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キューバ、ということ。 – Havana, Cuba

今日は午前中に革命博物館をめぐった後に、授業で先生からさまざまな話を聞く。

革命博物館では、チェ・ゲバラやフィデル・カストロの他にも、今の国家評議会議長であるフィデルの弟Raul CastroやFrank Pais Garcia、1890年代に第二次独立戦争を指導したホセ・マルティについても詳しく紹介されている。

そしてカストロがチェ・ゲバラとともに1956年11月25日にメキシコTuxpanから渡り、12月2日にキューバへ上陸したグランマ号も展示されている。

キューバで会った人たちに聞いたお話を、ここにそのまま書いてみたいと思います。見解や事実が違うこともあるかと思うけれど、これが会ったその人の考えかたと知ってること。

・今後ラテンアメリカでの結束強化は非常に重要な意味をもつ。キューバは現在中南米と良好な関係を築いているが、これは米国にとって好ましくない。キューバが経済発展を遂げることを米国はよく思わないのである。

・ベネズエラのチャベス大統領との関係は良好であり、ベネズエラの石油とキューバの医療や教育を相互協力している。

・インターネット回線もベネズエラの協力のもとベネズエラからキューバまでケーブルをつなげ、将来的にキューバ家庭でもインターネット利用が可能になるはずである。

・今年2011年は、キューバにとって大変に重要な年である。不動産売買、自動車売買を認可する法律が制定された他、銀行からの借金上限金額3000MNが解除され、利息2、3%で借りられるようになったという。ただし、娯楽のために使うのではなく、目的が家の修理や事業といったことである必要があり、収入がある者のみが対象である。

・給料は勤務年数によって若干上がったりはするが、基本的には上司であろうと新入りであろうとほぼ変わりない。医者や教師であっても給料は低い。政治家も同様である。

・1960年代多くのキューバ人が米国へボートで渡ろうと試みて、命を落としていた人もいる。

・キューバサイドは、米国との距離をより緊密なものにしたいと思っているが、米国が経済封鎖を解除しない。特に子どものために必要とされている薬が輸入できないのは大変な問題である。

・社会主義でもある中国とはビジネス面においても協力しあえるはずだが、物理的に遠い。物理的に近い米国と貿易できることが望ましいが、米国サイドがそれを良しとしない。これは不自然なことである。

・資本主義は人々を幸せにしない。ブッシュはひどい大統領であったし、オバマも同様である。資本主義により、人々はおカネにだけ執着するようになり、ストレスが増えるのである。1日8時間の労働がちょうど良いのである。

・米軍基地がグアンタナモにあることをキューバ人は快く思っていない。

・革命も社会主義も素晴らしいものであるが、今のキューバ経済は芳しくない。ただ経済不況は革命や社会主義、政府の問題ではなく、世界中各国共通の問題である。医療や教育が無料となった革命は支持されるべきである。

・一部キューバ人は革命や現政府に対して不満をもっているが、それを路上で声高に訴えはしない。それは、法律上問題があるからではなく、多くのキューバ市民からの反感を買うからである。

・キューバには宗教の自由がある。カトリック、Santeria、Reglo de Ochaといったアフロキューバンの宗教やPeinte Costal、エホバ、アドヴェンテスト派といった宗教があるが、若者の宗教信仰はうすれてきている。

ローマ法王が1997年にキューバお訪れるまではMartistaやLenisistaが多く、政府は宗教を禁じていないものの隠れて信仰されていた。しかし、ローマ法王の訪問を境にオープンなものになっていった。

・チェ・ゲバラはヨーロッパではあまり知られていない。

・現在、外資とビジネスを行うことができるが、100%外国資本の企業がキューバに進出することはできない。

・日本に行ったら、大きな街、高い建物、大きな店や公園を訪ねてみたい。また、ハイテク機械も見て回りたい。

・今、キューバでは結婚は重要でないと認識されている。結婚をしないままどちらかの両親と同居し、子どもを産んで育てることは一般的である。親も相手のことをよく知っているので、心配しない。大切なのは「愛」なのだ。

・キューバの氏名は「名前」「父親の苗字」「母親の苗字」として名づけられている。子どもは「名前」「父親の父親の苗字」「母親の父親の苗字」が付けられる。

・女性が外で働くのは一般的である。子どもを産んでも1年休職して同じ職場に復帰する。これは当然の権利である。

・外国人旅行者と話すことは違法ではない。(外国の友だちと話すのは問題ないが、旅行者と話すのは違法である、という人もいる。)

・収入がCUCでもMNでも納税の義務がある。

授業が終わり、街を散歩していると、柔道のマスターだという男性に話しかけられた。そして、「イチハタモトサムライ」とぺこりと頭を下げる。「座頭市」についてもファンのようだった。

ハバナ・リブレ向かいの公園にキューバ人の並ぶコッペリアという大きなアイスクリームの店舗がある。一階と二階があり、一階では薄暗いカウンターに向かって、もくもくとみながアイスクリームを食べている。

わたしたちも二階にあがり、バニラと苺のアイスクリームをそれぞれ頼む。キューバ人はアイスクリームをよく食べるのである。このコッペリアは映画「苺とチョコレート」にも登場する店であって、支店をよく見かける。

その後Pabellon Cubaでオープンに行われていたライブに顔を出す。ステージ前には踊れる場所が用意され、おじいちゃんも、おばちゃんおじちゃん、若い男女も音楽がなると、腰を動かし、踊り出す。

夕ご飯は、ミラマール地区にあるKasaltaというレストランでいただくことにする。ここでも大きなスクリーン上で野球中継が放映されている。メニューにある、ポテトフライに鶏肉、モロという豆ご飯、サラダにデザートのセット料理を頼もうとすると、「セット料理は全部無い。ロブスターや魚料理ならある。」と価格帯の高いメニュー一覧を指さす。

他の店員に目配せをし、明らかにおかしな仕草をしているので、よくよく話をしてみると、セット料理は、結局あった。高い料理を売り込もうとしたのである。そして、会計の際も余分なビールが足されていたので、指摘をする。そして最後にこう言った。「チップはもらえるか。」

なんとなく、愛らしいのである。

一日の終わりに、Casa de la Musicaというサルサライブのサルサテカに行く。
会場では身体にフィットした服装のミニスカートを身につけ、高いヒールの靴を履き、厚めの化粧をしている長髪の売春婦たちが闊歩している。男性は白い帽子に白いシャツ、白いパンツに黄色のベルトがおしゃれのシンボルのようだ。

ここでもステージ前にちょっとしたスペースが設けられていて、ライブ最初からみなが躍ることが前提となっている。キューバでよく飲まれているMulataのラム酒の瓶とコーラを買ってどんとテーブルの上に置き、各自でカクテルを作る。このラム酒がまれにHavana Clubにとって変わる程度である。

わたしたちはRon Collinsをオーダーして席に着く。23時からとあったステージは24時半から始まり、夜中の2時まで盛り上がり続ける。今日はElito Reve Y Su Charangonという、先生も知っていたほどの人気のあるグループのライブで、ほとんどがキューバの人たちのようであった。

おばあちゃんもノリノリとステージに向かっていき、ビールをステージに置きながら、踊りまくる。最後、みながサルサダンスを踊り狂う中、隣の白シャツ白パンツ系お洒落男子、Ramonくんが話しかけてきた。日本人にサルサを教えている先生だという。

夜中の2時、住宅地の真ん中にあるCasa de la Musicaの周りだけが熱気に包まれていた。