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大きなぺトラ遺跡 – Petra / Wadi Musa, Jordan

昨夜イルミネーションに輝いていた夜の紅海やモスクが、朝になると青い海と白い建物の広がる景色と変わっていた。

今日は、北にあがって、ぺトラ遺跡を見に行きたい。

朝に起きてバスターミナルへ行くものの、客が集まるのを待って発車するというバスは何時に出発するのか分からない。ちょうどぺトラに向かおうとしていたタクシーが通りがかったので、便乗する。日産車の快適な運転で、マンゴージュースを飲み干し、パンやピクルスを口にほおりながら、ぺトラ遺跡へと向かう。    

くねりくねりと岩山の道を通っていく。大地溝帯の一部であるワディ・アラバの向こうは、もうイスラエルである。2時間と少しでタクシーは、ぺトラ遺跡へと到着する。

ぺトラは、2000年以上も前から、ナバタイ人や砂漠を移動するキャラバンの中継都市として栄えた町。1日ではとても見きれない大きさで、チケットも3日通し券があるほどである。その広さゆえ、遺跡内には馬やろば、馬車やラクダが走っている。

チケット売り場から入って道なりに進んでいると、オベリスクの墓が見えてくる。

さらに先に進むと、シークという名の、両わきを高い岩壁に挟まれた細い道が続く。日差しは強いが、そびえ立つ壁が日陰を作りだし、涼しい風を運ぶ。ダムや水路の跡がところどころに見える。

細いシークを40分ほど歩いたところで、岩壁のすきまに崖を削って掘りぬいた霊廟エル・ハズネがふいに見えてくる。紀元前1世紀~後2世紀につくられたその装飾がまだ残された門や柱の後ろに、頭のない像がたっている。

ファサード通りを抜けると、右手の岩の上に、王家の墓と呼ばれる岩窟墓群がどんと削られているのが見えてくる。いくつかの墓の上のほうは、階段を逆さまにしたように岩が削られている。これは、ナバタイ人がこの階段を伝って天国へ行くと信じていたからだという。墓の中は、外の暑さに構わず、ひんやりとしている。

2~3世紀につくられた、5000人を収容できるというローマ円形劇場は、まるい舞台を囲む階段状の観客席から、通り道までその跡を残している。、さらに奥に行くと、柱の並ぶ柱廊通り、凱旋門、大寺院、カスール・アル・ビントやエル・ハビス城と続いていく。

ここで冷えたコカコーラやペプシの缶を買い求め、それに入口で買っておいたバニラクッキーを平らげる。

さらに40分ほど階段を上がったところにある、エド・ディル修道院跡へと向かう。ただひたすらに足を前に進めていると、ふいに視界が開け、右に高さ45m、幅50mというエド・ディルが突然にそびえ立ってみえる。かつてこの辺りには修道士が住んでいた。

そこからまた岩山を上がったところに登りつめると、ワディ・アラバが見渡せる。わきには石ころが積まれている。

最後に、岩の上にある犠牲祭壇まで再び階段をあがっていく。よいしょよいしょと階段をあがっていくと、頂上に、平らに切られた祭壇があり、そこからオベリスクや、ぺトラの町、それに最寄りの町、ワディ・ムーサの町が一望できる。ぺトラが、岩をくりぬいたり、削ったりして作った場所が多いことに改めて気づく。どれも赤い色をしている。

暑いぺトラを歩き回り、階段を上がり下がりしているうちに、へろへろになってくる。

タクシーに乗って最寄りの町ワディ・ムーサまで行って宿をとり、シャワーを浴びてから、夕食をとりにAl-Wadiレストランに入る。

この辺りには遊牧民族ベドウィンがいて、その料理を食べることができる。レストランで提供していた、羊肉とライスに羊のヨーグルトスープをかけるマンサフ、それにややスパイシーなチキンと野菜を煮込んだGallayhをオーダーする。あわせてフレッシュメロンジュースとピタパンがついてくる。

宿のテレビはワールドカップ予選、オーストラリア対日本戦を流している。ちょうどヨルダン対日本のサッカー試合で日本が圧勝したばかり。宿のスタッフもテレビにかじりついてみている。本田選手を買いたいよ、とスタッフは言った。

そのうちに大きな缶に入ったベドウィン・チーズだというチーズを差し出される。甘い水に浸したほうがよいというチーズ、そのままいただいても、とても塩辛い。

昼は暑かったぺトラも、夜は最近なかったほどに涼しい風が吹いている。