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織る女性たち – Patacancha / Ollantaytambo / Pueblo de Machu Picchu (Aguas Calientes), Peru

今日は、2009年に設立され、ペルーの地方で活動するNGO、AWAMAKIが織物や保健衛生プロジェクトなどを立ち上げているパタカンチャ(Patacancha)村へ行くことにする。

朝の8時ころ、道には野良犬が寝そべっている。市場に立ち寄り、朝食の全粒粉パンを買う。さほど大きくない市場でも、野菜やフルーツ、肉などが一通り売られている。

8時にスタッフの方々たちと合流し、バンに乗り込む。舗装されていない泥道を、1時間ほどパタカンチャの村まで上がっていく。オリャンタイタンボから村までの公共交通手段はなく、1日2回朝と夕方に教師が村へ行くための車両があるだけだという。村には電話が一つあるだけで、その電話も応答されるときとされないときがあるのだという。

山々には、とうもろこしが植えられ、鮮やかな色の民族衣装を着た人々が馬をひき、豚が通り過ぎ、牛が通り過ぎ、羊が通り過ぎる。

牛が道を遮るときもあれば、泥道にバンが立ち往生して幾人かが降りてバンを押すこともある。

いよいよバンは動かなくなり、村の人々が男性も女性もどこからともなく鍬をもって出てきて、水のたまる道に土や石を敷き詰め始める。そしてわたしたちはバンを降りて、パタカンチャの村まで歩くことにする。向こうの山の家の煙突から煙があがっている。

この村では、男性の幾人かと子どもたちはスペイン語を理解できるものの、女性はスペイン語をほとんど話さず、インカの公用語であったケチュア語を話す。

女性はオレンジ色のスカートをはき、色とりどりのボタンなどで装飾された赤い上着を着て、そしてその上にまた鮮やかな色の布をかけている。頭には刺繍がほどこされた帽子をのせて、ビーズの帯をあごにかけている。

AWAMAKI所有の一画に、次々と女性たちが集まってくる。そして織物についての説明がなされる。

以前はアルパカかリャマの毛を使っていたところを、スペインによる征服16世紀以後に羊が入ってきたのだという。アルパカの毛は、羊のそれと比べて柔らかくて温かく、ラノリンを含まないので敏感肌の人にも良いのだそう。

羊の毛で織る場合は、毛を刈り、ラノリンをおとすために一度洗ってから、ph’uskaという道具を用いて紡いで糸にする一方、アルパカやリャマの毛はラノリンを含まないので、紡いで糸にした後、織る前に洗うのみだという。

現在ペルーの地方では、ほとんどが化学物質によって染色された糸を使っており、自然染料を使う知識が失われる危機に面しているのだという。

Awamakiでは、地元の人々に昆虫や植物などといった自然染料を使うワークショップを行い、商品には全て自然の染料が使われている。

イサベラという女性から、伝統的なケチュアの織り方を実際に教えてもらう。

三色の毛糸を選ぶと、木の棒を拾ってきて、身体全体を使って土の地面にぐっと突き刺す。それから指先だけを器用に使って、見事に織っていく。途中から腰に毛糸を巻きつけ、時に身体を動かして糸を緩めたり、ぴんと張ったりしながら、一本一本織りすすめる。

昼食は、特別なときにだけ使うという石のオーブンを使い、伝統的な手法で焼かれた食事をいただく。家の裏手にある土を掘り起こすと、そこには藁が敷かれていて、ライマメが置かれている。さらにその藁をわきによけると、熱々の石が埋められており、その中にじゃがいもやにんじん、アルミホイルに包まれたチキンがごろりごろりと置かれていた。

炭で焼かれたほくほくとしたじゃがいもに、甘いにんじん、旨みのつまったチキンをいただく。ときおり、地元でよく食べられているというチーズソースHuancainaやチリソースをかけてみる。

最後に地元の伝統的なお家へとお邪魔する。

壁は日干し煉瓦アドべに藁と泥を塗ったもので、屋根には藁をかぶせている。
床は土のままで、壁にそって置かれたベンチには、羊の毛でできた敷物がおかれている。片隅にガスがひかれている。木を切ってきて火をおこすことがたいていであるが、雨が降っていたりしてそれがかなわないときは、ガスを使うのだという。

仕切りのビニールの向こう側には、モルモットが数多く飼われている。特別な日に自分たちで食べるためと、食料としてそれを売るためである。

そのそばには、野菜を蓄えておくスペースがある。じゃがいもを蓄えているスペースは、芽がにょきにょきと天井いっぱいにまで生え、スペース一面、芽だらけでじゃがいも自体が見えないほどである。ちょうど今の時期は食糧の貯蓄が少なくなる時期であり、収穫期にはそのスペースは野菜でいっぱいになるという。

ご主人は、政府関連の道路工事の仕事をしている。この地域の男性は、たいてい時間制で働いており、土木業や観光業、まれに商店をもって商いをする人々がいるのだという。そして農業は家族全員で行う。

AWAMAKIが成功した大きな要因について、ボランティアのキリさんはこう言う。
・商品の質にこだわっているので、誰しもが参加できるというわけではない。
・寄付だけに頼らず、自ら利益を生み出す構造を作り出せているため、寄付があった際にはプログラムの向上にそれを活用することができる。
・米国人と地元のプロの連携がうまくいっている。

現在、リマやクスコの他米国でも商品を販売しているのだという。そしてしばらく不具合があって閉じられていたオンライン・ショッピングも近く再開するという。

帰りも行きと同じ道を帰る。再び泥道でバンが停まると、下車をして、後ろから押して進む。道ばたでは大きな織物をしている女性や子どもたちの姿もあり、ロバや馬や豚や牛がときおり通り過ぎる。Marcacochaの遺跡や100段もの畑の連なるPumamarcaの遺跡が窓の外に見える。  

最後は道路工事中で水が道に溜まり、もう少しのところでバンを降りて、オリャンタイタンボの村へと歩いて戻ってくることになる。

村の坂を下がったところにあるペルー・レイルのオリャンタイタンボ駅に行き、マチュピチュ遺跡のふもとにある村、マチュピチュ村(アグアス・カリエンテス)まで電車で向かう。

駅にはとたんに多くの日本人がいて、日本語があちらこちらに聞こえてくる。定刻の15時37分、カンカンという鐘の音とともに列車は走り出した。

駅のそばには段々畑があり、しばらくすると、とうもろこし畑が広がり、またしばらくすると段々畑が見えてくる。線路の横を流れるウルバンバ川は濁流が勢いよく水しぶきをあげている。

今回乗車したビスタ・ドームではハムとチーズのはさまったミニパンと、チョコロールが軽食として配られた。思わず、ビール、Tres Crucesをオーダーする。久しぶりのビールとやや高い標高のせいか、ほろ酔いになり、インカ・コーラで落ち着かせる。

約1時間半ほどでアグアス・カリエンテスの駅に到着する。日本の温泉街にあるような橋を渡り、洒落たレストランやカフェの並ぶPachacutec通りの坂を登ったところにあるHostal&Restaurant Pakarinaに部屋をとる。

マチュピチュ遺跡のチケットは、事前に購入しておく必要があるので、アルマス広場近くのチケットオフィスへと出向く。そこで、マチュピチュ遺跡の横にそびえたつワイナピチュへの入場チケットとセットのものを買おうとすると、1日の入場制限人数400人を超えたので、ワイナピチュは登れません、という。

どうしたものかとしばらく思いあぐねていると、先ほどまで難しい顔をしていたオフィスの男性職員が、「10時入場のチケットに2名分空きが出ました。オフィスでは手配できないのですが、ご自身でオンラインで注文することができます」と言う。

すぐそばのWi-Fiカフェ、Cafe 24に入り、調べてみると、確かに初回の8時は一杯のままだが、10時に3名の空きが出たと表示されている。こうして無事にワイナピチュへのチケットを手にすることができた。

夕食は部屋で、先ほど市場や商店で買ってきたアボガド、トマトとチーズ、すももと酸っぱいスターフルーツをいただくことにする。