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2011年12月

火山に囲まれた街 – Antigua, Guatemala

朝は宿のテラスで、昨日買っておいたバナナパウンドケーキと苺ヨーグルトを食べる。テラスからは、アグア、アカテナンゴ、フエゴ山をのぞむことができる。

その内に、フエゴ火山のてっぺんから、薄くグレーがかった煙があがっているのが見えた。辺りに人が住んでいないというフエゴ山が、噴火しているのだ。

朝食をとってから、3つの火山に囲まれたアンティグアの街を一望できるという十字架の丘に向かう。大きな十字架が街を見下ろすようにたっており、煉瓦の屋根と白や黄色、ピンクや青色の壁が街中に広がっている。ブーゲンビリアの明るいピンクやのオレンジ色の花々や木々が街に彩りを添えている。

この街は、植民地政府の3番目の首都として1543年に創設されたが、1773年の地震によって、首都がグアテマラ・シティに移された。街のあちらこちらに、その地震で崩壊した教会が建物の廃墟が残っており、丘の上からもその様子をうかがい知ることができる。

丘から降りて、廃墟があるというカプチナス修道院、現在も機能しているサン・フランシスコ教会、17世紀に入植したスペイン人の住居、カサ・ポペノエなどを回る。

教会施設の廃墟となっているサンタ・クララ修道院の前には公共洗濯場があって、噴水の前に洗濯をするための窪みがずらりと並んでいる。民族衣装を着た家族も洗濯をしに来ている。

赤ん坊をその窪みにすぽりとはめて、その間に隣の窪みで洗濯をする。そばで子どもたちはジュースを飲んだり、お菓子を食べたりしている。

そこからしばらく歩くと、エルマーノ・ペドロ教会という、病院が併設されている施設にたどり着く。カナダからグアテマラに移住してきたという女性が、親のいない女性にケーキをもってきたのだと言う。頭には赤いトナカイのかぶりものをつけ、手には白とピンク色の大きなショートケーキを抱えている。この病院には、身体障害者や、身寄りのない人などが住んでいるのだという。

中庭にはクリスマス用の飾りつけが施されている。車いすに乗った幾人かの男性が中庭でゆっくりと時間を過ごしている。

その内の一人の男性が、車いすの車輪を押して室内にいるこちらに近づき、淡い色のマシュマルのようなものを手渡そうとしてくれるが、間の植物が遮って、それもかなわなかった。代わりに、歩くことのできる男性が植物の間をぬって、こちらに来て、話をする。

コロニアル美術館、カテドラルの廃墟、中央公園を通り、市場の中にある食堂でPollo doradoを食べる。鶏肉のフライにトマトソースをかけたものに、フライドポテトとライスとトルティーヤ、野菜スープのついたセットだ。

食堂は看板からテーブルクロスまでペプシの広告で溢れている。メニューの中に「炭酸飲料」とあるのはペプシのことだという。わたしたちは、炭酸と同義のペプシを注文する。瓶に入ったストローは、飲んでいるうちに、中に入ってしまう。

市場を回り、スーパーマーケットDespensa Familiarで買い出しをした後、夜はグアテマラ料理である骨のついた七面鳥の肉を野菜と煮込んだカキックを食べに、有名店だというラ・フォンダ・デ・ラ・カジェ・レアルに向かう。

大きなざらりとした質感の器によそわれたカキックと、小皿に入れられたスパイス、かわいらしい丸い器に入れられたライスと、そこに添えられた上品なタマレ。

有名人も訪れるというだけあって、味が洗練されていて、おいしい。
それでも、今日はCancheおばあちゃんは何を作っているのかな、とふと、想った。

交通の要所 ロス・エンクエントロス(LOS ENCUENTROS)

・ケツァルテナンゴ(シエラ)からチチカステナンゴ
・チチカステナンゴからパナハッチェル
・パナハッチェルからアンティグア
へチキンバスを利用して行く場合の交通の要所、LOS ENCUENTROSという地名があります。

1.ケツァルテナンゴ(シエラ)からチチカステナンゴへ行く場合
 直通のバスであれば、問題ありませんが、グアテマラシティ(GUATEと書いてある。)行き
の場合は、LOS ENCUENTROSで乗り換える必要があります。

2.チチカステナンゴからパナハッチェルへ行く場合
 チチカステナンゴからパナハッチェルは、直通のバスは少ないようなので、
GUATE行きのバスに乗り、LOS ENCUENTROSで乗り換えます。
パナハッチェル行きのバスがあればいいのですが、途中の行きのバスの
場合が多いようなので、SOLORA行きの場合は、SOLORAにてパナハッチェル行きのバスに乗り換える
必要があります。SOLORAからパナハッチェル行きのバスは、中央広場の角から出ています。
(「PANA PANA」と呼んでいます。)

3.パナハッチェルからアンティグアへ行く場合
 直通のバスは少ないので、
GUATE行きのバスに乗り、
OR
SOLORA行きのバスに乗り、SOLORAからLOS ENCUENTROSまで行き、GUATE行きのバスに乗り換え、

チマルテナンゴで乗り換えます。
GUATE方面へ向かう道路から、アンティグア方面へ行く道路がある交差点で降り、
アンティグア行きのバスに乗ります。
とても混んでいるので、荷物には十分注意してください。

Cancheおばあちゃんの、優しい手。- Antigua, Guatemala

アンティグアにはスペイン語学校がたくさんあって、他の町よりも治安が良いと一般的には言われている。歴史地区が世界遺産に指定されていて、政府、市、観光局も治安改善に力を入れているのである。あちらこちらで警察官が銃をもって立っていたりする。

そして、おしゃれなカフェが多い。

こうして、わたしたちはアンティグアの老舗カフェであるドーニャ・ルイサで、たっぷりとチーズがのせられたじゃがいもとかりっと焼かれたベーコンとトーストをグアテマラコーヒーといただきながら、ゆっくりと時間を過ごす。

中庭がオープンカフェになっており、入口の掲示板にはスペイン語レッスンについてや旅情報などが掲載されている。途中、カリフォルニア在住のメキシコ人だという男性に日本語で話しかけられる。

このカフェは、香ばしいかおりのするパン屋とケーキ屋も併設しており、バナナのパウンドケーキを買う。

外に出ると、すっかり日が暮れていて、Las posadas de mi barrioと題された、クリスマス前9日間に行われる行事が中央公園で行われていた。宿を探すマリアとヨセフ像を乗せた神輿を子どもたちが担ぎ、ろうそくのともった灯りを手に行進していく。家を一軒一軒回るのだという。子どもたちはマラカスをならしたり、亀の甲羅でできた打楽器をたたきながら、進んでいく。

公園中央の噴水にもサンタの格好をした人々が、写真撮影に応じている。

時計台をくぐってから、メルセー教会に向かう。そこでも灯りをもつ人々が列を成し、クリスマス用の装いをしている人々がいる。教会の中ではライブが行われ、ジングルベルなどを演奏している。いよいよクリスマスが近づいていることを感じるのである。

今日も夕ご飯をLa Cancheでいただくことにする。今日も昨日と同じ3人が店にいる。店にはメニューはなく、その日にある料理から選ぶ。今日はひき肉と野菜の煮込み料理があるということで、それをお願いする。昨日と同じようにアボガドに塩をかけ、チーズとパンといただく。

昨日会ったフランス人カップルも昨日と同じく入店してくる。

Cancheおばあちゃんが、途中フルーツポンチを食べますか、とグラスに入れて差し出してくれた。それは甘い甘いフルーツポンチだった。

店内ではクリスマスの飾りつけが行われていた。街中かクリスマスに向けて大忙しなのである。

店を出ようとすると、おばあちゃんは、ずんずんとレストランの前にある食料品店のほうへと歩いて行き、お菓子だといって、ホワイトチョコとお菓子を二つ袋に入れて、手渡してくれた。

最後に握手を求められ、昨日同様、握手をする。ずうっとキッチンに立っている女性の手とは思えない、すべすべとした、柔らかくて、小さくて、優しい手だった。

一期一会

今自分が属している集団の居心地が悪いとき、
自分には別の場所があると考えて、
今の自分の周囲の人達をないがしろにしてしまうことが、たまにある。

最初、あまり良い印象ではない人でも、話していると、
とても良い人であることが、たまに、ある。

最初居心地が悪い場所でも、受け入れてみると、
良い場所であるということが分かる時がある。

旅をしていると、どうしても、たくさんの人に会ってすぐに、
お別れをしなければならない。

もし今、自分の周囲にいる人が、あまり気の合わない人でも、
それがいい出会いになると、僕は思う。

湖のほとりの村とおいしいアンティグア。 – San Marcos & San Pedro at Atitlan / Antigua, Guatemala

アティトラン湖の周囲にはいくつかの先住民族の村が点在している。友人に勧めてもらっていたサン・マルコス・ラ・ラグーナにボートで向かう。

パナハッチェルのボート乗り場から、Santa Cruz、Jaibalito、Tsununaと村に立ち寄りながら、進む。乗客はほとんど地元の人々で、新聞を読んでいたり、隣の人に話しかけたり、寝ていたり、さまざまである。

アティトラン湖は、サン・ペドロ火山、トリマン火山、アティトラン火山に囲まれていて、山々に建物が点在しているのが見える。湖面はおだやかで、太陽の光を受けている。ゆったりと木のボートに乗って釣りをしている人々がいる。

およそ50分ほどしてサン・マルコスに到着する。

桟橋にいた12歳だというレオナルドくんは、毎日、1日1ケツァルを親からもらい、仕事をしているのだという。1ケツァルは少ないとつぶやいた。レオナルドという名前はブラジルのサッカー選手にもいるんだと、嬉しそうに言い、ぼくも友だちとサッカーをするんだよと言った。靴には穴があいている。

サン・マルコスは、舗装道が他の村と通じておらず、木々に囲まれた静かな村だ。マヤヨガやマッサージ、伝統医療のコースなどが受けられるスピリチュアルスポットになっているようで、穏やかで身体に良い空気が流れている。サン・マルコス教会には風船に手作りの角帽がつけられたものが吊り下げられおり、また白い幕には角帽をつけた男女がしつらわれている。教会には、鳩がパタパタと飛び、男女二人がぽつりと座って祈りを捧げている。

近頃、火山の地殻変動の影響で湖面があがり、ほとりにあった、湖の見えるレストランが閉店したという。見ると、湖に、かつての家の土台が沈んでいるのが見える。

湖の見える場所で食事をするために、比較的大きな村であるサン・ペドロ・ラ・ラグーナまで再びボートに乗る。直行のボートであったようでおよそ10分で到着する。

桟橋を降り立ったすぐのところにあるNick’s Placeの湖に面したテラスで、Tzutujilという、そこで話されている先住民の言葉の名前がついたモーニングセットを注文する。目玉焼きにトマトソース、フリホーレスにベーコン、パパイヤと西瓜にパンがついた朝ご飯である。店内からWhite Christmasが聞こえてくる。

そこには、グアテマラ・シティから新婚旅行で来ているという男女と、おそらく女性の子どもだと思われる女の子が食事をしていて、話しかけられる。グアテマラ人にとって、この辺りは新婚旅行先として人気があるらしい。

急な坂をあがり、野菜や果物が売られている市場と街の中心である教会を眺めてから、パナハッチェルへ戻ることにする。

サン・ペドロからパナハッチェルまでちょうど湖を突っ切るように進むが、どうにも船が揺れておっかない。地元の男の子たちもがはがはと笑いながら、携帯で写真を撮り合っている。揺れることおよそ40分、パナハッチェルまで戻ってくる。

街中で、Fundacion Familia Maya Maya Familiesと書かれた場所があり、民族衣装を着た女性や子どもたちが行列を成していた。聞くと、外国団体がマヤ民族のためにクリスマス企画として食事と飲み物を提供するらしい。

今日はこのままパナハッチェルからアンティグアに向かいたい。アンティグアまでの直行バスはないのでチマルテナンゴで乗り換える必要があるが、どうにもタイムスケジュールが不明だったチマルテナンゴ行き最終バスを、運よくつかまえることができた。

チマルテナンゴまでの道はがたがたとしていて、身体は座席のうえでぴょんぴょんと跳ねる。街中でよく広告を見かけるCrushという炭酸オレンジジュースとClub Extra Pozueloというビスケットを食べながら、アティトラン湖がどんどんと離れていくのを眺める。

この辺りはPepsi社が強いらしく、バス停や店先にはペプシの広告が塗られていることが多い。

豚を運ぶ車がいて、木材を運ぶ少年がいる。土砂崩れの跡が生々しく残っているところもある。大きな道のわきのあちらこちらで女性たちが、その先の崖に向かって織物をしていて、ところどころでクリスマスに向けてトナカイの置物が売られている。

2時間半ほどで車も人も溢れるチマルテナンゴに到着し、アンティグア行きのバスに乗り換える。バスの車内には、人が溢れ、バスから若干はみ出している。クリスマス音楽が次々と流れている。50分ほどしてアンティグアに到着する。

宿をとってから、夕食に出かける。道先にあった旅行会社の男性に教えてもらった、La Cancheというレストランに行くことにする。「入ってすぐは食料品店だけど、その奥にレストランがあるから、がんばって見つけてね。きっと気に入るはず」と聞いた通り、そのレストランは外からみたら、レストランだとは気づかない場所にあった。

Cancheというのは「ブロンズ」という意味で、オーナーのおばあちゃんは既に80歳であり、その髪の色を表してレストランの名前にしているという。すでにレストランを始めて60年。隣に座った男性は通い続けて25年になるという。

トマトや香辛料で鶏肉や野菜を煮込んだペピアンをオーダーする。アボガドにチーズ、パンとチョコラテがついてくる。このCancheおばあちゃんのペピアンは、さまざまな香辛料がからみあい、辛さと甘みが絶妙であった。Galloビールとともに、味わっていただく。隣の男性にアボガドに塩をふると美味しいと教わり、そのまま倣う。

アンティグアのおいしい初日。