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2012年06月

珊瑚と魚とサウジアラビアと、やっぱりコシャリ。 – Dahab, Egypt

乾いた砂漠にごつごつとした山のなかで幾度かの検問を受け、そのたびにうっすらと目を開けながらダハブのターミナルに着くころには10時半を過ぎていた。

バスターミナルから、ISUZUのピックアップトラックの荷台に乗って風を受けながら、宿のあるアカバ湾に面した通りへと向かう。宿ではマンゴーとオレンジのミックスジュースがウェルカムドリンクとして差し出される。さすがのリゾート地である。

シュノーケリングの道具を手に、宿からほど近いスポット、ライトハウスに向かう。海沿いには、海に向かって洒落たレストランが並んでいる。キャンディーカラーのクッションを並べ、洋風とベドウィンふうをミックスさせている。

透明な海は海底までクリアで、深い青から明るい青までグラデーションをみせている。日焼けした地元の子どもたちが海遊びにいそしんでいる。ふと陸がわに目をやれば、そこはやはり乾いた茶色い岩山が広がっている。

フィンとマスクをつけて浜から潜ると、黄色に青や黒といったカラフルな色の魚がすいすいと泳いでいるのが見える。

海に魚はたくさんいるのに、街の中心から離れると途端に人はぐっと減る。ひっそりとした土産物店の並ぶ通りを歩く。

コシャリをここに来ても食べたくなり、コシャリハウスという名の店に入る。マカロニとパスタにレンズ豆とひよこ豆、焦げた風味のある大ぶりのたまねぎ、それにシナモンがかけられている。この店はご飯は入れないらしい。

そこからさらに静かでただひたすらに太陽の照りつける道を歩くこと、3、40分。いくつかのパラソルが広げられた、珊瑚の広がる水中庭園として知られるアイランドにたどり着く。

薄い水色から濃い青色までグラデーションをみせる海の対岸には、茶けた岩山が連なるサウジアラビアが見えている。浜辺には木のボートが打ち上げられ、布を頭からかぶった女性が子どもを海に入れている。遠くの沖にはダイビング用の舟が浮かんでいる。

それだけだ。

決められた場所からエントリーする。それ以外の場所から入ると、珊瑚を傷つけたり、ウニがどっさりと沈んでいたりするのである。

浅瀬を進むと、急に深くなる箇所がある。珊瑚礁が眼下に広がり、海底のほうまで続いていく。そこに魚がゆうゆうと泳いでいる。光が差し込み、時折ぐっと水温の下がる箇所をぬけながら、泳いでいく。

レッドシーバナーフィッシュ、ゴールデンバタフライフィッシュ、エクスクイジットバタフライフィッシュ、ブルーセイルフィンタング、クルンジンガーズラス、タテジマキンチャクダイ、ニシキヤッコ。

照りつける太陽に暑さを感じても、海から出てくれば肌寒く感じるほどだ。

アイランドから町の中心にある宿まで、てくてくと歩いて戻る。人通りがなく、海沿いのレストランのあちらこちらから客引きの声がかかる。

中心にたどり着けば、やや活気が出てくる。レストランは、イルミネーションを灯し、キャンドルをつけ、海に沿って並び、たいていピザやパスタといった西洋料理を提供している。洒落ている。

ここでは、エジプト料理を見つけるほうが、難しい。

夕食は、Green Valleyというレストランで、魚や野菜のグリルに、サラダやパン、ライス、それにチョコレートケーキと紅茶のセットをオーダーする。久しぶりにビールを飲みたくなったので、合わせてStellaビールを注文する。久しぶりのお酒は、ぐっとくる。

レストランの雰囲気もよくて混雑してもおかしくないはずだが、私たちの他は、頭からすっぽりと黒い布アバヤをかぶり目だけを出した女性と、白いムスリム帽をかぶった男性の一家族だけだ。

海面は岸に並ぶレストランの灯りを映し、海中には魚がひらひらと泳いでいる。

ぐるぐる修行の好評スーフィーダンス – Cairo, Egypt

朝はエジプトスイーツやパンをかじり、昼食は宿の近くの屋台で、レバーや、ご飯を詰めたソーセージ、それにサラダとパンのセットをオーダーする。そして、近くのジューススタンドで、メロンミルクと同じように人気のマンゴージュースをごくりごくりとやる。マンゴーの繊維がまだ残っていて、濃厚でおいしい。

スルタン・ゴーリーの隊商宿ウィカーラで毎週水曜日と金曜日に行われている、イスラム神秘主義スーフィーの旋舞ショー、タンヌーラは、その質の高さで有名なイベントだ。タンヌーラは、羊毛、スーフでできた衣装を身につけて、ぐるぐると回転して陶酔し、神に近づくという修行のひとつなのだそう。

カイロ・オペラ・オーケストラの堀江さんも「スーフィーダンスの質はものすごく高いのに、お給料は自分たちの5分の1ほどしか国から出ないんです。」と言っていた。

宿近くのオペラ広場から乗り合いタクシーバンに乗って、会場近くまで向かう。高架になっている細い道を、バンは前の車にぶつかる勢いで突き進む。運転手は、一時停止中に隣の車に話しかけ、手持ちのお金を両替している。

イスラムの最高学府アズハル大学やフセイン広場に面したガーマ・ホセインは、その茶色い建物を夕日に照らしている。

開演までまだ時間があったので、200年以上の歴史をもつというカフェEl Fishawyに立ち寄る。道路に出されたテーブルと座席で人々はシャイを飲み、あるいは水たばこをたしなみ、その香りが辺りを包んでいる。

シャイをオーダーすると、シャイの入った古びた青いポットと、ミントの入ったグラス、それに砂糖の入った銀の入れ物が、トレイにのせて運ばれてくる。カフェは客でにぎわい、それをねらった売り子たちが、とっかえひっかえに商品を見せながら売り歩く。

タンヌーラは、20時から始まった。最初に白い布を頭に巻き、白い服を着た男性たちが太鼓や金属製のカスタネットでリズムをとる。いかついおじさんがおどけたようすで踊り、バレーのような細かい脚の動きをつけながら舞ってみせる。それから、黄色や黒、赤や緑といった色鮮やかなスカートをぐるぐると回転させた男性が入ってくる。

周りの男性たちはタンバリンをならしながら、中央の男性はリズムをつけながら、ただひたすらにぐるりぐるりと回り続ける。しばらくすると、巻いていたスカートを取り外し、ふわりと宙に浮かせて、今度は手でそれをぐるぐると回転させる。

立ち見もでるほどの満員ぶりをみせる会場は、拍手と口笛で盛り上げる。

黄色や緑、赤などで模様をあしらった太鼓や、身体の前で叩く太鼓、それにラッパの演奏があった後、3人の男性が再びスカートを回し続ける。スカートを取り外しては頭の上で回転させ、腰のスカートとともにぐるぐるさせる。マイクから歌が歌われ、弦楽器や太鼓、ラッパが盛り上げ、カスタネットとダンスが掛け合いをする。

スカートを身体の上下に器用に回しながら、頭をぐるぐると回し、スカートを放り投げる。それでも、頭のくらくらなど感じさせないお辞儀が客席に向けられる。

21時を過ぎてショーが会場の熱気とともに幕を閉じる。

帰りもまた乗り合いタクシーバンに乗りこむ。このタクシーもまた例にならって、車線変更を繰り返し、ぐいぐい進む。商店で買っておいた、エジプトで人気のお菓子、Moltoのハーゼルナッツ・チョコレートをかじりながら、宿へと戻る。しっとりとしたクロワッサンに甘いチョコレートペーストが入れられている。

今夜は夜行バスに乗ってアカバ湾に面したダハブまで向かうが、まだ出発まで時間がある。

宿の近くのAkher Saaというレストランで、ターメイヤのサンドイッチをオーダーする。レストラン前にはプラスチックのテーブルや椅子が並べられ、みなテレビ画面に映し出されたユーロ2012のサッカー観戦に夢中だ。

宿から鞄をとって、ダハブ行きバスの出るトルゴマーン・ターミナルに向かう。信号がとても少ない大通りを、車がひたすらにクラクションを鳴らして、ぐんぐんと進む。おっかないこと極まりない。

ターミナルに着いたら、簡単な荷物検査をした後、East Delta社のバスに乗り込む。23時45分の予定時刻を10分ほど過ぎたころ、がんがんに冷房のかかったバスは、シナイ半島、アカバ湾沿岸のダハブへと向かっていく。

シナイ半島は誘拐事件も発生し、沿岸地域以外は「渡航の延期をお勧めします」とあるが、カイロで出会ったガイドの男性が「捕まったとしたら、それは天国を見ることなんだ。彼らは政府との交渉のために誘拐をしてくるけれど、危ないことはしてこない。捕まっている間は、ご飯も出してくれるし、手厚くもてなされるんだよ。」と言っていたことを思い出す。

ナイル川からみるカイロ – Cairo, Egypt

朝は、近くのパン屋とフルーツ屋で買ってきたチーズパンや桃やスモモ、オレンジなどをほおばる。

お昼は今日もコシャリ。宿の近くに有名なコシャリ店、サイエド・ハナフィーがあるので、訪ねる。コシャリは店ごとに味も違って、ここのトマトソースは絶品だ。それにお酢と添えられたライムが見事に合う。

そこから大通りに出て、マクドナルド近くのKoueiderという店で、スイーツをいただく。エジプトスイーツ、ナッツとシロップがたっぷりのコナーファと、シロップ漬けのバスブーサというケーキ。どちらも砂糖のかたまりを感じるほど、とにもかくにも甘い。

この辺りには、日本の100円均一に似た趣の店や駄菓子屋が数店あるので、見て回り、買い物をする。

夜には、ナイル川のナイトクルーズに出かける。タクシーに乗って、船乗り場近くのフォーシーズンズ・ファースト・レジデンスまで行き、Aquarius社の船に乗りこむ。チキンにビーフにパスタ、ライス、野菜の揚げもの、豆の煮ものに、ビーツやチーズ、サラダ、それにパンやデザートなどをビュッフェスタイルでとって席でいただく。船は静かに進むものだから、動いていることに気がつかないほどである。

甲板に出てみる。夜になってぐっと快適に涼しくなる風に吹かれながら、川沿いのビル群を眺める。

インターコンチネンタル、フォーシーズンズ、ソフィテル・エル・ゲジーラ・ホテル、HITACHIと赤字のイルミネーションが輝く看板にカイロタワー。川には、ピンクや紫のイルミネーションをつけた舟が浮かんで、きらきらとしている。こうしてみると、カイロが大きな大都会であることを再認識する。

船内では、ベリーダンスやサービス精神いっぱいのスーフィーダンスショーが行われている。甲板では、ぽつりと床に座り、祈りを捧げるイスラム教の男性がいる。

19時半に船が出てから2時間ほどで下船となる。ちょうど交代でウェディングドレスを着た花嫁が船へと入っていった。

船着き場からAl Gamaa橋を渡り、Sayeda Zeinab駅まで歩く。ナイル川にかかる橋の上では、若者がジュースを飲み、プラスチックの簡易椅子に腰かけて賑やかだ。途中の小川では、釣りをしている親子がいた。

いろんなカイロ – Cairo, Egypt

何を食べようかと考えると、まずコシャリのことが頭に浮かんでくる。暑くて乾燥している中、無性に食べたくなる。パスタを食べたい気持ちも、ご飯を食べたい気持ちも、トマトソースを食べたい気持ちも、一気に満たしてくれる懐の深い食べものなのである。

カイロで暇そうにする店の店員は多いが、コシャリ屋の店員はたいてい忙しそうだ。そんなわけで、今日もコシャリにする。

構内にもイスラム教の祈りのマットが敷かれたSadat駅から、カイロ発祥の地であり、コプト教徒の多く住むオールドカイロのMar Girgis駅に向かう。

まずは駅近くの店に入り、オレンジの炭酸飲料、mirindaをごくりとする。

コプト教とは、原始キリスト教の流れをくんで、エジプトで発展してきた教会。今ではイスラム教徒がおおっているかのようなエジプトでも、より古い時代にはキリスト教が広まっていた。イスラム世界になる前の、エジプトがここに、ある。

駅からすでに聖ジョージ修道院のドームやその上にそびえる十字架が見える。ここは、新約聖書の伝承に述べられている、イエス・キリストが難を逃れるために家族とともにエジプトに渡り身を寄せた場所に建てられている。

隣にはバビロンの塔、その横にはコプト教のムアッラカ教会がある。この教会は、バビロンの塔の土台の上に建ち、ぶら下がった教会、という呼び名をもっている。白くて細長く、明るい教会へ階段をあがっていくと、歴代総主教の写真やはがきが並んでいる。

そばの聖ジョージ女子修道院に立ち寄ったあと、ベン・エズラ・シナゴーグに入る。ここは8世紀のファーティマ朝の時代、聖ミカエル教会の跡地に建てられたユダヤ教の会堂、シナゴーグである。聖ミカエル教会の土地と建物が、当時ユダヤ人のコミュニティに売られたのだという。偶像のない、落ち着いた建物の中に、白いライトが点々と浮かんでいる。

近くの商店でバニラとチョコにナッツのトッピングがかかったアイスを買い求めてから、カイロ最大級で、アフリカ大陸で最初のイスラム寺院、ガーマ・アムルに寄る。

半袖の上着の上から着るように、フードのついた緑の服を手渡される。肌を出してはいけない。どうにも丈が長くて、ややひきずるように歩く。赤い絨毯のところどころに本棚が置かれて、本が並べられている。絨毯に座り、勉強をしている信者たちがいる。

その後、バスに乗って、かつての商業の中心地で今は800年間廃墟となっているフスタートを眺めながら、シタデル地区に向かう。

シタデルは、対十字軍の拠点としてムカッタムの丘に建てられた城塞で、その高台には、大きないくつものドームとぴんとしたミナレットをもつガーマ・ムハンマド・アリが街を見下ろしている。

そこからまた歩いていくと、マムルーク朝建築を代表する一つ、ガーマ・スルタン・ハサンや、リファーイー教団の創始者や最後のシャーの墓のあるガーマ・リファーイーが見えてくる。

それを西に進むと、地下貯水槽や共同井戸などをもつサビール・クッターブ・カーイトゥベーイ、1413年に建てられたマスギド・カーニー・ベーイ・イル・ムハンマディ、アミール・シャイフの建てた修行場、ハーンカーや礼拝所のマスギド、19世紀に建てられたサビール・クッターブ・ウンム・アッバース、そして879年に完成し、現存する最古のガーマ、アフマド・イブン・トゥールーンと、長いカタカナ名連発のエリアを歩く。

こうして、歴史あるカタカナ建造物がカイロにはずらりと並び、ミナレットは視界の中に幾本も立ち、茶色の建物が太陽の光を受けている。

バスに乗って一度宿に戻ってから着替える。宿のヌシ的存在感をもつ堀江さんのトランペットを聞きに行くためだ。ドレスコードがあるらしく、男性はスーツにネクタイ、女性はドレス。

タクシーに乗って、カイロタワー近くのオペラハウスに向かう。堀江さんはドイツの音楽学校を出た後、カイロ・オペラ・オーケストラのオーディションを受けて合格し、現在カイロで演奏をしている。

白い建物に灯りがともされたオペラハウスの中に入ると、紅い広々としたステージと客席に入る。今日は有名ミュージカルからの選曲。Think of me、Music of the night、I feel pretty、The Sound of Musicなど、有名な曲が演奏される。オーケストラのメンバーも客もどことなくリラックスした雰囲気である。

ステージ上のスーツ姿の堀江さんは、プライベートの堀江さんとは違って見える。いずれドイツに戻るために毎日のトレーニングを欠かさないと聞いた。エジプト人がほとんどだというオーケストラに2009年から加わり、首席トランペット奏者として活躍されている。

演奏が終われば、堀江さんはTシャツを着て、いつもの堀江さんに戻っていた。

明るい月が低い位置に浮かんでいる。タフリール橋から見下ろすナイル川には、ピンクや紫、水色のライトを放つ舟がぎっしりと浮かんでいる。橋の上にはジュース屋が出て、若者たちが涼しい夜を楽しんでいる。川岸には今回の民主化運動にともなう特設テントが設置され、エジプトやパレスチナ、かつてのシリア国旗などが掲げられ、多くの人々が訪れていた。

夕食は、宿の向かいの食堂で、茄子とトマト、卵とトマトの炒め物をピタパンにはさんでいただく。横にはピクルスが添えられている。

カイロには、埃っぽい街も、イルミネーションの輝くビルも、お洒落をして出かけるオペラハウスも、キリスト教も、ユダヤ教も、イスラム教も、ある。

カイロのイスラム世界 – Cairo, Egypt

今日はイスラム地区を歩いて回る。カイロがイスラム世界の中心として繁栄を遂げてきたなか、歴史ある建築が数多く残っている。

今日も気温が上がってきたので、道ばたで売られていたドームヤシというヤシの一種のジュースを飲む。

街の漢方屋には客が集まり、道路沿いには布屋がずらりと並んでいる。アエーシを大きな木の板に並べたものを頭の上にのせて自転車でひょいひょい運ぶ人がいる。

14世紀末には市ができたらしいというハーン・ハリーリを歩く。貴金属や金属細工、イスラム帽や衣服や香水、水たばこのシーシャなどの店がずらりと並んでいる。

ムイッズ通りを歩いていくと、左手に3つのマドラサ、イスラム神学校が見えてくる。そのうちの一つ、スルタン・カラーウーンのマドラサは、バフリー・マムルーク朝の第8代スルタン・カラーウーンが1284年に建てたもの。丸いドームやミナレットがそびえたち、内部は細かなタイルやステンドグラスで装飾されている。

そばのスルタン・バルクークのマドラサも広く中庭がとられ、金や青で飾られた天井からはランプが吊るされている。100人以上の学生がここで学んでいたという。

マドラサの外の屋台で、クレープ状の生地を揚げて砂糖をふりかけてくるりと丸めたパンを買ってほおばる。

そこからほど近いバシュターク宮殿や、上階が学校で下が共同井戸になっていたサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトフダーに立ち寄る。

ガラスコップをつけた銀の壺を肩にかける男性がドリンクを売り歩いていた。甘草からできた茶色いAaresousというドリンクをコップに入れてはいと渡される。漢方のようで、苦くてほんの少し甘くて薄い。身体に良いもののようで、その辺りでずらりと男性が腰掛け飲んでいる。

そのままずんずんと歩いていくと、ファーティマ朝第6代カリフ、ハーキムが1013年に建てたガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムに到着する。真っ白なぴかぴかの床に、黒いアバヤを着た女性が横切っていく。メッカのカーバ神殿の方向を示すミフラーブの前にはシャンデリアがぶらさがっている。

すっかり心地よい空間に、しばらくお昼寝。

11世紀終わりに建てなおされたというフトゥーフ門とナスル門を抜けた後、巡礼者のための隊商宿であったカーイトゥベーイのウィカーラや、1422年に創建、かつて香辛料の通商路を管理下に置いたというスルタン・バルスバイのマドラサを見て回る。

昼食は、鳩にご飯を詰めたマフシーで有名なレストラン、フラハトに入る。カリッと焼き上げた鳩に、香ばしい焼ご飯がぎっしりと詰まっていている。それに、サラダやパンを合わせてオーダーする。鳩は小ぶりであるものの、ずっしりとしている。やっぱり、美味しい。

マムルーク朝とオスマン朝の様式がまざりあったガーマ・アブル・ダハブもまた真っ白く輝き、男性は頭を床につけて祈りを捧げ、あるいはコーランを読んでいる。

近くのスタンドでオレンジジュースを飲んだ後、スルタン・ゴーリーのマドラサとスルタン・ゴーリー廟にはさまれたムイッズ通りを南にまた歩いていく。洋服や果物が並べられて、多くの人々が行き交っている。

しばらくいくと、かつて処刑された罪人の首がしばしばつるされたというズウェーラ門に尖塔が二本すらりとたっているのが見えてくる。その横には、牢獄だったガーマ・ムアイヤド・イッシェイフもある。門を抜けると、アーチと柱が連なるガーマ・サーリフ・タラアイーがあり、まだ道は続いていく。

カフェのテラスでは男性がシャイを飲み、水たばこを吸っている。野菜や果物のスークでは地元の人々が買い物をし、猫はあくびをしている。店頭で生きた鶏や鳩が動き回り、その肉がわきに置かれている。突然に「山本山」と声をかけられるのは、10年前と変わりがない。

ムハンマド・アリ通りにぶつかったところで、バスを見つけて宿に一度戻る。

夕方は、スーダン人の男の子から、テレビ撮影にアジア人が必要だという話があったのでタクシーに乗って、カイロタワーのそばを通って西のほうへと連れられていく。彼はエジプトに働きに来ているのだが、スーダンとエジプトはもとは一つの国だった、文化も似ていてエジプトは過ごしやすいと言った。エジプト人もスーダンとは一つだと思っているんだよ、と付け加えた。

連れられていった建物に入ると、黒人の女性、白人の女性がそれぞれにかたまって、座っている。手慣れたふうのスタッフがパソコンをいじったり、携帯電話でやりとりをしたり、すらりとした女性が出入りをしたりする。決めポーズをもち、じっとこちらに顔を向ける女の子も、母親に連れられて来ている。

しばらくそんな中で待っていると、そのうちに日本人のわたしたちが呼び出される。サイババ似の男性がデジカメを手にして、わたしたち一人一人を前に立たせて撮影していく。
名前に年齢を聞かれながら、前からと左右からそれぞれ写真を撮られる。実際にテレビ撮影が何の撮影なのか、いつ撮影なのか、日本人一同分からないまま、写真だけ撮られて解散となった。

周辺のシリア・ストリートには、洒落た化粧品店や薬局に洋服屋が並んでいる。宿の近くのスーパーマーケットでは見つからなかった髪用トリートメントが、この辺りの薬局では簡単に見つかった。さすがである。

すっかりと都会の夜景を眺めながら、タクシーで宿の近くまで戻る。

夜ご飯は、1967年創業だというShalabyレストランで、たっぷりとした羊肉をはさんだシュワルマをオーダーする。肉汁たっぷりのミルキーな肉が、揚げられてもっちりとしたパンにはさまっている。

その後近くの喫茶店に立ち寄り、紅茶を飲む。この辺りではよく使われているリプトン、イエローラベルのティーバックがグラスに入れられている。そこに砂糖を入れてかき混ぜる。それに水たばこをくわえるのが、現地の人のありかたのようだった。