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ヨーロッパとアジアのあいだ。 – Istanbul, Turkey

トルコに入ると、道に布を広げて祈りを捧げる人もほとんど見かけない。アラブ式、トルコ式トイレよりも洋式トイレが、がぜん増える。黒いアバヤをかぶる女性がちらりほらりとしかおらず、煙草を吸う女性の姿もある。男女は手をつなぎ、楽しげに歩いていく。物乞いもほとんど見かけることはない。道歩く軍人もなにやら物腰柔らかそうな雰囲気さえする。

突然に「チャイナ」「チナ」「チャン・チン・チョン」と言葉をふられることが減り、同時に「ヨルダンへようこそ」「レバノンへようこそ」と比べると、イスタンブールでは「トルコへようこそ」と言われる回数はぐんと減る。

さまざまな種類の食べものや音楽が街を包みこみ、空気そのものがどこか楽しげだ。

昼食は、宿の近くのSuat Usta Mersin Tantuniの食堂で、薄い生地ユフカでトマトやピーマンを巻いた、名物だというタントゥニをオーダーする。添えられたレモン汁をかけると旨みが増す。時折小皿に盛られたペッパーをかじってみる。

街によく見かける赤いスタンドで、リングパン、シュミットを買い求める。外は硬く、ごまの味がきいている。

イスタンブールの旧市街や新市街のあるヨーロッパ側から、ボスポラス海峡の向こう側にあるアジア側へと渡ってみることにする。ヨーロッパ側とアジア側は頻繁に船が行き来して使い勝手も良いものだから、船は地元の人たちの足となっている。

タクスィム広場から坂を下り、イノニュ・スタジアムやドルマバフチェ宮殿、オメル・アヴニ・ジャーミーを見ながら、カバタシュ埠頭に到着する。昨日と変わらない明るい港には、黒いスーツを着た新郎と純白のドレスを着た新婦が笑顔で写真撮影をうけて、船に乗り込んでいく。

カバタシュ埠頭から対岸のユスキュダル埠頭まで15分ほど、海には河北王朝HOSCOと書かれた大型船など船が幾隻も行き交う。

アジア側とはいえ、ここもトルコだ。急に街並みが変わるわけではない。海に飛び込む若者、記念撮影をする親子や釣りをする男性たちがいて、それにジャーミーが立っている。

トルコはびよりと伸びるドンドゥルマというアイスクリームが有名だ。アイスクリームをひっくりかえしてみたり、かたまりで取り出してみたり、手品ふうにして盛る。チョコレートとバニラとブラックベリー味のミックス。やや粘り気はあるが、冷たいアイスクリーム。エンターテイメント抜群に盛るものだから見た目はぐちょりとしていて、味は普通のアイスクリームのほうが、美味しい。そんなものだ。

海岸沿いに歩いていくと、海の小島にかつて灯台として使われていた乙女の塔がぴょこりと浮かんでいるのが見える。悲しい伝説をもつ島にもレストランがあって人々が渡っていくのが見える。

そこから陸地の丘を上がっていくと、今も使われているオスマン朝時代のトルコ式木造住宅がところどころに点在する。2階部分がせり出しているスタイルで、古い木造もあれば、新しくしたような木造の家もある。家々の間にあるパン屋や商店などから地元の人々がビニール袋を両手にどっさりと買い物をして出てくる。

そのままユスキュダルエリアからカドゥキョイ埠頭まで歩いていくことにする。兵営やマルマラ大学などを過ぎ、鉄道の通る橋を渡ると、カドゥキョイエリアに到着する。静かな住宅地から途端に人々の集まる繁華街へと切り替わる。

魚屋や果物屋、ビールを飲む人々の集まるレストランやアルメニア教会のある小道を、スーツを着た男性やカップル、カジュアルな服を着た若者たちが通り過ぎていく。テルラルザーデ通りにはアンティークショップが並び、蓄音機や壺、ランプや食器に扇風機などが所狭しと並んでいる。

1969年創業というマントゥ専門店サイラ・マントゥで、定番メニューのトルコふうラビオリ、マントゥをオーダーする。もっちりとしたマントゥに、ヨーグルトソースの甘味とかすかな酸味、振りかけるバジルがよく合う。しめには温かい紅茶をいただく。

20時を過ぎて、アジア側のカドゥキョイ埠頭からヨーロッパ側のベシクタシュ埠頭まで船で戻ることにする。大きな船に地元の人々が次々と乗りこむ。ちょうど夕日が沈んでいき、埠頭に停泊する大型船や飛んでいくかもめ、陸地のところどころに掲げられたトルコ国旗を橙色に照らす。空高くには飛行機雲が描かれ、反対側には既に半分の月が浮かんでいる。

30分ほどで対岸に着き、やや南のカバタシュ埠頭まで歩いて、タクスィム広場まで地下ケーブルに乗る。地下につくられた斜面を、ケーブルカーが1分ほどで上がっていく。