2011年12月
将来結婚をするなら、奥さんとティカル遺跡の日の出を見たい – とメキシコで会った旅人キムさんが言っていたので、日の出を見ようと思っていた。
マヤ最大の神殿都市遺跡であるティカル遺跡の通常営業時間は6時から18時までだが、日の出を見るためには6時前に入らないとならない。昨晩暗闇のキャンプ場を歩いていたわたしたちにルイス・ラミレスさんが声をかけてきた。
ルイスさんから、6時前に遺跡に入るにはガイドをつけなければならない。ぼくは明日ガイドをするので、良かったら一緒にどうですか。ブラジル人の3人が既に一緒に行くことになっています、とお誘いを受ける。お願いを、する。
ルイスさんはUniversidad Rural de Guatemalaで環境エンジニアリングを学びながら、フランス語、ドイツ語、英語を教える先生でもある。そんなルイス先生と、朝の4時に待ち合わせをした。
4時。外は大雨が降っている。日の出を見るのは無理だろう。ルイス先生が寝ている蚊帳のはられたハンモックでも、先生が起きている気配がない。諦めかけた4時半頃、ルイス先生が突如わたしたちのテントへやって来て、朝に雨が降っているのは普通のこと。日の出は必ず見られる、と断言した。
わたしたちはブラジル人3人と、雨の降り続ける暗闇のティカル遺跡をルイス先生の引率にしたがって、ジャングルの中に入っていく。
コンプレッホと呼ばれる4つの建物が一組になっているプラットフォームで、ルイス先生の熱心にこやかマヤ講座を受けながら、ジャングルの中を懐中電灯と月の明かりを頼りに進んでいると、ルイス先生の言ったとおりに雨がやみ、そして、辺りが明るくなっていった。
こうして、キムさん絶賛日の出は、天候というより、ルイス先生の熱心にこやかマヤ講義によって、あえなく見逃すこととなった。
それでも、コロンブス以前のアメリカ大陸では最も高い建築物であったⅣ号神殿にのぼると、ジャングルの中にうもれた遺跡が霧に包まれているのを見渡すことができる。そして次第に霧がうすれ、Ⅰ号、Ⅱ号、Ⅲ号神殿がぼんやりと浮かび上がってくるのである。オオハシやオウムがビービービービーと鳴いている。
ジャングルの中にある遺跡、とティカル遺跡が説明されるが、ティカルが大都市であった当時はジャングルはなかった。ジャングルは、まだ若いんだよとルイス先生は言う。
先生は、博学であった。マヤ語の分類や分布について、マヤ語と日本語には複数形や冠詞の用いられ方に共通する点があるということについて、マヤ文字である象形文字を書きながら説明をしてくれる。モパン川の「モ」は鳥を意味し、パンは「山」を意味するという。
ハナグマの群れが現れた。プクプクと音を立てながら、食べることに熱中しているが、相当に凶暴らしく、しっぽが切れているものや、ひっかき傷を負っているものも多い。喧嘩をしているハナグマもいる。
「しろありを食べます」。ルイス先生はそう言う。途中、ギーという大きな叫び声が聞こえ、一匹のハナグマが疾走していった。「へびに噛まれたのかもしれません。」ルイス先生が付け加える。
Old Spiceという名の香り高い葉をちぎって、頭痛や虫さされに効果的であることを教えてくれる。
続けて、ルイス先生は、教えてくれる。端がこうもりに噛まれたヤシの葉を拾い上げ、こうもりが「テント・ビルダー」と呼ばれていること。こうもりがヤシを使って家を作る様子をマヤの人々が見て、その曲線を真似てマヤ・アーチを作り出したこと。
Breadnutという木にTree Earと呼ばれるキノコがはえていること。マヤの人々は赤い石を水銀として加工していたこと。石を採掘した後は、その穴を貯水池や貯蓄所、お手洗いなどとして利用していたこと。
加えて、参考文献を教えてくれた。
*”Breaking the Mayan Code” by Michael D. Coe
*”The Mexican Dream: Or, The Interrupted Thought of Amerindian Civilizations” by J. M. G. Le Clezio
そして言う。「Nature does everything. You just have to find it.」
約16平方キロメートルに80のプラザ、3000もの建築物がある巨大なティカル遺跡を見て回り、Comedor Tikalで、焼いた鶏に玉葱をのせたものにライスとフライドポテトを合わせたものを食べてから、最寄りの街、フローレスへ向かう。
16時に発つバスが見つかったので、それに乗り込む。
フローレスはペテン・イツァ湖に浮かぶフローレス島を中心とした町である。グアテマラ・シティに向かう夜行バスが、23時に出るので、それまで夕食を食べにいくことにする。
既に日が暮れたバスターミナルからトゥクトゥクに乗って、湖に向かう。暗い湖の向こうに橙色の灯りがぽつりぽつりと見え、ほとりにはおしゃれなレストランが並んでいる。
わたしたちはその内の一軒、San Telmo Bar & Restaurantに入り、「Crazy Brritos Chapin」という名の野菜と牛肉にのブリトーをオーダーする。飲み物はGalloビールと、Dorada Draft。店の奥では誕生日会が行われているのか、ノリノリ音楽に合わせてキャーキャー、ホイホイと大賑わいである。
トゥクトゥクは20時までしか走っていないので、食事を終えたらタクシーでターミナルに向かう。
グアテマラでは、治安上の問題から、バスはプルマンと呼ばれる1等車を使ったほうが良い。ルイス先生も普段使いしているというプルマン、Rapidos Del Surバスは、内装がシック、かつご丁寧に極度に車内を冷やして、グアテマラ・シティへと向かうのである。
2011/12/15 23:34 |
カテゴリー:Guatemala
ベリーズ国境の建物を抜けると、歩いてすぐのところにグアテマラの出入国管理局の建物がある。両替屋男性が、こぞって道案内をしてくれる。
今日はグアテマラの国境からティカル遺跡まで行って、キャンプをしたい。国境から直接ティカルまで行けるバスは、ない。だからフローレス行きのバスに乗り、Puente Ixlu (El Cruce)という分岐点で途中下車をして、後は自力で行くしかない。
フローレスへは、国境からほど近いMelchor de Mencosの市場から出るバスが多いものの、ちょうど国境からフローレス行きのバスが出るということで、それに乗せてもらうことにする。
国境近くに並ぶ商店で買ったジャムパンを食べながら、バスが走ること1時間半、Puente Ixluに到着する。グアテマラは近頃危ないと、いろいろな具体的被害状況とともに聞いていたものの、雨の降るその場所はいたってのどかで、今晩のキャンプのための食材を買いに売店に入る。
赤過ぎるほどに赤いパンがあったり、黄色と赤色のはではでしい線のひかれたパンがあって、その色が何かを尋ねると、店のおばちゃんも分からないようで、照れたように肩をすくめて、ふふふと笑った。店の前にはおばちゃんの他に子どももお兄さんお姉さんもいて、雑談をしている。わたしたちが店を出るとき、大きく手を振り続けていた。
わたしたちはヒッチハイクをする。最初に乗せてくれた男性がペテン・イツァ湖のほとりのEl Remoteまで行くというので連れて行ってくれた。そこからまたヒッチハイクを試みて、今度はティカル遺跡に一泊するというグアテマラ、ウエウエテナンゴ出身の家族の車をつかまえることができたのだった。
家族がティカルで一泊するだけの食材がたっぷりと積まれた荷台に乗せてもらって、道をぐんぐんと猛スピードで進んでいき、後方に夕陽を眺めながら、ティカル公園のゲートを越えて、さらに奥へと進んでいく。道には「PRECAUTION ANIMAL CROSSING」の標識がところどころに置かれている。
日がちょうど沈むころ、家族と荷台にわたしたちを乗せたトヨタ車はティカル遺跡の入口へと到着する。
ティカル遺跡のキャンプ場にテントを張り、先ほど商店で買ってきたLA SIRENAというイワシのトマト缶と、Ducalというフリホーレスのペースト、Perryというハム、甘いパンに、ティカルの店に置いてあるGalloビールを合わせて夕食にすることにする。
外は雨が降りしきり、さきほどキャンプ場のおじちゃんがつけてくれた火も消えてしまった。さきほど点々と明かりをつけていた蛍も、どこかに消えてしまった。ただここには、藁ぶきの屋根がついていて、テントが濡れずに済む。
思いのほか、他にキャンプをしている人は5人もいない程度で、外はまっくら、静かなティカル遺跡の夜である。
2011/12/14 23:58 |
カテゴリー:Guatemala
朝から犬も吠え、鳥も鳴いている。
今日はベリーズを発ち、グアテマラに向かう。バスはベリーズの首都、ベルモパンに向けて定刻の7時に出発した。昨日Norman’s Bakeryで買った、ほんのりと甘くもちもちとしたクレオールパンを口にほおばりながら、オレンジ畑がずっと続いているのを眺める。
のりのり音楽がバスには流れ、徐々に乗客が増えていく。子どもたちが時折道端でバスを待っているのが、見える。
8時半にはベルモパンに到着する。バスを降りると、国境近くの町、Benque行きのバスちょうど出発するから乗りなさいと促され、隣のバスにそそくさと移動する。
カラフルな洒落た店が並ぶサン・イグナシオを通り過ぎて、山をぐんぐんとのぼっていくと、ベルモパンを出発してから1時間半ほどで、モパン川のほとりにあるバスターミナルに到着した。
そこから国境まで、てくてくと歩いていくことにする。途中に公園があり、墓地がある。雨が降ってきた。
背中に大きな荷物をしょって、前にも荷物を抱えているものだから、下が見えずに、すってんころりんと、転ぶ。いたい。
近くにあった家の軒先で休ませてもらっていると、子どもたちがパタパタと家の中と外を走りまわって、犬を連れてにこにこしている。国境の近くでも、子どもたちはこんなに元気だ。
そこからは、ただ、太い幹線道路が国境へ向かって伸びている場所だった。途中でカンクンから2週間かけて自転車で南下してきたという旅人と話をする。
そんなふうに、転んだり、休んだり、雨が降ったり、自転車旅人と話をしたりして、ゆっくり歩くこと約1時間半。ベリーズとグアテマラの国境にたどり着いた。
ベリーズの国境には、Border Management Agencyとその奥にImmigrationがあるり、クリスマスに向けてささやかにイルミネーションがほどこされている。Border Management Agencyでは、出国税の他に、Protected Areas Conservation Trustなる環境税が課せられており、そして観光振興目的のためだというアンケート用紙に書かれたいくつかの質問に答える。
制服を着た、幾人かの学生は、イミグレーションを通らずにベリーズからグアテマラへと通り過ぎて行った。
2011/12/14 23:48 |
カテゴリー:Belize
ベリーズ―グアテマラ間の国境を越えた後、ティカル遺跡へ行く方法です。
※ツアーやシャトルバスを使わない場合。
1.国境からフローレス行きのバスが出ているので、乗る。
→国境からティカル行きのバスは、ほとんど無いようです。
運転手・車掌にティカルへ行く旨を伝えると、
RUENTE IXLUで降りるように言われます。
2.RUENTE IXLUで降りる。
※私たちの場合は、Q50.00でした。
3.ここから、考えられる方法は、下記↓
①ティカル遺跡行きのバスが通れば、停まってもらい、乗車
(ティカルへ行くバスは、ほぼ全て午前中に通るので、午後は厳しいと思います。)
②ヒッチハイク
③RUENTE IXLUからティカルの間の街、EL REMATEからコレクティーボが出ている
(最終14時)ので、EL REMATEまでTAXI又はヒッチハイクで行って、コレクティーボに乗る。
(午後は、ティカル方面へ行く車が少ないので、ヒッチハイクができる可能性は低くなります。)
2011/12/14 23:00 |
カテゴリー:Belize, Guatemala, ささやかな、旅のじょうほう
ベリーズのBENQUE VIEJO DEL CARMEN(現地ではBENQUEと言われます。)から、
グアテマラのMECHOR DE MENCOSへ国境を抜ける際の情報です。
1.バスでBENQUEまで行く。
(ベリーズシティ、ベルモパンから30分毎に運行)
2.BENQUEから国境へは、TAXI(USD6.00くらい)又は徒歩1時間くらい。
3.ベリーズ出国手続(BZ$30.00 + BZ$7.50)
4.5分ほど歩いてグアテマラの入国手続(USD5.00)
5.入国手続が終わると、両替のおじさん達がいるので、
必要なお金を両替する。
(USD1.00=Q7.50くらい。)
6.目的地へのバス・TAXIの客引きがいるので、交渉して決める。
(BENQUEのセントロまでのタクシー、フローレス行きのバスは多くあります。)
2011/12/14 22:33 |
カテゴリー:Belize, Guatemala, ささやかな、旅のじょうほう
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