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2012年02月

聖なる谷を望む遺跡 – Cuzco / Ollantaytambo, Peru

今日はクスコからマチュピチュへのインカ道の途中にあるオリャンタイタンボまで向かうことにする。静かな朝のクスコの町で、パン屋から買った細長いスティックのパンをかじりながら、オリャンタイタンボ行きバスのターミナルへと向かう。

ターミナル付近で集客をしていたバンの運転手がいたので、そのままそのバン、コレクティーボに乗りこむ。運転手の見事な客引きでじきに満席になり出発となる。

コレクティーボは、インカ帝国の重要拠点となった村々や遺跡の残る聖なる谷を走っていく。グアナバナのヨーグルトとバナナチップ、ソフトキャンディーを口に入れながら、窓の外を眺める。

鉄道の駅のあるポロイ、かつてインカ帝国の要塞があったチンチェーロ、クスコ市民にとっての保養地ウルバンバを経由してオリャンタイタンボへと駆け抜ける。

丘に囲まれた道は常にゆるやかで、カブの黄色い花があちらこちらで緑の畑に色を添えている。

運転手さんの高速運転により、1時間半ほどでオリャンタイタンボに到着する。町の中心へ向かう川沿いの道から、オリャンタイタンボの遺跡の段々畑が見えてくる。道沿いにはさぼてんやすすきが並んでいる。

訪ねようと思っていたオリャンタイタンボを主な拠点とするNGO、AWAMAKIのショップがまだ閉まっていたので、まずは遺跡に足を向ける。

オリャンタイタンボは、マンコ・インカがインカ軍を率いて潜み、スペインの征服者たちを撃退した場所であり、インカ帝国時代の要塞とも宿とも言われている。

300段の階段をあがりきると、村を一望できる広場に出る。こうしてみると、村が谷の間に作られていることがよく分かる。

そこには巨大な褐色の石が6個並べられており、幅が全部で10m、高さ4m、奥行き1mもある。中には菱型がいくつもつらなっているように表面が削られている石もあり、これはティティカカ湖畔のティワナク遺跡に見られる模様と同じなのだそう。

この巨大な石をどうやってここまでもってきたのか、今も謎のまま。近くには大きな石がごろりと置かれたままだ。

対岸には、見張り小屋だといわれている建物が見える。

プレ・インカの遺跡から、太陽の神殿、水の神殿、儀式に使われる泉、斜面にたてられた穀物倉庫などを回り、村へと戻る。

AWAMAKIのオフィスが開いていたので、明日の朝、団体が織物プロジェクトを繰り広げているパタカンチャの村へと連れて行ってもらうことにする。

そのためにオリャンタイタンボの駅へ行き、予約をしていた明日のマチュピチュまでの電車、ペルー・レイルの時刻を変更する。座席指定のできないペルー・レイルであっても、列車の変更はスムーズに進み、そのままトゥクトゥクに乗って、村の中心アルマス広場へと戻る。

市場の近くにあるレストラン、Dona Evaで昼食をとる。今日のメニューは、麺や野菜の入ったスープと緑ソースのかかったチキンのシチュー、野菜にじゃがいも、ライスにハーブティーのセットだという。

そのうちに雨が降り出し、村で今も使われているインカ時代の水路に、水が勢いよく流れている。

宿をとったあと、AWAMAKIのインフォメーション・センターに立ち寄る。グーグル社などで働き、その後もアフリカなどを渡り歩いてきた米国人ブライアンをはじめ、オランダ、イギリス、中国など各国の若者がボランティアで来ているのだという。

すっかりと身体が冷えたので、近くのカフェ、Markaqechaに立ち寄り、Te Piteadoをオーダーする。 紅茶に蒸留酒であるピスコと蜂蜜を加えた大きなカップが運ばれてくる。久しぶりに飲むお酒の入ったドリンクは、身体の芯からぽかぽかと温めてくれる。

宿へ戻る途中、夕食をとりにピッツェリアGoyo’sに立ち寄る。このオリャンタイタンボはインカ道の途中の村でもあり、旅行者をターゲットにしたピッツェリアが多いのである。地元の人たちは、外食はまだ高価であり、夕食はほとんど家でとるという。朝食、昼食にきちんと食べ、夜は簡単に済ませる家庭も多いのだそう。

チキンカツにフライドポテト、トマトとライスが皿に盛られたMilaneza Polloを注文する。チキンは柔らかく、フライドポテトはじゃがいもの甘い味がしっかりとしている。

ひんやりとした静かな村の夜で、ぽかりぽかりと温かい。

人間と猫のおいしいごはん – Cuzco, Peru

朝は昨日パン屋で買った、チーズパンや桃のドーナツと餡の入ったパンにヨーグルトとコカ茶を合わせていただく。

外の通りから太鼓やラッパの音が鳴り響いているので外に出てみると、スーツを着た男性が、Justo Juez像をみこしにのせて担いでいる。そしてその前には、カラフルな民族衣装を着た男女が踊りをみせている。

クスコからマチュピチュへ行くには、インカ道を歩くか、オリャンタイタンボまでバスで行き、そこから鉄道に乗る、ということになる。このインカ道は2月はメンテナンスのために封鎖されているので、鉄道に乗ることにする。

宿からサン・フランシスコ広場を通り、裁判所、銀行や旅行会社などが軒をつらねるEl Sol通りを歩き、町の南東にあるペルー・レイルの駅、ワンチャック駅に向かう。   

小さくも新しい駅で、パスポートを提示し、Eメールや滞在ホテル名を記載し、無事にオリャンタイタンボからマチュピチュまでの往復チケットを手にする。

近くのパン兼ケーキ屋、Panymasで、ベリーソースのかかった豆の入ったプディングを食べ、明日の朝食用にパンを買っていく。

近くの山々にはペルーの国旗模様やVIVA EL PERUと文字が描かれている。

そこから小道を歩いて、サント・ドミンゴ教会/コリカンチャへと向かう。現在教会であるこの場所は、かつてインカ帝国時代、コリカンチャという太陽の神殿だった。征服者であるスペイン人は、神殿に溢れていた黄金を思うがままに取り除き、土台だけを残して神殿を壊し、教会を建てたという。

その後、大地震が起きると、上の教会は崩れ落ちたものの、土台の石組みはびくともしなかったのだそう。それほど「かみそりの刃1枚すら通さない」と言われるインカの石組み技術は、優れていたのである。

クスコは、かつてのインカ帝国の首都であった場所である。その重いインカの石材の上にスペインのコロニアル建築が建てられ、今では国民の95%がローマ・カトリック、というふうになっている。

接合剤も使わず、ただ重ねられただけの石は、見事にぴったりとかみあっている。そんなインカからの土台が町のあちらこちらで見られる。

VicunaやアルパカのいるクシカンチャKusikancha遺跡横の道も、ロレト通りも、両脇にぴったりと寄せ合う石組みの土台がある。ロレト通りにはにょろりと蛇が石の上に描かれているところもある。

そこからアルマス広場へと出て、ミサが行われていたラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会に入る。この教会は、インカの皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられている。黄金の祭壇に、マルコス・サパタによって描かれた壁画に囲まれて、人々は祈りをささげている。

日の暮れたアルマス広場はライトアップで照らされ、丘に広がる家々にも灯がともされる。ここでは、スターバックスもマクドナルドも、黒い文字でロゴが描かれる。

アルパカ料理を食べようと、広場に面したレストラン、ラ・レタマに入る。洒落た雰囲気のレストランには、西洋人の観光客が数名と日本人の観光客がいる。どうやらアルパカというのは、その毛のほうが貴重であるから、現地の人々が食べることはあまりないのだという。だから、アルパカ料理は一部のレストランでしかメニューに載せられていない。

地元のレストランに入れば、たいていセットメニューでスープとメインとドリンク、場合によってはデザートもついてくる。そしてメインの多くはシンプルなチキンやビーフの料理にフリホーレスやサラダ、フライドポテトなどがついているといった具合になる。

メニューも気が利いていて、アルパカのグリルと炒めたたまねぎにホワイトワインとはちみつにチョコレートソースがかけられている。そして野菜と甘いマッシュポテトと花が上品に添えられている。

ややぱさつきがちなアルパカの肉にソースがまろやかにからまり、なめらかに仕立て上げている。デザートには、チョコレートケーキとアップルパイ、ココナッツケーキとレモンのムースをセットにしていただく。

20時半からはフォルクローレのダンスも始った。小型のギター、チャランゴを弾く男性、管楽器であるケーナやサンポーニャを吹く男性、そして大太鼓、ボンボを叩く男性が、客を楽しませる。

そのうちに踊りも加えられる。コカ茶を持ちあげて、ときには口をつけてみせたり、白いマスクを被って踊ったり、踊りながら客のお尻を鞭でたたいてみせたりする。

外に出る頃には昨日と同じようにぐっと冷え込み、雨が降り出した。こごえるように、宿に戻る。近くの広場では若者たちが雨も寒さも気にせずに、普段着でフォルクローレの踊りの練習をしている。

宿のソファでいつもかわいらしい顔で寝ていた猫が夜に何やら元気に飛び回っていると思ったら、どうやらネズミを捕まえたようだった。しばらくして、くちゃりくちゃりと音がする。その音と、それをかき消そうとする必死の鼻歌と、屋根にあたる雨の音とが混ざって響きわたる。

ほどなくして、ネズミは姿を消していった。

「ハードな道のりで、雨季である時期には甚大な遅延が生じる可能性がある」バス – Lima to Cuzco, Peru

朝の4時ころに目を覚まし、暗闇のバスの鞄からAcetazolamidaの薬を取り出し、1錠を口に放りこむ。

そのまま再び眠りにつき、6時半ころ目を覚ましたときには、時計の標高は既に4300mあたりをさしている。頭が重く、呼吸も心なしか苦しい。前の座席の赤ちゃんは、泣き続ける。

窓の外は冷たく、結露をしている。厚い雲が覆う荒涼とした大地にゆるやかな丘が広がり、土の上にうっすらと雪がかかっている。ところどころに水の溜まる場所があり、ひんやりとした静かな朝だ。

そこからバスは徐々に高度を上げていき、時計は4500m辺りを示していく。
この冷えきった大地にもそのうちに家が1軒、2軒とたたずみ、足の白く細い茶色の動物たちが雪の上を歩いていく。

しばらくその高度を保ちながらバスが走っていくと、屋根に雪をかぶった集落もあり、人々が歩いているのが見える。

薬の副作用だと思われる、手足の先にぴりぴりとした痺れを感じる。身体が重く、1階にあるお手洗いへ行くための足取りも、たどたどしい。

バスはやがて高度を少し下げていき、日も明るくなってきた1時間半後には、緑の山に囲まれた川沿いの道を進んでいく。古い煉瓦づくりの家の屋根にももう雪はない。

3100mほどまで下ってきたところで、朝食が配られる。チーズのはさまったパンに、アップルとレーズンのパイ、そして砂糖の入ったコーヒーを、山沿いに走る揺れるバスの中で、器用な添乗員の女性がやはり無表情で配っていく。

川が増水して茶色く濁った水が道を浸していることがあるも、バスはがしがしとすすんでいく。

Chalhuancaのターミナルで一度休憩をとる。バスの外は、さして寒くない。そしてバスはまたクスコへと向かっていく。

昼ごろには、坂道に家々が建ち並ぶ大きな町、アバンカイを過ぎ、昼食が配られる。「爆丸 BAKUGAN」とキャラクターの書かれた桃のジュースのパックに、バナナチップ、ミルクのシリアルバー、そしてソフトキャンディーのセットである。二度目の薬を、半分にして、口にする。

道のわきにはサボテンが見られ、濁流に沿ってバスは走り、川を渡って走り続ける。緑の山の向こうには、草も生えない茶色く険しい岩山が雪をのせている。

そのうちに牛が草をはみ、とうもろこしや黄色いカブの花が広がる景色へと変わっていく。

テレビ画面には『ハチ公物語』の米国リメイク作品、”Hachiko:A Dog’s Story”が流れ、リチャード・ギアがスペイン語でハチに話しかけている。最後、ほろり、である。ペルー人乗客もくぎづけだ。

感動に包まれたバスは、やがて山の先に広がるクスコの町に突然行き当たり、徐々に町へと降りて行き、17:45にはクスコのターミナルに停車する。

こうしてバスは、リマ発アバンカイ経由クスコ行きという「ハードな道のりで、雨季である時期には甚大な遅延が生じる可能性がある」というふれこみにもめげず、障害物に停車することもなく、バスは予定の15時半到着を2時間ほど遅れる程度で到着する。

ターミナルには幾人かの宿の客引きがおり、その中で紹介された宿、Hospedaje “Emanuel”にタクシーに乗って向かう。

標高3399mほどのクスコで、やや頭が重く、手の先は痺れたままだ。

先生からもらった薬Acetazolamidaも切らしてしまったので、サンフランシスコ広場に面した薬局に行って高山病の薬を買い求める。宿の人も薬局の人も良いと勧めていたSorojchiを今回は購入して試してみることにする。

夕食は、宿からほど近いレストラン、Don Pimientoで、夕食セットをオーダーする。麺や野菜の入ったチキンスープに、細切りにした牛肉をトマトや玉ねぎ、ピーマンやフライドポテトと炒めたペルーを代表する料理の一つ、ロモ・サルタード、デザートに小麦粉のMazamorra、そして、ドリンクは高山病に効くと聞いたコカ茶を注文する。

すっかり満腹になってしまった。

リマ発アバンカイ経由クスコ行きのバス – Lima, Peru

朝食は、グラノーラに、昨日商店で買ったGuanabanaのヨーグルトをかけ、温かいカモミールティーを淹れていただく。

16時半にはナスカ、アバンカイ経由クスコ行きのバスが出る。4000mを超える峠を越すこのルートは「ハードな道のりで、雨季である時期には甚大な遅延が生じる可能性がある」となかなかに手厳しい言葉があちらこちらで見られるルートである。

宿の周りの薬局で、フアン先生に教えてもらった高山病に効く薬、Acetazolamidaを求めるも見つからなかったので、先生からいただいた4錠のその薬を握りしめて、いつもの通りにブラジル通りからバスに乗り、CIVA社バスターミナルへと向かう。

高山病には水分を多くとるのが良いので、乗車前に大きな水のペットボトルを買う。

食事つきのデラックスバスであっても、飲み物はコカコーラやインカ・コーラといった元気のある炭酸飲料だけのこともあって、その元気な飲み物を身体が受けつけ続けられないかもしれない。

一人一人乗客の顔をビデオで撮影し、車内案内をする映像がテレビ画面から流れ、バスは発車する。

鉄道が走る高架のそばを抜けていく。町はやや荒んできて、乾いた山にぎっしりと古い家が並んでいる。

やがて夕日に照らされた茶色の山々が連なる光景へと変わっていく。右手に海を見ながら、パン・アメリカン・ハイウェイをナスカのほうへと南下していく。看板に人がぶらさがっているのが見える。

夕食は、小さなチキンににんじん、グリーンピースに蒸かしたじゃがいも、ご飯、そしてMazamorraが、口をぎゅっと横に結んだままの、それでもきれいな女性によって配られる。
その後に林檎の炭酸ジュースが続いてまた配られる。

左手の遠くのほうに小さな橙色の灯がぽつりぽつりと見え、あとは時折車とすれ違うばかりだ。

がやがやとしっとり。 – Lima, Peru

ほんの少しずつ体調が回復してきたので、ブラジル通りからバスに乗り、バス会社のCIVA社で明日のクスコ行きチケットを購入する。

そして、旧市街へと向かう。アルマス広場まで行くと、カテドラルの大きいほうの教会は昨日と同じように扉が閉められていたが、その横の小さなほうの教会では今日も結婚式が行われていた。

リムジンから白く長いウェディングドレスを着た花嫁が出てきて、父親の腕に手をかけ、赤いカーペットを上がり、教会へと入場していく。その様子を多くの人がのぞきこんでいる。

そこからほど近いサン・フランシスコ教会に行くと、そこでもまた結婚式が行われている。傍の店でシュガーパウダーとごまのかかった、チョコチップの入ったバナナパンケーキを買って、教会前で食べる。

1546年から100年以上をかけて建てられたサン・フランシスコ教会の外にも新郎新婦がおり、その頭上を多くの鳩がいっせいに飛びまわっている。

この教会には、15のチャペルに地下墓地であるカタコンベ、修道院、宗教芸術博物館がある。

聖職者が使っていた図書室には、16世紀から18世紀にかけての書籍がずらりと本棚に並んでいる。中央にらせん状の階段があり、天井にはシンプルなシャンデリアがぶらさがっている。室内には穏やかな外の光が差し込んでいる。

回廊を通り、銀のみこしが置かれた部屋や最後の晩餐を描いた宗教画のある部屋などに通された後、教会の地下に位置するカタコンベに入っていく。

煉瓦で覆われたうす暗い地下室に仕切りが敷かれ、それぞれに骨やシャレコウベが丁寧に積み重ねられている。筒状の大きな円の中には、渦を描くように骨や頭蓋骨が敷き詰められている。

カタコンベは地下3階まであり、植民地時代の市民など約25,000名が葬られている。ここに埋葬してもらうために金を積んだといい、それだけ名誉のあることであったのである。

低い天井の格子からは教会がのぞけるものだから、この墓地が教会の地下に位置していることが分かる。そしてその上では結婚式が挙げられ、白い服装をした子どもたちもはしゃいでいる。

教会を出るころには既に夕焼けが見え始めていた。近くのチュロス・サンフランシスコで、クリームの入った大きなチュロスを買ってつまみながら、歩く。体調がまだ完全ではないのに、チュロスは外がかりっと中がもっちりとして、とろりとしたクリームが入っているものだから、ぱくりとたいらげてしまう。

先生に怒られそうだ。

そこからラ・ウニオン通りを通り、ラ・メルセー教会の前を通ると、ここでも結婚式が行われていた。近くのJr. de la Union駅からMetropolitanoに乗る。Metropolitanoというのも、ボゴタやキトであったのと同じように、真新しい改札とプラットフォームがあるバスであり、専用道路が設けられている。

磁気カードを購入して乗車し、ウェスティンホテルなどの集まるサン・イシドロ付近を通り、一気に南へと下ること30分ほど、新市街のミラフローレスにほど近いバランコ地区のBulevar駅に到着する。

降りたってすぐにクラブや洒落たレストランが並び、ムニシパル公園へ出るとスターバックスや教会が見えてくる。さらに海のほうへ階段をくだっていくと、ライトに照らされた「愛のため息橋」という名の橋へと続いていく。「愛のため息橋」なんていうたいそうな名前をもつ橋には、薔薇の花を手にした女性もいる。

この辺りは、牛の心臓の串焼き、アンティクーチョが有名な地区である。勧められたレストラン、Tio Marioに入り、アンティクーチョとじゃがいものセットをオーダーする。

おおぶりの肉を串刺しにして網焼きにしたもので、独特のかみごたえがあるが、味にくせはない。それを時折備え付けのスパイスにつけていただく。

串焼きにビールというのは、お決まりの組み合わせだと信じていたのだが、ここにはアルコール類が置いていない。まだビールに手が出される状態ではないので、おとなしくアニス茶をいただくことにする。

窓から、橋や渡ったところにあるエルミタ教会が見える。レストランを出るころには既に21時半をまわろうとしているのに、入口に長い列ができていた。

帰りは、ムニシパル公園からバスに乗り、ミラフローレス地区のラルコ・マル付近に向かい、それからラルコ通りやアレキパ通りを北上して、サン・イシドロ地区の中心を通り、宿に戻る。

旧市街のがやがやとした元気のある雰囲気と新市街のしっとりと落ち着いた雰囲気が同じ街、リマにある。