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伝統と今のエルサレム – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

朝はゆっくりと起きて、じゃがいもの煮物やご飯、野菜、パン、それに林檎、そしてコーヒーを合わせていただく。

家を出て旧市街まで歩いていると、家の近くの肉屋で、買い物をしながら友だちと話をしているイブラヒムさんに出くわす。ホワイトハウスにまで呼ばれるおじいちゃんは、こうして、よく買い物をし、よく料理をしている。

イエスが頻繁に祈りに来ていたという、オリーブの木が植えられたゲッセマネの園や、地下に聖マリアの墓があるマリアの墓の教会を訪ねる。エルサレムは観光客ふうの外国人で溢れている。でもここはユダヤ教、イスラム、キリスト教の聖地でもあり、多くの人々にとって、観光といえどもより宗教的な意味をもっている。

今日は、先日歩いたヴィア・ドロローサの14の祈祷所をもう一度じっくりと歩いてみる。イスラエルの宿にはいくつかの形態があって、普通のホテルやホステルから、巡礼客のためのクリスチャン・ホスピスやイスラエルの集産主義的共同体キブツのもつ宿泊施設にフィールド・スクールまである。

ヴィア・ドロローサの途中にオーストリアン・ホスピスがあるので、立ち寄ってみる。屋上にはオーストリアとバチカンの旗がはためている。併設されているカフェにはドイツ語のメニューがあり、ビールも置かれている。

屋上からは、岩のドームや聖墳墓教会など旧市街を眺めることができる。十字架がささっている建物もあれば、アザーン用のスピーカーが備えられているイスラム教ミナレットも、イスラエルの国旗を掲げるビルも、視界の中にある。

旧市街の土産物屋には、現在のイスラエルやパレスチナのようすを描いたTシャツが数多く売られている。「Don’t worry, Be Jewish」と書かれたもの、オバマ大統領がユダヤ帽やパレスチナ帽をかぶった合成写真をはったシャツ、戦闘機とともに「America, Don’t worry, Israel is behind you」、「Palestine in my facebook, twitter, YouTube and Gmail, AND MY heart」とロゴ付で書かれたもの、「War Good for few, Bad for most」と書かれたシャツ。ヴィア・ドロローサの道の途中にはHoly Rock Cafeもある。

イエスの墓があるとされる聖墳墓教会は今日もろうそくを片手に訪ねる信者が絶えない。聖職者たちもろうそくや聖書を手にもち、賛美歌を歌い、香炉を振る。地下の聖ヘレナ聖堂には大きなモザイク画が残されている。

すぐとなりの贖いの教会を眺めながら、旧市街の南、アルメニア人地区に位置する聖マルコ教会に向かう。ここは、福音書を書いたマルコの家だといわれる場所に建てられた教会で、シリア正教会によって管理されている。シリア正教会によると、ここの地下室にてイエスが最後の晩餐を行ったという。

既に閉館時間を過ぎていたようで、管理人の女性が、今お茶を飲んでるところだから、そこに腰掛けて待ちなさい、と言う。言われるがままに待つ。

そのうちに女性はお茶を飲み終え、すくりと立って、入りなさい、とばかりに扉を開ける。彼女は、かつて数学の教師だったものの、神の啓示により、ここで働くようになったのだと言う。

シリア正教会はアラム人を主とする人々が作った教会で、イエスが話した言葉もアラム語だったといわれている。教会の壁には、アラム語が彫られている。彼女も、100万人から200万人いると言われるアラム語話者の一人だ。どこか遠くを見ながら聖マルコ教会の説明をしたあと、目を閉じて、アラム語で歌い出した。

その後、イエスの12使徒のひとり、ヤコブが殉教したとされる場所に建てられた聖ヤコブ教会に立ち寄る。日の暮れた旧市街は、店も閉まりはじめ、ただ橙色の灯にともされた石畳の道に人々が時折歩いていくばかりだ。

そんな旧市街からヤッフォ門を抜けて、新市街に抜ける。そこには、Mamilla Mallというショッピング街が通っている。突然に辺りは、明るくモダンで、きらきらと輝き始める。Clarksやノースフェイス、ナイキ、アディダス、GAPにNine West、Rolexなど有名ブランドの店が並ぶ。

銃を背にもったカーキの軍服を着た若い女性軍人たちがファーストフード店でジュースを飲んできゃぴきゃぴしている。その横で、黒いとんがり帽子にもみあげをくりくりとしたユダヤ人男性や子どもたちが歩いていく。もみあげくりくりの黒帽子男性が、大道芸さえ繰り広げている。

夕食は家に戻って、じゃがいもや肉の煮物にご飯やサラダ、それに紅茶をいただく。