながら昼食をとる。豚肉を揚げたものに、とうもろこし、Moteをまぜて、サルサをかけたFritadasをいただく。

そして、またSan Jorge滝やSan Pedro滝を眺めながら、自転車をこぐ。

大雨が降っては、また止み、それを繰り返していく。ところどころに村があり、開け放たれた門から鶏が走り出ている家もあれば、その横で牛が雨に打たれている。

Banosから18kmほど離れた滝、Pailon del Diabloにたどり着く。「緑の川」という名の深い緑色をした川が一度大きくうねりながら、水をためた後、黒い岩にそってぱかりと二つに分かれながら、そしてまた一つになって落ちていく。

滝の上流を見守る親子が、マンダリンをどうぞと木を棒でつつき、それを手にしてわたしたちに差し出す。

甘酸っぱいそれを口にほうりこみながら、滝つぼまで向かう。山道を下がり、滝つぼ近くまで下っていくと、しぶきで身体がびしょりとなる。辺りは厚い雲がたちこめ、それが滝と同じくらいの高さをおおっているものだから、滝の水しぶきと雲と雨とで、辺りは白く霞んでいる。

細い岩穴を通ると、滝がすぐ目の前に近づく。深い緑色をした川が滝となり、白い水しぶきを上げた後は、茶色い川となって、いずれアマゾン川に流れ込んでいく。

そこから、また少し先に行ったMachayの滝に着くころには、日が暗くなり始めている。もう滝へと下がる者は他におらず、静まり返る山道と階段を急いで下る。まっすぐに滝つぼへと落ちる滝が、徐々に暗がりへと向かっていく。

滝つぼからまた山道を上がり、道に停めてあった自転車にたどり着く19時ころにはすっかりと辺りは暗くなっていた。雨にぬれた地面の上で自転車は滑り、車のライトは反射する。

ちょうどPailon del Diabloに停まっていた2階建てのバスの後ろに自転車を乗せ、2階に席をとる。天井のない2階にほとんどの乗客が座っており、トンネルに入るとバスはぐらりぐらりと揺れ、その度にきゃあきゃあという声があがる。

そのうちに雲がはれ、バスに流れるのりのりの音楽を聞きながら、昼はてっぺんが雲に隠れていた山々の形がくっきりと黒い影となって、現れてくる。

一日かけて自転車でたどり着いた道もバスだとただ30分ほどでBanosの町へと戻ってくる。カルメンおばあさんは夜も同じ場所で働いている。

市場で買っておいた食材を使って、じゃがいもとたまねぎとBoton de resの炒めものと、トマトとアボガドとチーズのサラダを作って、Pilsenerビールを合わせていただく。

夜遅くまで今日も外で明るい音楽がなっている。

煙のミサと、滝の温泉 – Quito / Banos, Ecuador

1535年に建てられたカテドラルで朝の6時半ころから1時間ほどミサが行われるというので、早起きをしてスモモをかじりながら、向かう。地面は雨にぬれていて、朝らしく空気が澄んでいる。スーツを着た男性や赤ん坊を抱えた女性、学校に向かう子どもの手をひく男性、制服を着た男の子や女の子が街を歩いて行く。

7時過ぎに到着するころには、既にミサが始まっていた。

大きな金の祭壇の脇の十字架にそっと触れて、幾人かはすみに座っている神父と向き合い、言葉を交わしてから更に奥へと入る。祭壇の奥にまた別の祭壇があり、そこでミサが行われているのである。人々は歌を歌い、辺りは煙につつまれている。やがて、神父が金の鏡を上に持ち上げ、そっと祭壇に置く。

そのうちに、ミサが終了し、ある人は教会を出ていき、ある人は隣の祭壇に移動して、引き続き神父が聖書を読み上げる。教会のはしでは、後に暗殺された独立運動の中心人物、ホセ・スクレ将軍が静かに眠っている。

そこから、Aplanchadoというメレンゲとパイをくっつけたものをつまみながら、朝と夕方のみ開いているサント・ドミンゴ教会へと向かう。広場には、少しだぼりとしたグレーの制服を着た男の子たちが集まり、その多くが髪を固めている。幾人かは、教会の入口でグッズを購入して中に入り、幾人かは親とともに教会に座り、ある制服を着た男の子はおじいさんに靴を磨かせている。

キトの街では、いつもと変わらず、民族衣装を着た女性がかごやビニール袋に果物をつめて、歩きながら売っていく。

ここから次の目的地、Banosに向かう。スペイン語でBanosというのは、「お手洗い、浴室、入浴、温泉地」といったような意味で、そこには温泉があるのである。

サント・ドミンゴ駅からトロリーバスに乗って、大きなショッピングモールのあるEstacion El Recreoで乗り換え、南バスターミナルへ向かう。ターミナルは白と淡いグレーの新しくて整然としたつくりで、モニターをみながらバス会社を探し、Amazonas社でチケットを購入する。

バスの前で売られていた、チョコのかかったクッキーの入った袋を買い、用紙に名前を書いて乗車する。キトからBanosまでの道は「アンデスの廊下」とも言われている。パンアメリカンハイウェイは畑の広がる山や牛が点在する丘、線路沿いを抜け、南へと乗客を運んでいく。空は晴れては、また霧がかかり、山々の頂上を隠していく。それでも5896mの雪をかぶったコトパクシ山は、雲に隠れながらもほんの少しその姿をのぞかせた。

大きな山々の間をぬいながら、そのうちに徐々に山を下っていき、3時間半ほどでBanosに到着する。

宿をとって、早速に町の端にある温泉、La Virgenにつかりに行く。滝の隣で湯気をたてる2階建てのその温泉は、茶色く鉄や土の匂いがする。あたたかい温泉と熱い温泉、冷たい水のプールや水風呂、水の滝があり、温泉には多くの人が水着を着て、ふうと、つかっている。

金曜日夜から日曜日にかけてはエクアドルからの観光客も多く、温泉は水着を着た人々でぎゅうぎゅうである。子どもたちはその中を泳ぎ、中にはスノーケリングマスクを頭にはめている子もいる。クエンカ出身だという女性も、この後閉館の22時までいるつもりだと言った。

やがて日も落ちて滝は暗闇に包まれる。温泉で身体を温め、すっかりとお腹もへってきたので、宿へ戻る途中にBasilica公園に面したレストラン、Achupallaで夕食をいただく。お勧めをされた鱒のフライとフライドポテトにキャベツ、マヨネーズで和えたサラダにオレンジ、そしてPilsenerビールを合わせていただく。

首都キトでは夜にぴしゃりと扉が閉められていたのと比べ、ここでは夜まで多くのレストランやバー、ディスコテカが開き、若者たちは夜の町に繰り出している。思わず、帰りがけにカフェ、MEETING POINTに立ち寄り、マンゴータルトをオーダーする。このタルトもまた、甘すぎず、ふんわりとしている。

宿に戻ってからも、外からどんちゃんとノリノリ音楽が聞こえてきて、宿の壁をじんじんと響かせる。

世界遺産の町の市場 – Quito, Ecuador

朝はグラノーラにレーズンとミルクを入れ、昨日店でいただいたスモモと小さな梨、Taxoとマンゴーをいただく。果物はどれもみずみずしい。

キトの旧市街は世界遺産登録第一号の街であり、色とりどりの家にお決まりのようにゴシックフォントの看板が掲げられていて、しゃれている。

そんな街でも、Rocafuerte通りをぐっと西のほうへ坂を上がって行くと、そこに住む人々の生活が見えてくる。坂をあがるほどに、肉屋、八百屋、靴屋、金具屋や卵屋、花屋が増えていき、時折民族衣装を着た人々が荷物を背中に担いで歩いて行く。

そんなふうに20分ほど坂道を上っていくと、1893年設立と書かれたグレーの建物、サンフランシスコ市場が見えてくる。よほど歴史があるのだろうと中に入ってみると、そこは白いタイル張りで明るい新しい空間であった。

市場のなかで特に客の入っていた食堂で昼食をいただくことにする。日替わり定食セットをオーダーする。今日のメニューは、肉やじゃがいもの入ったソラマメスープや、パスタスープ、そして牛肉とライス、サラダにトマト、ポップコーン、それに木いちごジュースがついてくる。

市場で野菜や果物を買った後、再びキトのパソコンの神様に会いに行く。ハードディスクを交換する必要が出てきたので、新しいハードディスクを購入し、交換してもらいに行くのである。

貴金類の店舗が並ぶ道を通りPlaza del Teatro駅まで歩き、そこからからAlameda駅で乗り換え、Estacion Seminario Mayor駅に向かう。

Comisariato del Computadorの店内ではWi-Fiも飛んでおり、そこで日本のパソコンの神様ともやりとりをしながら、話を進めていく。

二人の神様に助けてもらった後、近くの商店で甘いパンとクッキーを買い求め、Pilsenerビール瓶とともにいただく。帰りはEstacion Seminario Mayor駅からメトロバスに乗ってConsejo Provincial駅で降り、Alamada駅からトロリーバスに揺られて、宿に戻る。

夜は、再び日本のパソコンの神様とスカイプをしながら、昨日いただいたマンゴーや市場で買ってきたTomate de Arbor、そして卵屋で買ってきた卵でつくった目玉焼きをつまみながら、簡単な夕食をとる。

最後のキトの夜だ。

神様と霧と絵と警察 – Quito, Ecuador

朝からパソコンの調子がすぐれず、TIAで買っておいたグラノーラにミルクを入れて朝食をとりながら、日本にいるパソコンの神様とスカイプで話をする。

神様は、出張で東京から名古屋に来ていて、ちょうどスマートフォンのスカイプでコンゴと仕事の話をしていたという。便利な世の中になったものだ。

神様のアドバイスを実現させるべく、Estacion Seminario Mayor駅にほど近いComisariato del Computadorというパソコン専門店を訪ねることにする。

宿のあるサン・ドミンゴ駅から少し歩いてPlaza del Teatro駅まで行く途中で、チョココロンにたっぷりとクリームの入ったパンをかじる。

昨日は閉まっていたサン・オーグスティン教会が扉を開けていたので、中に入る。おだやかな日差しの入る教会内にいるのは、数人だけである。

Plaza del Teatro駅からAlameda駅までトロリーバスに乗り、そこからBasilica教会の見えるSanta Prisca駅まで歩いてメトロバスに乗り換えて、Estacion Seminario Mayor駅に向かう。

Comisariato del Computadorにもまたキトのパソコンの神様がいて、その太い手で、乱暴にみえるも勝手知ったる様子で、パソコンを開けたり、かちゃかちゃといじったりしている。この店のオーナーで、開業15年だという。

二人の神様にお世話になり解決策を模索した後、タクシーに乗って、Bellavista地区にあるグアヤサミンのThe Capilla del hombre(人類に捧げる礼拝堂)を訪ねる。洒落たレストランや店が並ぶAv.Gonzalez Suarezを走り、マチャンガラ川を渡り、霧のたちこめる丘をあがっていき、礼拝堂に到着する。

オスワルド・グアヤサミンは、1919年から1999年を生きた、先住民族の血をひく、キト生まれの画家である。人類、ラテンアメリカの人々の苦しみに捧げられたこの礼拝堂は、1995年から建設が始まったものの、彼の死後2002年にようやく完成することとなった。グレーの石で造られた四角の2階建ての礼拝堂の真上にでっぱりがある。

閉館時間をやや過ぎていたものの、なぜか入れたものだから、すでに1階は電灯が消されてうす暗く、ほかの客がいない。霧に包まれた柔らかな光だけが外から入り込む館内で、大きく、圧倒的な力をもつ作品と対峙する。

「Mural de la miseria」には苦しみに満ちた人々の表情や手のひらが描かれ、「Mural los mutilados」には骨の透ける人々が手を挙げている様子が描かれ、「Playa Giron」では、人々が頭を抱え、「La Familia」では人々が身体を寄せ合っている様子が描かれている。

「El Mestizaje」では、落ち着いた黄色と青を使って描かれた一人の女性が目を閉じ、唇をうっすらと開けて、大きな手のひらをこちらにかざしている。オリジナル作品を観る意味が、ここには確実に、ある。

外からみた建物上のでっぱりの内側には、黒い背景に白く痩せた人々が細い腕を上げながら、幾人も重なりあっている様子が描かれている。2階から1階まで吹き抜けになっており、1階の赤く塗られた円が外からの光を受け止めている。

礼拝堂は霧に包まれては薄れ、また深い霧に包まれていく。裏の民家や林もうっすらと霧に包まれていき、そのうちに、辺りは鳥のなく声ばかりになる。空港に向かう飛行機が、濃くたちこめる霧の中でその音だけを時折響かせていく。

静けさに包まれたThe Capilla del hombreを後にして、宿のほうへと戻る。フルーツを買おうと小さな商店に立ち寄る。見たことのないフルーツについて説明を聞いていると、いくつかの果物をさして、今が一年に一度の旬です、と言う。スモモと小さな梨を買うことにすると、Taxoというフルーツをあげます、と言って、差し出された。そして、一つ試してごらんなさい、と皮をむいてぽんと置いてくれる。

その後も子どものAlexisくんとAndresくんと日本語についてなど話をしていると、今度は子どもたちからのプレゼントでマンゴーを差し上げます、と言って、また手のひらにぽんと包んでくれた。

そのうちに今度は警察官だという旦那さんが現れ、同じ警察官だという同僚の男性が、家に帰る途中にトロリーバスの駅まで車で送ってくれるという。車は新しいシボレー車であり、支給されているものだそう。静かでスムーズな運転さばきをみせる。

政府のためにキトの情報を集めるコミュニケーション部門に属しているということで、警察になってもう10年ほどだという。キトはトロリーバスなどができてから、街も大きくなり随分と変わったのだそう。治安も15年ほど前と比べると大きく改善されたようで、かつてエクアドル全土で1万2千人だった警察官が、現在ではキトで1万6千人、エクアドル全土では4万3千人にもなるという。

商店の辺りもまた徐々に霧に包まれ、電灯が橙色ににじんで見える。

送ってもらったCuero y Caicedo駅からトロリーバスに乗る。もうすぐ8時を回ろうとしていた。この頃には、やはり旧市街のほとんどのレストランは、容赦なく丁寧にその扉を閉めている。

そこで宿の一つ手前のPlaza Grande駅で降りて8時閉店のスーパーTIAに再びすべりこむ。TIAにも、野菜や果物をいくつか売っている店と、鮮生品は一切置いていない店がある。すべりこめたTIAにあった食料で、シーチキンとソーセージのパスタに、レーズンと、バナナの葉で巻いてあった細いチーズを添えて、Pilsenerビールと合わせていただくことにする。

今日も夜中を過ぎても教会の鐘がなっている。