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車で連れて行ってもらう – Lima, Peru

シンプルなつくりのバスも、6時半ころにはリマのFlores社ターミナルに到着する。

売店で売られていた桃のジュースを飲んだあと、行こうと思っていたJesus Maria地区の宿に向かうことにする。ターミナル前から出ているバスに乗り約5分、下車をしてうろうろと探すものの、なかなか見つからない。

食料品店に入り、その場所を尋ねると、店の主人が何かつぶやいてから店を出ていき、そのうちにどこからともなく日本語を話すフランシスコさんが現れた。ブルーのシャツに黒いパンツをはいた、きれいな身なりをしている。

タクシー運転手をしているというフランシスコさんは、「車に乗ってください、探している宿まで連れて行ってあげます、大丈夫、タダだから。」と言った。会社所有のものだという、日産のタクシーに乗りこむ。

大学を卒業したその日に、日本で働く従兄から電話がかかってきて、日本で仕事をしないかと誘われたのだという。そのまま飛行機に飛び乗り、1991年から2001年までの10年間、日本のあちらこちらで仕事に励んだ。

その間に産まれた息子さんはもう16歳だという。現在スペインにいる奥さんとは別れ、息子と二人暮らし、リマでタクシーの運転手をしている。

ペルーの景気は上向きだと言う。よくペルーで耳にするフジモリ大統領について尋ねると、「それまでの大統領のときは経済はバラバラだったけれど、フジモリ大統領はそれをまとめあげた。それは良いこと。でも、わいろが問題で捕まっちゃったね。」

日本の料理は刺身も納豆もおいしいとお腹に手をあてる。

数軒の宿をあたるも、今バレンタインデーの連休中だというペルーはどこも満室が続いた。数時間休憩ができる宿もあるという。

いろいろとフランシスコさんの運転で宿をあたった果てに、以前に見たことがあったというホステル、Markawasiに連れてきてもらい、そこに部屋を見つけて、確保する。

昼食は、宿のテラスで、スーパーPlaza Veaで買ってきた林檎とグラノーラにtutti fruttiのヨーグルトをかけていただく。

ここペルーは日系移民者も多く、移民80周年を記念して1981年に建てられた日秘文化会館や日本人移住史資料館もリマにあるというので、訪ねてみることにする。

日秘文化会館行きバスに乗るためにバス停に向かっていると、再び日本語で話しかけられた。

酒屋で働いているというマウロさんは、日本語で言う。「前、群馬に住んで働いていたよ。」

少しだけの会話を交わした後、再びバス停に向かって歩き出す。すると、酒屋のトラックに乗ったマウロさんが追いかけてきて、連れて行きますからどうぞ乗っていってくださいと促す。同僚を電気のない荷台に閉じ込め、わたしたちを助手席に乗せて、日秘文化会館まで送る。

日秘シアターや日秘総合診療所がそばにある日秘文化会館に入ると、千羽鶴がずらりとぶら下がっている。

2階にある日本人移住史資料館では、1899年、佐倉丸に乗った最初の移民790人が横浜港を出港して34日間でペルーCallao港にたどり着いてから今日までの様子を中心に展示している。特に新潟、山口、広島、岡山、茨城、東京といった場所からの移民が多かったという。

初期移住者が過酷な環境の中ゴム園で働いていたこと、その約80年後の1980年代におきた日系ペルー人の「出稼ぎ現象」、1996年トゥパク・アマル革命運動の武装テロリストによる人質事件にも触れている。

調子の良くならない体調を抱えながら、1階の日本料理も出すレストランNakachiで、うどんをいただくことにする。

チャーシュー、鶏のささみに野菜、うどんの入った「Kake Udon」をオーダーする。ほどなくして運ばれてきたうどんのスープをすすり、しばらく目を閉じる。スープはぬるく、うどんもやや粉っぽい。それでも、久しぶりの日本食に浸る。レストランでは、日系らしい女性が多く、スペイン語と日本語が聞こえてくる。

会館を出るころには夕焼けが見え、バスに乗って宿に戻る。

夜の11時42分、マグニチュード4.8の地震があり、短い時間だが、ぐらりと揺れる。

こうしてペルーの大都会リマの初日は、日本を想う一日となった。