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カイロのイスラム世界 – Cairo, Egypt

今日はイスラム地区を歩いて回る。カイロがイスラム世界の中心として繁栄を遂げてきたなか、歴史ある建築が数多く残っている。

今日も気温が上がってきたので、道ばたで売られていたドームヤシというヤシの一種のジュースを飲む。

街の漢方屋には客が集まり、道路沿いには布屋がずらりと並んでいる。アエーシを大きな木の板に並べたものを頭の上にのせて自転車でひょいひょい運ぶ人がいる。

14世紀末には市ができたらしいというハーン・ハリーリを歩く。貴金属や金属細工、イスラム帽や衣服や香水、水たばこのシーシャなどの店がずらりと並んでいる。

ムイッズ通りを歩いていくと、左手に3つのマドラサ、イスラム神学校が見えてくる。そのうちの一つ、スルタン・カラーウーンのマドラサは、バフリー・マムルーク朝の第8代スルタン・カラーウーンが1284年に建てたもの。丸いドームやミナレットがそびえたち、内部は細かなタイルやステンドグラスで装飾されている。

そばのスルタン・バルクークのマドラサも広く中庭がとられ、金や青で飾られた天井からはランプが吊るされている。100人以上の学生がここで学んでいたという。

マドラサの外の屋台で、クレープ状の生地を揚げて砂糖をふりかけてくるりと丸めたパンを買ってほおばる。

そこからほど近いバシュターク宮殿や、上階が学校で下が共同井戸になっていたサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトフダーに立ち寄る。

ガラスコップをつけた銀の壺を肩にかける男性がドリンクを売り歩いていた。甘草からできた茶色いAaresousというドリンクをコップに入れてはいと渡される。漢方のようで、苦くてほんの少し甘くて薄い。身体に良いもののようで、その辺りでずらりと男性が腰掛け飲んでいる。

そのままずんずんと歩いていくと、ファーティマ朝第6代カリフ、ハーキムが1013年に建てたガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムに到着する。真っ白なぴかぴかの床に、黒いアバヤを着た女性が横切っていく。メッカのカーバ神殿の方向を示すミフラーブの前にはシャンデリアがぶらさがっている。

すっかり心地よい空間に、しばらくお昼寝。

11世紀終わりに建てなおされたというフトゥーフ門とナスル門を抜けた後、巡礼者のための隊商宿であったカーイトゥベーイのウィカーラや、1422年に創建、かつて香辛料の通商路を管理下に置いたというスルタン・バルスバイのマドラサを見て回る。

昼食は、鳩にご飯を詰めたマフシーで有名なレストラン、フラハトに入る。カリッと焼き上げた鳩に、香ばしい焼ご飯がぎっしりと詰まっていている。それに、サラダやパンを合わせてオーダーする。鳩は小ぶりであるものの、ずっしりとしている。やっぱり、美味しい。

マムルーク朝とオスマン朝の様式がまざりあったガーマ・アブル・ダハブもまた真っ白く輝き、男性は頭を床につけて祈りを捧げ、あるいはコーランを読んでいる。

近くのスタンドでオレンジジュースを飲んだ後、スルタン・ゴーリーのマドラサとスルタン・ゴーリー廟にはさまれたムイッズ通りを南にまた歩いていく。洋服や果物が並べられて、多くの人々が行き交っている。

しばらくいくと、かつて処刑された罪人の首がしばしばつるされたというズウェーラ門に尖塔が二本すらりとたっているのが見えてくる。その横には、牢獄だったガーマ・ムアイヤド・イッシェイフもある。門を抜けると、アーチと柱が連なるガーマ・サーリフ・タラアイーがあり、まだ道は続いていく。

カフェのテラスでは男性がシャイを飲み、水たばこを吸っている。野菜や果物のスークでは地元の人々が買い物をし、猫はあくびをしている。店頭で生きた鶏や鳩が動き回り、その肉がわきに置かれている。突然に「山本山」と声をかけられるのは、10年前と変わりがない。

ムハンマド・アリ通りにぶつかったところで、バスを見つけて宿に一度戻る。

夕方は、スーダン人の男の子から、テレビ撮影にアジア人が必要だという話があったのでタクシーに乗って、カイロタワーのそばを通って西のほうへと連れられていく。彼はエジプトに働きに来ているのだが、スーダンとエジプトはもとは一つの国だった、文化も似ていてエジプトは過ごしやすいと言った。エジプト人もスーダンとは一つだと思っているんだよ、と付け加えた。

連れられていった建物に入ると、黒人の女性、白人の女性がそれぞれにかたまって、座っている。手慣れたふうのスタッフがパソコンをいじったり、携帯電話でやりとりをしたり、すらりとした女性が出入りをしたりする。決めポーズをもち、じっとこちらに顔を向ける女の子も、母親に連れられて来ている。

しばらくそんな中で待っていると、そのうちに日本人のわたしたちが呼び出される。サイババ似の男性がデジカメを手にして、わたしたち一人一人を前に立たせて撮影していく。
名前に年齢を聞かれながら、前からと左右からそれぞれ写真を撮られる。実際にテレビ撮影が何の撮影なのか、いつ撮影なのか、日本人一同分からないまま、写真だけ撮られて解散となった。

周辺のシリア・ストリートには、洒落た化粧品店や薬局に洋服屋が並んでいる。宿の近くのスーパーマーケットでは見つからなかった髪用トリートメントが、この辺りの薬局では簡単に見つかった。さすがである。

すっかりと都会の夜景を眺めながら、タクシーで宿の近くまで戻る。

夜ご飯は、1967年創業だというShalabyレストランで、たっぷりとした羊肉をはさんだシュワルマをオーダーする。肉汁たっぷりのミルキーな肉が、揚げられてもっちりとしたパンにはさまっている。

その後近くの喫茶店に立ち寄り、紅茶を飲む。この辺りではよく使われているリプトン、イエローラベルのティーバックがグラスに入れられている。そこに砂糖を入れてかき混ぜる。それに水たばこをくわえるのが、現地の人のありかたのようだった。