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2012年02月

拷問と煙と結婚式と先生 – Lima, Peru

朝食は、全粒粉パンにマルメロのジャムをつけ、ペピーノメロンを切ったものとカモミールティー、温かなミルクといただく。

今日も宿からほど近いブラジル通りからバスに乗り、旧市街へ行くことにする。リマのバスの車体には、行き先の通り名が書かれているので、旧市街を通る”Abancay”という文字を、過ぎ行くバスの車体の上に探すことになる。

旧市街は変わらずに賑やかで、巨大アボガドを売る男性や、子犬を売る男性たちが町に立っている。

昼食は、中央市場の食堂で、Aji de Gallinaをいただくことにする。玉ねぎを炒めてスパイスを入れたものに、やわらかくほぐした鶏肉やユカ芋を入れて、最後にゆで卵をのせてパセリを散らしてある。それに、牛肉の入ったスープとレモネードがセットになっている。

入った食堂は、既に開業8年目だといい、そのカウンターは混み合っている。わたしたちが席についた15時ころには既に店じまいへと徐々に進んでいるところで、最後にはカウンターで店の女性たちと共に食事をする、ということになる。

そこから歩いてすぐの宗教裁判所博物館を訪ねる。中南米のキリスト教の浸透ぶりは確かなものだ。この博物館は1820年まで異端者への追求が続いた場所でもある。スペイン植民地下で異教徒と疑われた者は、拷問を受け、キリスト教への改宗を迫られるか殺されたのである。

手足を縛られ、黒い覆面をした男性に四方向に引っ張られている様子や手を縛られぶら下げられる様子、身体を固定されて水を飲まされる様子、首を木枠にはめている様子が人形を使って再現され、拷問に使われた錆びれた道具も展示されている。地下通路もあり、掘られた穴の奥底に人が閉じ込められている。

博物館を出ると、その隣にある消防署から赤くて大きな消防車がうーうーとサイレンをならしながら、出ていった。

アルマス広場を通り、ラ・ウニオン通りのsaga falabellaでSDカードを買い、木材で作られたバルコニーがせり出しているセビリア風のトーレ・タグレ宮殿を通り、サン・ペドロ教会へ行く間も、空の向こうにもくもくと黒い煙があがり、多くの人がそちらの方を見ている。

数台の消防車がサイレンをならしながら駆け抜けていき、ヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてくる。町全体が落ち着かない。

サン・ペドロ教会は、イエズス会派によって、1625年から1638年にかけて建てられた教会である。人々が祭壇を前に、あるいは告解室で膝まづいている。

アルマス広場へ戻ると、カテドラルの中の小さな部屋の教会では、結婚式が行われていた。ブルーのネクタイをした花婿と白く長いウェディング姿の花嫁が教会から出てきて、友人たちと写真撮影をする。そのころには先ほど広場を覆っていた黒い煙も薄らいでいた。

そこからピロリ菌検査の結果を聞きに、バスに乗り、フアン先生を再び訪ねる。

「陰性でしたよ。」

変わらずに流暢な日本語でそう言う。薬を飲んで、食事に気をつけていれば2、3日で良くなると思います。

生魚、生野菜のほかに、たとえば町で売られているアイスクリームやかき氷も注意が必要です。アイスクリームは、夜に冷凍庫の電源を切り、朝にまた電源を入れ直していることもありますし、かき氷には水道水が使われていることもあるからです。それから、作り置きのものをレストランで出されてそれを食べたときには今回のようになる場合もあります。

先生も生野菜は自分で買ったものしか食べないし、かき氷も我慢をするという。

でもね、口から採れる栄養は口から採ったほうが良いんです。それができないときは、仕方なく点滴で栄養をとるわけです。

わたしたちが礼を言うと、先生は言う。

とんでもありません。

近くの商店でオレンジ、マンダリンに林檎と梨を買って帰ることにする。夜は林檎を切ったものに、マンダリン、そしてカモミールティーをいただいておしまいにする。

日本からペルー・リマへのEMS配達事情 – Lima, Peru

日本からペルー、リマへEMSで荷物を送ったとき、こんなふうに飛んできました。

2月10日 22:09 引受 / 東京都
2月12日 3:29 国際交換支店から発送 / 東京国際支店 東京都
2月15日 2:49 国際交換支店に到着 / LIMA EMS PERU
2月15日 8:00 お届け先にお届け済み PERU

最新施設のピロリ菌検査と、崖の上の高級住宅地 – Lima, Peru

朝からピロリ菌の血液検査を受けに、バスに乗って、「警察通り」という警察の多い道を通り、クリニカ・サン・フェリペの中にあるRoe Laboratorio Clinicoへ行く。

そこは近代的な建物であり、中にはカモミールティーなどのティーバッグも用意されている。しかもWi-fiゾーンだと書かれている。からっぽのお腹に温かなカモミールティーがじんわりとしみる。

そのうちに小部屋に通されて、慣れた手つきで注射をされる。そして、明日の17時にはインターネット上に検査結果が出ていますので、それを確認してください、といい、ログイン用のユーザーIDとパスワードが手渡される。

昼食後に飲む薬があるので、注射が終わってから、近くの中華料理屋Kuon Whaで昼食をいただくことにする。赤い門に赤いテーブルクロス、赤い壁掛けなどがかわいらしい。

鶏のささみと細麺の入ったワンタンスープと野菜と鶏肉のあんかけ麺のセットを注文し、少しずつ、おそるおそる口に入れていく。

客の多くが大盛のチャーハンを選び、インカ・コーラの瓶をテーブルに置いている。中には、わたしたちが栄養ドリンクとして薬局で買ったfruttiflex1リットルのボトルを懐から取り出して、グラスに注ぎ込む客もいる。

そこから、リマの当山ペンションに立ち寄る。パソコンのハードディスク交換にあたり、日本のパソコンの神様からEMSで送ってもらっていたDVD類が無事に届いたのだった。リマは南米でも比較的配達事情が良い。このペンションもまた、満室だといい、荷物の受け取りだけをお願いすることとなった。

そこからバスに乗り、新市街であるミラフローレスへと向かう。

噴水のあるOvaloから、高級ホテルやレストラン、アルパカの服を売る高級服屋、カジノなどの並ぶラルコ通りを歩き、海に面したショッピングモール、ラルコ・マルまで歩く。道を歩く人々もどこかしら落ち着き、洗練された装いをしている。

そんな街角にも、果物を山積みにした台車が見られる。

ラルコ・マルには、映画館、QUIKSILVERやノースフェイス、久しぶりに見るスターバックス、T.G.I.フライデーズ、オープンカフェや寿司バーなどもある。

そこから、海岸沿いの崖の上に伸びる道沿いを歩き、「恋人達の公園」まで行く。

空は霞み、海と雲の境目がぼやけている。
陸ではスケートボードにのった男性たちが技を磨き、海ではサーフボードにのった人たちが波を待っている。

恋人達の公園には、キスをする男女の大きな像がある。日の沈む時間、恋人や家族、友だちどうしでそれぞれに海を眺めている。

太陽は、赤くなり、一度黄色く色を変えた後、再び赤くなって沈んでいく。

海沿いの道にはスピードをゆるめた車が渋滞をつくっている。
崖の上には高層マンションが立ち並び、ところどころについた灯が豊かさをかもしだしている。

遠くの岸には、黒くなった丘に十字架がライトアップされている。そのまま海を眺めながら、崖の上にしかれた道を歩いて灯台まで行き、それからサンタ・クルス通りまで歩いていく。

サンタ・クルス通りからバスに乗り、宿より一駅手前で降りてスーパーPlaza Veaに立ち寄ってから宿に帰ることにする。既に20時半をまわろうとしているのに、スーパーは多くの人がレジに列を成し、カートに商品を大量に載せている人も少なくない。

先生からお勧めをされていた食材をそのままなぞってかごに入れる。グラナディージャ、ペピーノメロン、マルメロのジャム、アボガド、カモミールのティーバッグに、スーパーお手製の全粒粉パン。

夜はカモミールティーを淹れて、アボガドやグラナディージャといただくことにする。

お腹がいたくなったら。 - Lima, Peru

朝起きて、オレンジジュースや、林檎、お気に入りのグラノーラにミルクをかけていただくも、どうもお腹の調子はよくならない。ナスカにいたときから調子がよくないので、まともな食事もとれずに、ふらふらとしてくる。

そこで、加入している保険会社の提携病院がリマにはあるので、まずはそのクリニックに電話をかけてみる。流暢な日本語を話すフアン・ホセ・ボニジャ先生が応対する。

お伺いさせていただきます。

バスに乗って、軍人病院で下車し、閑静な住宅街を歩く。こいのぼりがかけられている家もある。しばらく迷うこと20分、看板のない先生のクリニックが、落ち着いた雰囲気をもって構えられている。

どうぞと招き入れられ、名刺を渡される。そこには日本語でこう記してある。

フアン・ホセ・ボニジャ
岐大・消化器系・阪大医学博士
和西公認翻訳者
JICAペルー顧問医

基本的な情報から、仕事、リマの滞在日数、旅のルート、家族の病歴などの質問がある。そして、横になって体温や血圧を測定し、診察を受ける。

生野菜、生魚が原因かもしれません。果物は皮をむいてくださいね。農業に使う水が下水であることもあるので、極力生野菜など生のものは避けたほうがよいです。

食事は以下のように気をつけてください。

避けたほうがよいもの:ラクトースを含むミルク、ヨーグルトやアイスクリーム、豆類、ソフトドリンク、コーヒー、アルコール飲料、チョコレート、カカオ(ココア)、調味料、揚げ物や炒め物、煙草

豊富にとったほうがよいもの:皮をむいたフルーツや野菜(キャベツ、カリフラワー、ブロッコリは除く)

飲みもの:2リットルの水やフルーツジュース。

夜の9時以降は重い食事はとらないでください。
昼食や夕食の後は10分から15分の散歩をしてください。
パンは白パンよりもトーストしたパンや全粒粉のパンが望ましいです。

お茶:カモミール、レモングラス、コカ、boldo、matico。
  
果物:グラナディージャ、マルメロのMazamorraやマーマレード。砂糖が多少多いぶんには気にしなくて大丈夫です。

りんごは、赤りんごよりも緑りんごのほうがよいです。

それから、野菜をゆでたものに塩をふった野菜スープも身体によいですよ。

そういってグラナディージャをはいどうぞと出される。

薬を近くの薬局屋で買ってきてください。
1.抗生物質CiprofloxacinoのCiproflox 10錠:1日2回、5日間
2.電解質などを含む栄養ドリンク、frutti flex2リットル:1日1リットルの水とfrutti flex1リットル、合計2リットルを飲んでください。
3.ビタミン剤であるMucovit:昼食の後に1錠、10日間分です。

そう言ってiPadを取り出して、薬局屋や、必要書類をコピーするためのコピー屋の説明をする。

日本の岐阜、美濃など合計7年ほどを日本で過ごしていたという。腹痛以外にも高山病などに罹り訪ねてくる日本人患者もいるという。

薬を飲めば2、3日もすれば良くなると思います。それから12月末に同じ症状があったということはピロリ菌の疑いもあります。今後のことも考えて明日、Roe Laboratorio Clinicoに行って、検査をしてみてください。

そしてわたしたちを送り出すときに、言う。
はい、どうも。失礼いたしました。

バスに乗って、宿へ帰る道、マウロさんの働く酒屋も通る。マウロさんはわたしたちを見て、にっこりと笑顔になる。今日も元気で働いていた。

夜は、林檎の皮をむき、小さく切ってかじる。あとは、抗生物質の薬と、いちご味とアニス味のある、美味しいとはいえないfrutti flexを飲んで休むことにする。

リマのがやがや旧市街 – Lima, Peru

朝食は、マンゴーを切ったものと、グラノーラにtutty fruttiのヨーグルトをかけて食べる。

リマの旧市街を歩きに行こうと昼ごろに外に出ると、強い日差しでくらりとするほどだった。ブラジル通りを走るバスに乗る。暑い昼のリマでは、バスの中にアイスクリームやらドリンクやらを売りに乗り込んでくる人がひっきりなしだ。

Abancay通りの中華街近くで下車をする。同じ「世界遺産の旧市街」であっても、エクアドルのキトとは違って、リマはがやがやと商売の音があちらこちらから聞こえてくる。

道の片隅で靴を磨く人も、アイスクリームを売る人も、音楽を奏でる人もいる。

バス停から中華街に向かう途中に中央市場がある。赤褐色の大きなオリーブの実やチーズのかたまりや、頭と手足の先は切り落とされ、しっぽの先の毛が残された山羊、そしてハタやニベ、アジやサバ、カツオの卵やセビーチェ用の海鮮類といった水産物が売られている。ペルーは水産大国なのであった。

食堂も併設しているものの、相変わらずお腹の調子が低調なままのわたしたちは食事をとることを諦め、市場を出て向かいの中華料理店のスタンドで売られていたチチャ・モラダを買って、飲むことくらいしかできない。

そうこうしているうちに、「中華坊」と書かれた、赤い柱に緑の瓦をつけた中華街の門が見えてくる。リマには赤い提灯をぶら下げた中華料理店が町のあちらこちらに見られ、そしてまたレストランや小さなショッピングモールを備えた中華街も存在するのである。

どろりとしたシロップをかけたかき氷を売る店の前には、行列ができている。ハワイの首飾りが流行っているのか、青や黄、赤、ピンクや水色といったカラフルな首飾りをわんさかと身体にまきつけて売る女性たちが町を練り歩いている。

そこからアルマス広場へと向かう。てっぺんに十字架をさしたサン・クリストバルの丘のふもとには、濃いピンクや緑、水色といった家々が立ち並んでいる。

真っ白な国会議事堂の周辺には多くの警察官が配されているも、日本語で話しかけられたり、アイスを食べたりしていて、のんびりとしたものである。

アルマス広場とサント・ドミンゴ教会・修道院の間にあるLa Casa de la Gastronomia Peruana前にいくつかのオープンカフェが並んでいる。その中で、”Healthy Restaurant”と銘打った「La Otra Salsa」という店があり、健康になりたいと、そこで食事をとることにする。

お勧めをされたSopa a la Minutaをオーダーする。ほんの少しぴり辛のクリームトマトのスープに牛肉とパスタを入れ、上に目玉焼きをのせたものにパンが添えられている。トラックの運転手によく食べられているという食事だそうで、身体がぽかぽかと温まる。

それから1549年に建てられ、過去の地震にも耐えてきた薄い桃色のサント・ドミンゴ教会・修道院を訪ねる。スペイン製の青タイル、Azulejosも残されている。

その後、印刷所の立ち並ぶ道を通り、ラス・ナサレナス教会へと向かう。この教会は、「キリストの受難像」という有名な壁画が祭壇にかかげられ、淡い色彩で十字にはりつけられたキリストが描かれている。教会内には告解室がいくつか設けられ、人々が列をなしている。

教会の周辺には今度は眼鏡専門店が立ち並ぶ。日本語らしい名の、中はまるでペルーのレストランも存在する。日系の人々が経営しているのかもしれないと想像を、する。

サン・アグスティン教会は、過去の地震により修復を繰り返してきた教会であり、無事に残った入口のチュリゲーラ様式の装飾と比べて、中はシンプルなつくりでキリストが赤い布の上で十字にかけられている。

それから旧市街のメインストリートであるラ・ウニオン通りに出る。洋服屋、靴屋に家電量販店と並び、休日夕方、多くの人でにぎわっている。

通り沿いにある、リマで最初のミサが行われ、ペルー軍の守りの神、聖女メルセーがまつられているラ・メルセー教会へと入る。ちょうどミサが行われており、人々が集まってきている。あちらこちらに精緻な木彫りが見られる。

ラ・メルセー教会前にあるスーパー、Plaza Veaに立ち寄り、買い物をする。バレンタインデーらしく、できあいのチョコレートコーナーも存在し、数人の若者がそこからチョコを手に取っていく。店には喫煙禁止、ペット禁止という他に、武器禁止と書かれ、銃の絵に赤い斜め線がひかれている。

いよいよ賑わうラ・ウニオン通りから少し抜けてヘスス・マリア教会を見た後、また通りに戻り、南のサン・マルティン広場まで下る。

ぺルー独立運動に貢献をしたサン・マルティン将軍の像がたつその広場では、人々が芝生に寝そべり、商品売りに人が集まり、休日の夜を満喫している。