2011年12月
ダングリガの街はさほど大きくない。そして海も川も土と混ざってきれいだとは言えないが、それがこの街にそこはかとなく、のんびりとした雰囲気をもたらしている。
川のほとりの船では、男性たちが魚をさばき、それを狙うカッショクペリカンが大きなくちばしをもって集まっている。
昼食を食べに、橋を渡ったところにある市場に行く。洋服、日用品が売られている簡易な小屋を抜けると、Central Dangriga Marketという名の建物に着く。
果物や野菜の売り場のほかに、食堂が数軒並んでいて、そのなかで一番賑わっていたZalene’s kitchenに入る。
日替わり定食から、スプリットピー(細かくした干しえんどう豆)に豚のしっぽ(pigtail)の煮込みとご飯を注文する。ぎゅうぎゅうに混み合っている店内の、前の席に座っていた男性が「良いのを選んだね。」と笑った。
豚のしっぽもぷるんとしており、スプリットピーの煮込みはインドカレーのようで、よく口に合う。地元の人はこれにレストラン備え付けのケチャップやハバネロを思い思いにかけて食べている。
雨がぱらぱらと降ってきた。藁ぶきの家で雨宿りをさせてもらう。藁ぶきの下には大きな木がざっくりと彫られた船が二隻置いてあり、その傍らで女性が二人、鹿の皮とマホガニーの木でできた太鼓を作っていた。
スーパーマーケットに入って、ベリーズ産チョコレートミルクとダングリガ産と書かれていたピーナッツ・パンチという名のドリンクを買う。ピーナッツ・パンチのラベルには「BRINGS OUT THE MAN IN YOU」と記されている。
わたしたちが店を出て、チョコレートミルクの蓋を外そうとしていると、男性が近づいてきて
SHAKE WELL, SHAKE WELLと繰り返し言って、去っていく。
「シェイク・ウェル」。
この街のスーパーの店員の多くが中華系で、広東語がよく聞こえてくる。英語も話せずに移り住んでくる人も多いが、みるみるうちに言葉を習得するのだという。街のいたるところに18歳以下お断りのスロットマシーンセンターも見られ、ここもまた経営中華系ということが多い。
メイン通りを歩いていると、観光客向けにガラオンの太鼓や赤、緑、金、(黒)のラスタカラーの帽子などを売っているViola Jonesさんとその孫Antwain Rhaburnくんに話しかけられた。
ダングリガにはカリブ族と米大陸に奴隷として連れて来られた西アフリカ人との混血によるガリフナ族が数多く住んでいるが、二人はクレオールとよばれるアフロ・ヨーロピアンだという。
Violaさんはジャマイカとスペインの混血だが、話す言葉は英語とクレオール。孫のAntwainくんは学校でガリフナ語を学ぶので、それに加えてガリフナ語ができるという。
Antwainくんは、自分の身体より大きな、チェーンの外れた自転車に上手にまたがり、わたしたちをおすすめのパン屋さん、Norman’s Bakeryへと連れて行ってくれた。Normanさんは、ジャマイカ生まれで、ジャマイカとベリーズの混血なのだそうだ。
宿に戻って、部屋の前にしつらえてあるハンモックに揺れる。日陰に入るととたんに涼しく心地よい。
ゆっくりとしていると、「マヤ人」で、Trinidadというベリーズ内陸の町在住の男性が、作った自分の作品を見ていかないかと声をかけてくる。
夜ご飯を食べる前、焼きあがると聞いていたクレオールパンを買いに再びNorman’s Bakeryへ行く。閉店時間の19時を少し過ぎてしまったが、ちょうどNormanさんが店を出たところだった。わたしたちを見つけると、店の灯りを再度つけてくれ、クレオールパンを売ってくれた。クレオールパンはパンを作る際の水の代わりにココナッツミルクを使ったパンで、ココナッツの質がよいときは鼻を近づけなくてもふわりとココナッツの香りがするのだという。
夜はRiver Side Cafeに入り、Belikinビールと、Rice & Stew Beansに牛肉をオーダーする。
歯の抜けた、顔に苦労の皺をたたえたおじさんがレストランに入ってきて、この町にいるベリーズ人に比べ、中国人はよく働き、そして善良なのだとわたしたちに語り始めた。
長い演説の後に、言う。「ぼくは良い男だから、人からモノを奪ったりはしない。だから、3ドルくれ。」 わたしたちは、丁重にお断りをする。
彼は去り際にこぶしを作ってわたしたちに挨拶を求め、「Yah man(ジャマイカ英語でyes)」と言い残して出て行った。ダングリガはドレッドヘアーやラスタカラーのファッションなどジャマイカの影響を受けているのである。
ダングリガ住民の多くを占める、ガリフナ族の文化は、ユネスコの無形遺産に登録されている。
Vals’s hostelを経営しているご夫婦、DanaさんとSimeoneさんはお二人ともガリフナ族である。
お二人は、英語、クレオール、スペイン語にガリフナ語が話せる。二人で話すときは、クレオールを中心として言葉がミックスするそうで、ガリフナ語は主に他人に知られたくないことを話すときに使うそうだ。「Thank you」が「Seremeine」なのだから、秘密のことも話したい放題である。
ガリフナ族は若者も含め、この文化や言葉を守ろうとする高い意識があるのだという。誇りに思っているのだ。
Danaさんは、ガリフナの旗にも使われている黒、白、黄の色の服と、赤の格子柄の洋服を部屋の奥から引っぱり出して見せてくれた。1年に1度、今月19日の「ガリフナ入植記念日」のときしか着ないという。
Danaさんは「ダングリガをより良くするにはどうしたら良いか、もっと旅行者に来てもらうにはどうしたら良いか」とわたしたちに尋ねた。
ガリフナ料理であるHudutを食べたかったが、街のレストランでは金曜日か土曜日にしか提供されていない。特に伝統的な意味があるわけではなく、ただ週末は家で料理をするのが億劫な人が多いので、レストランが提供するのだという。旅行者はダングリガに来たら、ガリフナ料理を食べたいはずだ。
Danaさんは、他の人がやるのを待っていられない。わたしがやるわ、と少し興奮したように言う。Hudutを作るには、食用バナナを臼に入れて木の棒ですりつぶすのよとソファの横に置いてある臼をさし、重い木の棒をひょいと持ち上げてみせる。
Simeoneさんは空手家でもあり、KARATEと書かれたバッグも家にあった。空手に関わる日本語は知っているといい、わたしたちの去り際に「押忍、先生」と言って、こぶしを作って、肘を広げた。
外では今日も月が海を照らし、犬がわんわんと吠えている。
2011/12/13 23:00 |
カテゴリー:Belize
再びバスに乗り込み、川にかかる橋を渡る。
ベリーズは元首が英国女王エリザベス二世であり、公用語は英語である。
国境を越えると看板の文字にスペイン語と英語が混ざるようになり、そのまま進むこと5分。再びゲートが見えてきて、その横にある新しい建物でベリーズ入国手続きをする。
このコロザルでの入国手続きが厄介な場合もあるそうで、メキシコからベリーズ・シティまで直行バスのチケットを購入していても、この手続きに手こずり置いてけぼりになることもあるそうなのだ。だから、わたしたちは、直行バスを選ばずに、メキシコからベリーズ国境までのバスと国境からベリーズ・シティまでのバスを分けてチケットを買うことにしていた。
入国管理の建物の中には「Immigration」と書かれたカウンターとその奥に「Customs」と書かれたカウンターがある。まず、「Immigration」に進むと無表情の女性が、ベリーズ入国後の行き先、滞在予定日数、滞在目的を早口の英語で、抑揚のない調子で聞いてくる。ビザを取得していないと伝えると、このフォームを隣のカウンターで埋めて来てください、とまた口をあまり開けずに言う。
言われたままに記入をして女性に持っていくと、カウンターに座ってピザをぱくぱくと食べていた。そして、照れたように初めて笑顔を見せた。
その後、奥のオフィスに誘導されて、わたしたちはオフィスの一室に入り、肌の色の少し濃いおじさん、Romeo Pattさんに手続きを受ける。政府機関で10年、イミグレーションで8年間も働いているというRomeoさんは、見た目威厳があって最初口をへの字に曲げているも、ベリーズを愛し、ベリーズ人であることに誇りをもっているようで、こちらの問いかけにいろいろと答えてくれた。
お勧め料理は豆やココナッツと炊いたご飯に肉などを添えるRice & Beansであること、お勧めのお酒はスプライトかオレンジジュースと作るココナッツラムのカクテルであること。ココナッツラムはTravellersかCuello’sが有名であること。米国との貿易により、景気は悪くなく、現在カリブ海諸国との関係を強化していること。濃縮オレンジジュースや砂糖の輸出が盛んであること。他の中央アメリカ諸国の平均収入は月150ドルであるのに対して、ベリーズは440ドルであること。
こうして無事にビザのシールをパスポートに貼ってくれたRomeoさんに別れを告げ、次のカウンター、「Customs」に進む。片足を台に置いて、はすに構えてやや顔を近づけて、ベリーズに来た目的とタバコ、酒、植物を持ってきていないか訊ねてくる。そんな威圧的な男性も、かわいらしい金色の指輪をしていたのは、大学卒業のときの指輪なのだと教えてくれた。
入国を果たして、建物のそばで待っていると、ほどなくスペイン語のBELICEに代わり、英語の「BELIZE」と看板をかかげたバスがやってきたので、乗り込む。バスは地元の人たちであふれ、立ったままの人もいて、天井に手をついて身体を支えるひともいるほどだった。
さとうきびややしの木が植えられ、牛や馬や鶏の姿が見える。うち捨てられたスクールバスもある。子どもたちは元気に遊び回っている。緑に溢れる平地の中に木でできた家や高床式の家もところどころに見え、青や緑、ピンク、水色、黄色とカラフルに色が塗られている。店の看板は、やがて英語表記がほとんどになっていく。
明るい音楽に時折英語の広告をはさみながら、マライア・キャリーの「All I Want For Christmas Is You」などが軽快に流れている。 コカコーラのトラック、ベリーズビールの「Belikin」の広告、沼地や草原を通り過ぎて進むこと3.5時間。やがてベリーズ・シティにたどり着く。今日の最終目的地であるダングリガへは17時15分のバスに乗ることにして、それまで街を見て回ることにする。
バスターミナル、Novelo’s Bus Terminalには荷物預かり場所がなかったので、売店でオレンジジュースを買って数時間荷物を置かせてもらうことにした。
細い橋を渡り、細い道を歩きながら、両脇に小さな木造の家が並んでいたり、草の生えた空き地のあるのを見て、日本のようだと思う。売店で豆をトルティーヤで包んだGachoを作ってもらい、歩きながら商店街になっているアルバート通りを歩く。
ヒンズー教寺院を通り過ぎ、セント・ジョンズ・カテドラルへ向かう。バスケットボールのゴールがスプライトの板でできているAnglican Cathedral Collegeの前では、白い制服を着た男女が次々と下校をし、校門前でお兄さんが売っていたCombo Pattiesを次々と買っていく。わたしたちも、つられて鶏とチーズを入れて揚げたCombo Pattiesを買う。
セント・ジョンズ・カテドラルはイギリス建築であり、そのレンガはヨーロッパから運ばれたのだという。中には、親子連れも来ていた。その向かいにある総督官邸もイギリス人建築家設計の木造の建物である。
ベリーズ・シティは、度重なるハリケーンの被害によって、首都がベルモパンへと移された。総督官邸前は整えられた芝生であり、また海に向かっている。波は穏やかだが、堤防らしき堤防はなく、石がいくつか積み上げられているだけだ。幾度となくハリケーンの被害がありながら、防御が極めてゆるやかなのである。
“Making a Positive Difference in a Changing Belize”とベンチには書かれている。街は、コカコーラとスプライトとファンタの看板で溢れ、さながらコカコーラ・タウンのようになっている。
中心のスイング橋を渡り、クイーン通りを抜けて、カリブ海を見る。「ベリーズは昔のアメリカみたいだよ」と以前に友だちが話していたその一端を見た気がする。
ダングリガ行きのバスの時間になり、荷物を預けていた店に行くと、お兄さんが「荷物なんて預かっていたっけ?」と笑みを浮かべながら冗談を言った。
ベリーズ・シティからダングリガまでの道は既に暗く、身体の大きな男性運転手と、大きな口をあけていつも笑っている男性がペアでわたしたちを運んでくれる。風が心地良い。わたしたちは、乗車前に買っておいたチキンとポテトサラダのついたRice & Beansを食べる。道には街灯もなく、空にはオリオン座が低く輝き、たくさんの星が瞬いている。
3時間程走った20時半過ぎにバスはダングリガに到着する。客引きの若者運転手さんたちもいたが、下車した場所にあったハバナ・スーパーマーケットという店から出てきたLizさんという女性が、ちょうど家に帰るところだから、Val’s Hostelという宿まで連れて行ってあげる、と言ってくれた。
ベリーズ南部で最も大きい街というダングリガだが、だれしもがVal’s Hostelを知っているような街であった。宿の前にはカリブ海が広がっており、月が静かにそれを照らしている。
2011/12/12 23:35 |
カテゴリー:Belize
朝の4時半過ぎ、バスはメキシコとベリーズの国境沿いであるメキシコ側の小さな街チェトマルに到着する。
到着したターミナルから、国境に向かうバスの発着するターミナルまで25分程度歩いていく。道を尋ねた警察署の警察官は優しく方向を示してくれる。
NITTOやブリヂストンの店舗がぽつりぽつりとたたずむ幹線道路を曲がり、中華料理店やピアノバーなどといったレストランがいくつか見えてくる道を歩くと、ベリーズ国境までのバスが出ているMercado Nuevoに到着する。
今朝最初の国境行きバスは9時に出発するというので、それまで24時間オープンのハンバーガー屋、Los Portales Hamburguesasで待つことにする。
わたしたちは「コーヒーのためのお湯」と題された、お湯の入ったコップにインスタントコーヒーの瓶と砂糖の瓶がついてくるものを注文して、カンクンで買っておいたMexicanas Redondasという名のついた、いたって普通のビスケットと合わせる。
まだ外も暗い朝6時過ぎだというのに、店内ではウイスキーを飲み、ハンバーガーを食べる男の子たちが元気にがはがは笑って話しをしている。
水を自転車で運ぶ人がいて、バナナをトラックに詰め込む人がいる。軍隊がトラックの上に乗って通り過ぎ、おじちゃんやおばちゃんが「DE PESO CHETUMAL」という名の地方新聞を抱えて売り歩き、ハンバーガー屋に人が増えていく。
定刻3分前、8時57分にスクールバスを改造したというクリーム色のバスはくるくると動き始め、定刻通りにベリーズ国境に向けてゆっくりと走り出す。途中CANCUN行きとBELICE行きと、違う方向を指す矢印の標識が現れ、バスは「BELICE」を選び、進んでいく。
30分ほど走ったところで国境のゲートにたどり着き、一度バスから降り、ゲートのそばの小さなブースでUS20ドルを支払い、メキシコから出国することになる。
2011/12/12 23:18 |
カテゴリー:Mexico
メキシコのチェトゥマルから、ベリーズの国境を通過する場合で、
事前にベリーズビザを取得していない場合の国境越えに関する情報です。
※シャトルバスを利用せず、バスを乗り継いで行く場合です。
<順序>
1.チェトゥマルのバスターミナルから、メルカード・ヌエボ(MERCADO NUEVO)まで行く。
TAXI又は徒歩30分くらい。
2.メルカード・ヌエボの24時間開いているカフェ(ハンバーガー屋)横から、
ベリーズシティ行きのバスが出る。(バスにはBELIZEと書いてある)
朝は9時が始発。(※念のため現地で確認してください。)
3.バスの運転手・車掌に国境まで行く旨、伝える。
→ベリーズビザがないため、国境での入国手続きに、時間を要します。
(私たちの場合は、1時間くらいかかりました。)
そのため、国境まで乗ってきたバスに、乗ることができなくなることがあります。
※ベリーズ入国にビザが必要ない国の人は、入国手続きに時間はかかりませんので、
入国手続き後、同じバスに乗ることができます。
4.国境にて、メキシコ出国手続(USD20.00) すぐ終わります。
5.国境にて、ベリーズ入国手続(USD50.00) 所要1時間程度
→①ビザがないので、入国書類に必要事項を記入します。
(A4両面。氏名、パスポート番号、職業、ベリーズ滞在目的・期間・宿泊先等。
※写真を貼る欄がありますが私たちは貼らずに済みました。)
②別室にて、係りの人と面談します。
→ベリーズ滞在目的・期間等聴かれます。
③パスポートにビザを貼ってもらいます。
④入国審査を通ると、税関がありますので、申告するものがある場合は、申告します。
6.入国手続きをした建物を抜けると、駐車場があるので、そこでバスに乗って、目的地まで向かう。
2011/12/12 22:24 |
カテゴリー:Belize, ささやかな、旅のじょうほう
宿でいつもの通りに、トーストにマーガリンと苺ジャムをつけて、オレンジジュースとともに朝食をいただいていると、隣に座ったメキシコ・シティ在住の男性から声をかけられた。
昨夜、メキシコ南部を震源地とする大きな地震が起きたが、彼の家族や友だちはみな無事だったという。わたしたちはカンクンで地震に気がつかなかった。
メキシコシティでは彼はフリーでプロデューサーをしており、傍らで車の修理販売も行っているという。フリーであるから、仕事を見つけるのが大変だと言った。以前はカナダで仕事をしていたそうで、その頃と比べて今は休みも少なく、給料も少ないといい、カナダを懐かしんでいた。お金を稼ぎたい、稼がなければ、何にもない。メキシコでは一日平均5ペソしか稼げない。リーマン・ショックでの落ち込みから少しずつ回復しているが、まだまだだ。日本人はよく働くから好きだ、と頭を縦にふりながら、言った。
お昼は再びパラパス公園に行き、Quesadillas de las palapas D’LuisでPicadilloとChicharron PrensadoのQuesaillasをとるが、夜と比べて人は少ない。その後、削ったチーズとnutellaというチョコレートペーストをぱりっと焼いた皮で包んだMarquesitasをつまみながら歩く。
今晩のバスでメキシコを離れ、ベリーズに向かうので、買い出しに行く。Chedrauiという2階まである巨大スーパーで歯ブラシやリンス、ライターといった小物を買い、プルーンヨーグルトやクッキーも買う。キューバであれほど幾度も欲された石鹸が、ここでは棚一列にずらりと並び、選び放題なのである。
そして、Plaza Las Americasという、これもまた巨大ショッピングモールでサンダルを買う。靴屋も何店舗もあり、靴は店の中いっぱいにディスプレイされている。モールにはZARAもアエロメヒコ航空も入っていてSearsやLiverpoolもあり、おしゃれにディスプレイされている。
キューバではラテンアメリカ国際フェスティバルが行われて巷の話題となっていて、2MNという低価格も手伝いシネマには大行列ができていたが、ここメキシコカンクンでは巨大コンプレックスがあり、映画も選びたい放題である。
メキシコからベリーズに向かうバスが22時発なので、Plaza Las Americasのフードコートで夕食を食べることにする。マクドナルドもバーガーキングもサブウェイも、イタリアンも、中華も、メキシカンも、ある。
わたしたちはその中でLa Mesa Calienteという店で、Pollo Naranja Chipotleという鶏肉の甘辛揚げにご飯やパスタ、バナナフライ、ハッピーターンに味の似たマッシュポテトをつけて盛り合わせてもらう。そこにパンがのっかるセットメニューである。
フライト1時間強の距離しか離れていない国が、これほどまでに、違う。わたしたちは、メキシコにいる間も、キューバの人たちを想った。
そしてMayabバスは定刻22時にクリスマスイルミネーションがきらきらと輝くカンクンを発ち、南へと進んでいく。
2011/12/11 23:55 |
カテゴリー:Mexico
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