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ユダヤ教徒の朝と、宗教を越えたハグ – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

フルヴァ・シナゴーグで7時45分からミサが行われるというので、バナナストロベリージュースとピラフをいただいてから、オリーブ山を下って、旧市街ユダヤ人街にあるそのシナゴーグへと向かう。

男性は1階、女性は2階とに分かれ、それぞれ祈りを捧げる。圧倒的に男性のほうが多い。多くは黒いスーツに白いシャツ、黒い帽子といった服装で、タリートというショールを羽織ったりしいる。だが、中にはブルーのチェックのシャツやカラフルな帽子キッパを身につけている男性もいる。女性のほうは、黒い服装を着ている人もいれば、ピンクや水色といった服を着ている人もいて、さまざまだ。

各座席の後ろには聖書が置かれている。男性は、おでこに四角い黒い箱をのせて、腕に黒革を巻いている。この道具はテフィリンと呼ばれていて、13歳から男性が朝のお祈りのときに使うものだそう。箱の中にはトーラーの書かれた紙が入っていて、それをおでこにのせて、あるいは腕にのせて革ひもで巻く。巻き方にも細かい決まりがあるという。

聖書を手に前後左右にゆらゆらと身体を揺らしながら、祈り始める。子どもたちも同じように揺れる。それぞれにトーラーを読み、そして時折声を合わせて「アーメン」と言う。

8時を5分ほど過ぎたころ、テーブルが叩かれる。前方にいる聖職者が黙って斜めにおじぎをするようなかっこうで、身体を揺らす。そして各自が勝手に着席にする。子どもたちはおしゃべりを始めたりする。

また15分ほど経ったころ、ラビが現れ、みなが歌い始める。最初にばらばらだったのが、じょじょにそのうち一つになっていく。

ラビが、聖櫃に引かれていた幕を開き、観音開きの木の扉を開ける。そして中に納められていた丸まった大きなトーラーをおもむろに出す。銀の冠がつき、ビロードの布にくるまれている。それを囲むように人々が集まり、触れようと近づく。

中央にある聖所までトーラーを持っていき、冠や布をとってくるくると広げて、身体を揺らしながらそれを朗読する。5分もしたところで、トーラーを3方向に見せるように掲げる。そしてまたそれをバンドで巻き、ビロードの布にくるみ、銀の冠をつけ、集まる人々が触れ、あるいは口づけをしながら、再び聖櫃に戻される。

8時50分をまわるころ、人々はすくっと立ち、おでこにのせていたテフィリンや腕に巻いていたバンドを外し始める。ラビがテーブルを叩く音がすると、またみな静かに身体をゆさゆさと揺らし、トーラーを朗読する。

帰宅する人もちらりほらりと出たりしながら、9時過ぎに歌を歌ってミサが終わった。

そこから、シオン門を出たところにあるシオンの丘に赴く。細かなモザイクの残る聖母マリアを祀ったマリア永眠教会や、イエスが最後の晩餐を行ったといわれる部屋がここにある。

近くにはダビデ王の墓もあり、ここも入口が男女に分かれている。信者たちは入口にある大きなメズーザ―に手をあてて祈りながら中へと入っていく。内部のダビデ王のものと伝えられる柩に向かって、ユダヤ教徒が聖書の詩篇を唱えている。

また少し歩けば、ユダヤ人の虐殺に関するホロコースト博物館、メモリアルがある。そこには、血のついたトーラー、ユダヤ人を侮辱するためにナチスが着用していたトーラーから作ったジャケット、首つりや飢餓で亡くなった人々の白黒写真、裏地にトーラーが貼られたジャケットや鞄、手書きのトーラー、「1933年から1945年の間にドイツのナチスによって殺された600万人の殉死者へのメモリアル」が展示されていて、重々しい。

さらにその地区には、ユダヤ人1200人を虐殺から救ったオスカー・シンドラーの墓がある。墓には十字架が刻まれ、いくつかのコインが置かれていた。丘の上には鶏鳴教会がある。イエスが裁きを受ける前の最後の一晩を過ごした場所であり、ペテロがイエスのことを知らないと3度嘘をついたのもこの場所だといわれている。

ダビデの町とオリーブ山の間には、ケデロンの谷が広がっている。最後の審判の日にはここで死者がよみがえると信じられている。

夕方16時から、Jerusalem Hug 2012が始まった。Hutzot Hayotzerの芝生に人々が集まり、配られたハートを胸につける。

主催者の一人、イブラヒムさんは取材を受けていた。取材であろうと、相手が誰であろうと、イブラヒムさんはお構いなく、同じ調子で同じ声の大きさで同じことを伝えている。

人に愛を尽くすということは両親が教えてくれた。誰の額にもその人がユダヤなのかキリスト教徒なのかイスラム教徒なのかは書かれていない。わたしたちは一つである。だから、宗教や言葉の間にある壁を飛び越え、あるいは壁をうち壊せるように努力をする必要がある。アラブもユダヤも兄弟で、同じ種から生まれてきた。

いまだイスラエルが建設途中のパレスチナとの分離壁は過ちであり、すぐにでも壊されるだろうと言った。土地は神様のものだ。

隣人の赤ちゃんの口にはミルクを与えてやらないといけない。人には母親やマザー・テレサが必要なのだ。

イブラヒムさんは、頭にかぶっていたカフィーヤを取りはずして、続ける。もう私は髪の毛もないし、文字だって読みづらい。だから新しい世代のリーダー、土地を愛するリーダーが必要だ。

「家に遊びに来なさい。」そう言ってインタビューを終える。

配られた西瓜をかじりながら、そのうちに芝生に輪になって手をつなぎ始める。真ん中では音楽をゆるりと奏でる若者たちがいる。中にはイブラヒムさんもユダヤのラビもいる。時にその輪を二重にして、中と外にそれぞれ向かい合わせになり、一人一人の顔を見ながら、回っていく。

19時になるころ、ヤッフォ門に移動して、壁を囲うように手をつなぐ。その周りで人々は踊り、歌い始める。

この様子に黒帽子黒服の幾人かのユダヤ人もやや興味をもつようで、ちらりほらりと遠巻きに覘く人がいたかと思えば、全く眼中に入っていないようすのユダヤ人もいる。一緒に手をつなぐように声をかけられても、彼らは恥ずかしそうに散っていった。

20時を過ぎて日も暮れるころ、イベントは終わりに近づいていった。それでもイブラヒムさんは痛いという脚をひきづりながら、「わたしは主催者なんだから、みんなの世話をしなくちゃいけない」とつぶやきながら、出くわした友人とともにイベントへと戻っていく。周りが何か手伝いましょうか、と言っても、大丈夫だ、早く帰りなさい、と言うばかりだ。

キリスト教の鐘にイスラム教のアザーンが重なる。そして、帰りのバスの後ろの席の男性は、父親はキリスト教徒で母親がイスラム教徒だといった。全く問題ない、とそう言った。

家に帰って、じゃがいもや玉ねぎのトマト煮込みやピラフ、それにアーモンドジュースを合わせていただく。