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イスラエルに入国するということ – Border with Jordan / Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

イスラエルのイミグレーション・オフィスのある新しい建物の前には長蛇の列ができていている。細かな水を吹き付ける装置が置かれ、人々をわずかに濡らしながら、涼ませている。

大きな荷物と小さな荷物に分けて荷物チェックが入る。まず大きな荷物を預ける。すると窓口でパスポートの裏に荷物検査のシールがぺっとりと貼られる。小さな荷物は、別に手で持っていき、X線にかける。

そこから、「外国人」「パレスチナ」「東エルサレム」とに分けられる。イミグレーションの窓口へと進み、幾度も「スタンプは別紙に」と前のめりに伝える。

パスポートには、スタンプを押さないでください。

イスラエルへ入国したことが分かると、これから訪ねるアラブ、イスラム国で入国を拒否されるときがある。だから、イスラエルの入出国スタンプを、パスポートではなく別の紙に押してもらうように強くお願いをする必要があるのだ。

キング・フセイン橋の担当者たちは「スタンプは別紙に」と言われることに慣れている。でも「スタンプは別紙に」とお願いをしても、とくに明確な基準もなく担当者によって旅行者たちの切実なお願いを却下してパスポートにスタンプを押してくる人もいるようで、全く困ったものである。

こうして、それぞれ職員と旅行者の間で心理戦が繰り広げられるのである。

茶目っけのある担当職員は、少しいじわるそうな笑顔を浮かべて、質問をしてくる。氏名、国籍、宿泊先、渡航場所。パレスチナ自治区の町は口にしない。ただ「エルサレムに行きます」と言う。

宿泊先は予約をしているのか、今そのホテルに電話をしたら、あなたの名前はありますか、と尋ねられる。予約はしていません、だから電話をかけても、わたしたちの名前はありません、と答えると、そうですか、分かりました、とあっさり言われる。

スタンプは無事に専用の別紙に押された。ふう。

そこから、さきほど預けておいた大きな荷物を受け取る段になる。空港のようにベルトコンベアにのせられて、ぐるぐると回っている。わたしたちの一方は荷物検査だといって別室に連れて行かれ荷物の所持者であることが確認できると、あっさりと通過できた。

なのに、もう一方の荷物がなかなか出てこない。こうして荷物の出てこない人たちが、ある人は既に3時間以上待たされているといい、職員に向かって怒りの声をあげている。それでも職員は、ただ「待ちなさい」と聞く耳をもたない。なにを言っても、なにを聞いても、「待ちなさい」。

放置されたまま、時間が過ぎてゆく。

ベルトコンベアにのせられていない荷物は、結局荷物検査の別室に積まれていた。1時間ほど待ったところで、3時間以上待った人々とともに別室に連れて行かれる。

すると、荷物に軽く触れられただけで、問題ないから行っていい、と言う。3時間以上待った人々も同様で、ひたすらに待たされた時間は何だったのだとみな首をかしげている。

このわけも分からず放っておいて時間を浪費させるスタイルは、全国にある「チェックポイント」ではよくある話らしい。

とにもかくにも荷物を受け取り、両替をしてエルサレムまでのバスに乗り込む。

エルサレムまでの道の途中に検問が一度ある。銃をもった若い女性がバンに乗り込んでパスポートの確認をする。その他は問題もなく舗装された道を走り続ける。

国境から50分ほどでエルサレムに到着する。近い。暑かったので、ジューススタンドに立ち寄り、ベリーのフローズンジュースをごくりとやる。

ここには、肌を出した洋服を着る女性もいる。
多くの人々が英語を流暢に話す。
路線バスも新しく、寒いほどの冷房がついている。

お世話になるPeace House、イブラヒムさんの家にお邪魔する。ここは、イブラヒムさんというおじいさんが、寄付制でご自宅だった場所を広くみなに提供しているお家である。

今日イブラヒムさんは、イスラム教のスフィーの人々とミーティングをするためにハイファに行っているというので、メキシコ系アメリカ人だというアーネストさんが代わりに迎えてくれ、食事を温めてくれ、コーヒーを淹れてくれた。じゃがいもやにんじん、グリーンピースの煮物に、炊きこみご飯、それにパンにコーヒー、お腹いっぱいだ。

アーネストさんは、アメリカには気持ちの面でいられなくなって、一連のイスラエルで起きている問題を知ろうと思ってやってきた、と言う。

イブラヒムさんの家は、オリーブ山の頂上近くにあり、屋上からは街並みを望むことができる。すっかり日が暮れて灯りのともる街並みを、屋上から眺める。分離壁やモスク、教会の灯りが見え、花火が上がる。

ヨルダン-イスラエル国境情報

ヨルダンのアンマンから、キングフセイン橋を通って、イスラエルのエルサレムへ抜けるルートです。

1.アンマンのムジャンマ・シャマーリー・バスターミナルから、キングフセイン橋行きのセルビスに乗る。
 (※所要1時間。 JOD 6.00)
2.キングフセイン橋に到着後、ヨルダン側で出国手続。出国税JOD 8.00を支払う。
  出国カードを記入。パスポートと一緒に提出。
 (※何も言わなくても、パスポートにスタンプは押されませんでした。)
3.手続後、イスラエル側国境に行くバスに乗車。
 (※荷物代込みで、JOD 5.13)
4.10分程で、イスラエル側国境に到着。
5.大きな荷物を、係員に預ける。
 (※預ける際、パスポートにシールが貼られます。
   このシールの跡がパスポートにあるだけでも、イスラム諸国では入国を拒否する場合   があるそうです。対策として、①パスポートカバーをつけておくと、パスポートカバーに   シールが貼られるので、大丈夫   です。②シールが貼られた後、すぐはがして、も   う一度貼ると、はがれやすくなり、跡が残りにくくな   るようです。)
6.入国審査を受ける。
 (※この際、イスラエルの後に、イスラム諸国へ行く可能性がある人は、パスポートを提出する前に、別紙にスタンプを押してもらうよう、係官に伝えてください。その際、いくつか質問を受けます。かなりがんばらないと別紙に押してくれない係官もいるようです。)
7.荷物を受け取る。
 (※荷物が検査になる場合があります。その際は、別室の検査室に行き、荷物の中身の確認を受けます。私は別室に行きましたが、特に開けられることなく、済みました。が、相方の荷物が中々出て来ず、長時間待たされてしまいました。結局相方の荷物は検査の対象になっていないにも関わらず、荷物検査室に置き去りになっており、誰も気づかなかったのが原因です。)
8.エルサレム(※ダマスカス門)行きのバスに乗る。
 (※所要1時間。NIS 32.00)

◎両替
 イスラエル側に両替所があります。
 JOD 1.00 = NIS 5.12

出国の質問よりサッカー。 – Wadi Musa / Amman / Border with Israel, Jordan

今日はアンマン経由でイスラエルのエルサレムまで向かう。ヨルダンもイスラエルも国がさほど大きくないうえ、交通手段が整っていて、移動に時間がかからない。

朝は宿のスタッフの友だちだという男性がバスターミナルまで車をだしてくれるというので、それに乗って近くのターミナルまで向かう。

ワディ・ムーサからアンマンまではバスで3時間ほど。おおよそが仕事のためにアンマンに行く人たちだという。

20分ほど待ってやや座席の埋まりはじめたバンは、7時40分ころに動き出す。ターミナルにあった小さな商店で、エジプトで気に入ったMoltoのミニクロワッサンを見つけたので、それを買い求めてバンでほおばる。

アンマンまでの道はきれいに舗装された道で、そこをバンが飛ばしていく。茶けた砂漠をみることもあるものの、たいていぽつりぽつりと白い建物が並んだり、工事が行われていたりする。

窓から吹き込む風も涼しく、ヨルダンの旅が快適だということを改めて実感する。交通機関も食事も、なにやら洗練されているのだ。

アンマンのムジャンマ・ジャヌーブ・ターミナルに到着し、そこから乗り合いタクシーで、イスラエル国境までのタクシー、セルビスが出ているムジャンマ・シャマーリー・ターミナルに向かう。

ごつごつとした崖の上に淡い茶色の四角い家々が立ち並ぶのを見ながら30分ほどで、ムジャンマ・シャマーリー・ターミナルに到着する。ターミナルの売店で売られていたターメイヤとサラダをピタパンにはさんだものを買い求め、ほおばる。

イスラエルまで向かう乗り合いタクシーはほどなくして満席になり、発車する。乗客の中には、パレスチナの男性がいた。

パレスチナ人の彼はヨルダンに生まれ育ったが、パレスチナの女性と結婚をして、2000年に米国に移り住み、医者として働いている。彼はヨルダンのパスポートをもち、米国で生まれた子どもたちは米国パスポートを持つ。

米国は移民に対して寛大だ。技能があれば仕事をすることができる。白のストライプシャツにスーツのパンツをはき、サングラスをかけて、やや髭をたくわえた上品なその男性はそう考える。

彼の父親はパレスチナで住んでいた土地を奪われ、ヨルダンにやってきた。

イスラエルから土地を奪われ、殺害を恐れた多くのパレスチナ人が国外に逃れた。その最大の移住先がヨルダンなのである。ヨルダンは、最も寛容に難民を受け入れ、パスポートを与えているのだとその男性は言う。

イスラエルのメディアは、イスラエルもパレスチナも双方が武器を所持して戦っているように伝えるが、実際のところパレスチナ人は貧しい生活を送り、武器すら持っていない人がほとんどなのだと言った。

ユダヤ人が移り住んできたのは最近で、それまでは長い間パレスチナ人が住んでいたのに、とその男性はゆっくりと言葉をかみしめるように言う。わたしたちがこれから向かうエルサレムは、「分離壁」の向こうにあたる場所にあるので、特別な許可がないと行けないのだと彼は加えた。

ヨルダンに住む家族や、今もパレスチナに住む親せきに会いに、こうして時折米国から帰国しているという。恋しく思うこともありますよ、とこちらに顔を向ける。

イスラエルとの国境、死海に近づくにつれ、標高が低くなり、暑くなっていく。運転手は窓を閉め、冷房をつけた。ヨルダン川や少しの雨で、この辺りはバナナを栽培しているのだそう。

約1時間ほどでヨルダンのイミグレーション・オフィスにたどり着く。小さな紙切れに、パスポート番号と国籍と名前だけ記入するように言われる。そして、出国税を支払う。

オフィスはどうにもゆったりとした雰囲気で、先日のワールドカップ予選の日本対ヨルダン戦のことを指して、「6-0」と職員に囲まれて笑顔で言われる。窓口でも同じだ。1、2点ならまだしも6点だよ、と、出国にかかわる質問などお構いなく、とにかく「6-0」と連発する。

キング・フセイン橋を渡ってイスラエル側のイミグレーションオフィスへ向かうシャトルバスが来るのを、待合室で待つ。シャトルバスに乗ると、預けていたパスポートが返却され、そこに出国スタンプの押された小さな紙切れ、それに出国税を支払った領収書がはさまっている。

キング・フセイン橋まで4kmと書かれた看板がたてられている。

橋の手前で、どくろのマークを胸に付けた男性職員が乗り込んできて、2枚つづりの出国税領収書の一方をちぎり、出国スタンプを押した小さな紙切れを回収する。どくろをつけていようが、この職員たちも陽気だ。

いよいよ、ヨルダンからイスラエルに渡るキング・フセイン橋にさしかかる。日本の資金援助でかけられた橋には、ODAのロゴがつけられている。

「Welcome to King Hussein border crossing (Allenby)」と書かれたゲートをくぐり、ヨルダン側から約30分ほどかけて橋の向こうのイスラエル、イミグレーション・オフィスへと降り立った。