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イスラエルとパレスチナが対立する街 – Jerusalem / Hebron, Israel & the Palestinian Territories Hebron,

イスラエルにいると、歴史と今がとても近いことを強く感じるようになる。過去から続いてきた対立が今なお進行している。そして、世界の力の不均衡に頭を抱えることになる。

イスラエル人の若者たちは義務である兵役を終えるとよく海外に旅に出る。だから、イスラエルの外で、イスラエルのバックパッカーたちに会う機会が少なくない。フレンドリーで、明るく、前向きな人たちだ。

その印象のままこの地に足を踏み入れると、その若者の印象とこの地で起きているギャップを目のあたりにすることになる。

近代化されたビル、明るい海、かたくユダヤの教えを守り続ける超正統派のユダヤ人たち、それにイスラエルとパレスチナを隔てる分離壁。周りのイスラム、アラブ諸国に徹底的に嫌われるイスラエルという国。

ここで起きている争いについて、イスラエル人のおおよそ60%の人々はもううんざりだと思っていると聞いた。そして、ここの女の子は海外で会うとオープンなのに国の中で会うと壁ができているものだから、世界の中でも口説くのが難しいらしい、とも聞く。

ダマスカス門からオリーブ山にかけてのアラブ人が多く住むエリアには、ユダヤ人は恐がって入ってこないともいう。新市街にはユダヤ人が多く、物価も高い。

今朝は、じゃがいもとにんじんやグリーンピースの煮込み、それにパンやコーヒー、アーモンドジュースをいただいてから、ヘブロンという街に出かけることにする。

ヘブロンはパレスチナヨルダン川西岸地区にある街で、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の祖、イブラヒムの墓がある。ユダヤ人入植者とパレスチナ人との間に今も激しい対立がある街でもある。ユダヤ人入植者がパレスチナ人を追い出そうとして、暴力や嫌がらせが連発していると聞く。

2、3日に一度は両者の間で対立が起き、イスラエル兵もそれをガス抜きだと思っているともいう。実際に、その様子を見た方が言っていた。両者の対立が起きたとき、イスラエル兵が15秒以内に撃つと脅したものだから、パレスチナ人たちが建物の2階の窓から1階へと飛び降りた。その時の様子をパレスチナ人たちは、そんなこともあったんだと笑いながら話をしてくれたのだそう。

エルサレムのダマスカス門からアラブバスと乗り合いタクシーを乗り継いで1時間ほどでヘブロンの町に到着する。 

ヘブロンのような西岸地区は、パレスチナ自治政府とイスラエル軍が管理する割合によって、エリアA、B、Cとに分かれている。パレスチナ自治政府が行政権をもち、イスラエル軍がときにパレスチナ自治政府と共同でセキュリティコントロールしている地域はエリアBと呼ばれている。

ヘブロンの町にあるエリアBは、イスラエル軍が自治権、警察権ともににぎるエリアCに混ざりながら囲まれているので、そのエリアをまたぐときにはイスラエル軍によるチェックポイントを通過しなければならない。チェックポイントの先にある学校や職場に行く場合には大変な時間がかかってしまうのである。

バスを降りると、パレスチナの旗がたち、街はアラビア語で溢れている。スパイスや香水を売る店もあれば、MANGOなどといったブランドものを売る店もあり、活気がある。そしてあちらこちらから、ようこそと陽気に声をかけられる。パレスチナ警察も穏やかな笑みをたたえている。「ガザを解放しろ」と書かれた壁の下で少年がわたしたちに笑いかける。同時にその横をヘブロン暫定国際監視団(TIPH)のワッペンをつけた人々が行き交っている。

バスターミナルから、イブラヒム・モスクまで歩く途中、両わきに店舗の並ぶ市場がある。
いくつかの店の鍵は溶接されて開かないようになっていた。ユダヤ人入植者たちが、アラブ人の営業を阻害し、いやがらせをしているのだという。閉じられた店の並ぶ場所はひっそりとしている。こんなふうに閉店に追いやられた店舗は2000軒以上にも及ぶという。

市場の上には金網が敷かれ、その上にごみが落ちている場所がある。上に住むユダヤ人がごみや汚水を投げつけてくるので、金網で防御をしているのだという。

市場を歩いていると、一人の男性に話しかけられた。その男性の弟の奥さんは、妊娠中に屋上の水タンクを確認しに行ったとき、隣の入植地に住んでいたユダヤ人に頭を5発撃たれて殺されたのだという。水タンクには銃痕を修復した跡がある。

それでもお腹の中の赤ちゃんは生き残った。ところが、その男の子も道で歩いていたところを突然目に毒物スプレーを浴びせられ、今は青いサングラスをかけている。国際団体の支援により、ヨルダンに手術を受けにも行っている。

殺された場所だという屋上に立つと、隣接して真新しいユダヤ人入植地がある。たいていユダヤ人の入植している建物は新しくなっていて、よく目立つ。すぐ隣のビルの屋上で、イスラエル軍が銃をもって、街を監視し、そのための部屋も設けられている。その奥には、イスラエル国旗をあしらった新しい水タンクがそそり立っている。

ユダヤ人の遊ぶバスケットボールコートからも、毎日パレスチナ人の通る道へごみが投げ捨てられるといった。

家に通されてお茶をいただきながら、話を更に聞く。市内に住むパレスチナ人は約20万人、そこにユダヤ人入植者が400人ほどいて、彼らを守る軍人が2000人いるのだという。かつて学校や病院だった建物も入植地と変わっていく。

また市場をてくてくと歩いていると、再び声をかけられた。家をあがっていくと、当時2歳と3歳の子どもが殺されたという部屋に通される。2007年にイスラエル軍がそこに火を放ったのだという。

部屋を出ると近くに修復された水のタンクが置かれている。そばに住むユダヤ人入植者が屋上に忍び込み、ナイフで水タンクに穴をあけたのだといった。

あるパレスチナ男性は「ユダヤ人は、パレスチナ人が長年住んできた場所に入りこんで国をつくり、僕たちの土地を奪っていったんだ」と言う。暴力をふるうことは違法だが、ユダヤ人入植者は捕まらないんだ、と別のパレスチナ人は吐き捨てるように言う。

チェック・ポイントを抜けてイブラヒム・モスクにたどり着く。すると、今日はアル・イスラ・ワル・ミラージュという特別な日だからイスラム教徒以外は入れないと言われる。通常はユダヤ教徒とイスラム教徒と分かれた入口を通り、中に入る。イスラム教徒には荷物検査があり、ユダヤ人すなわちユダヤ教徒には荷物検査はないのだとイスラム教徒の男性が言った。今日は全ての入口がイスラム教徒にのみ解放されている。

中に入れずどうしたものかと思っていると、パレスチナ人の男性がやってきた。監視していたイスラエルの若い軍人女性が、その男性を指して「この方はイスラム教徒の責任者なので、この男性がノーだと言えば、ごめんなさい、入ることはできません。」と付け加えた。

再び街を歩いていると、パレスチナ人だという中年男性に声をかけられる。パレスチナの医療系NGO、パレスチナ赤三日月社で働くというその男性は、自宅の屋上からイブラヒム・モスクが見えるから、立ち寄っていくと良いと言って、家に招き入れてくれた。

そこは築100年以上の、いくつもの部屋のある大きな家で、壁は1m以上もあるところもある。開け放たれた窓からは心地よい風が吹きこんでいた。仲の良いその夫婦には、7人のお子さんがいる。テレコミュニケーション企業やチャイルド・ケアで働く娘、会計を勉強している娘、結婚をした娘、それに3人の息子たち。学費が年間一人5万ドルかかるから、7人も子どもがいると大変なんだといいながら、父親はまた笑う。

15歳の息子はサッカーが得意で、イタリアとフランスに行き、来月はギリシャに行く。過去には有名政治家にも会ったという。家にはそれを称えたいくつものメダルがぶら下がっている。夏休みの今は、スーパーマーケットでアルバイトをしているとも言った。

パレスチナ人のその家族は、それぞれヨルダンのパスポートを持っている。それでも、先月家族でエルサレムにある、イスラム教にとって重要なアルアクサ寺院に行くことになった時は、まだ若くてIDを持たない息子は行くことがかなわなかったと父親は言った。

成人した娘たちは、父親に頬を寄せる。
父親は、息子と抱き合う。そして、がははと大声で笑う。
母親は、控えめながらも、カメラをいじってはしゃいだりする。

仲の良い幸せな家族が、平日の夕方、幸せな団らんの時間を過ごしている。

そのうちに、食事をしていきなさいと言われ、テラスで家族と夕食を囲むことになった。お母さんが作ったという、ズッキーニにご飯を詰めたキシュイーム・メムライームを姉妹がテーブルに並べる。食卓にはその他にトマトソースやパン、それにお父さんが庭で育てていて収穫したばかりだというチリやピクルス、それにパプリカが添えられた。

庭には花が植えられ、棚には先祖より受け継いだアンティークの壺や、息子がイタリアで買ってきたピサの斜塔の置物が置かれている。

この家族の気持ちには、余裕があった。そして、政治的なことにはあまり関心がないようだった。お父さんは、食事は家族で毎回とるんです、それが一番好きなんだと言った。

屋上に行くと、モスクが近くに見える。すぐそばに銃をもったイスラエル兵がいて、見張りをしている。お父さんは、周りのことを説明するのに、指をたてないように気をつけながら、説明をしてくれた。

お茶までいただきながら、次回は泊まっていきなさいと言われる。

スピーカーからは爆音のアザーンが流れてくる。壁には、ゴーストタウンと戦え、と書かれている。

すっかりと長居してしまい、20時を過ぎてから、乗り合いタクシーとバスを乗り継いでエルサレムへ向かう。乗り継いだバスにはイスラエルの旗が天井にはられて、バラがぶらさがっていた。わたしたち外国人を乗車させるのを渋るのか、チケットを渡すから別のバスに乗り換えるように勧められるも、結局そのまま乗せてもらうことにする。途中、個々の乗客に対するチェックポイントもなく、21時半にはエルサレムに戻ってきた。

宿に戻り、イブラハムさんが作ってくれたグリーンピースやにんじん、じゃがいも、たまねぎのスープ、それにご飯にお茶をいただく。