2012年06月
今日も体調がなかなかに優れない。
朝は、ビスケット・ビル・アグワという、もっちりとしたナツメヤシ、デーツのはさまったビスケットと、冷やしておいたオレンジをほおばる。
昼をずっと過ぎたころまで休んでから、外に出る。
近くの食堂で遅めの食事にする。
モロヘーヤスープ、野菜たっぷりのトマトベース壺焼き料理ターゲンに、サラダ、細くて短いパスタの入った風味のあるライス、それにアエーシをつける。
身体に良いものをと選んだモロヘーヤスープ、ラー油のような辛い油がかけられてもはやモロヘーヤの味がよく分からない。身体に良いのかも、分からない。
カイロからヌエバという町に向かうためのバスチケットについて調べるために、トルゴマーンバスターミナルへと向かう。宿から10分ほど歩くと、Cairo Gateway Plazaと書かれた大きく立派な建物が見えてくる。中は冷房が効いている。
窓口は行き先別に分かれ、しかも行き先別の時刻表、料金表がきちんと掲げられている。しかも、職員は英語を話し、にっこりとフレンドリーである。
ルクソールからカイロへの列車のチケットをとったときには、英語を理解する人はいなく、職員も愛想はなく、発車時刻も料金も聞く人みなバラバラの答えだった。一つの国の交通機関の間で、こうも違うものである。
こうしていとも簡単にバスターミナルを抜けだした後、日用品を買いにスーパーマーケットを探す。
エジプトのカイロは、地下鉄も通り、ビルも建ち並ぶ大都会。マクドナルドもKFCも、ある。でも町中にチェーンのコンビニやスーパーマーケットがなかなかにない。小さな個人商店が、とにかく多いのである。
見つけた大型商店も、さほど品ぞろえが豊富だとは言えない店だった。灯りも心もとない。前回、エチオピアにいたときに髪のトリートメントを探すのに一苦労、そしてここでもまた一苦労。
店員のおじさんたちは陽気で、紅茶の箱はたくさん置いてある。でも欲しいトリートメントがなかなか見つからない。結局、今日は買えなかった。
夜は、近くのカフェetoileで、オルズ・ラバン・フォーンというスイーツと、お米の入ったプリンロズ・ビ・ラバーンをいただく。甘すぎず、良い。多くの若者が店先でアイスクリームを買っていく。
丸い月が浮かんでいる。
2012/06/05 23:22 |
カテゴリー:Egypt
今朝は、店先で回転する鳥肉を削いで人参やトマト、ピーマンと合わせたものをアエーシにはさんだシュワルマをほおばった後、ピラミッドとスフィンクスを見るためにギザに向かう。
路上で売られる新聞のトップには、デモの写真がでかでかと載せられている。
それでも、ここカイロは、エチオピアなどに比べると物乞いの数はぐっと少ない。
最寄りのNasser駅から地下鉄に乗り、Sadat駅で乗り換え、Giza駅まで約20分ほど。そこからバスに揺られること約20分、手前に大きなピラミッドがどんと見えてくる。
壁にはでかでかとWELCOME TO EGYPTとスプレーで落書きがされている。
そして、大統領選挙のポスターがあちらこちらに貼られている。
てくてくと歩いていくと、クフ王のピラミッドの後ろにカフラー王のピラミッドが徐々に見えてくる。
1869年創業で第4次中東戦争の停戦が合意された舞台ともなったホテル、メナ・ハウス・オベロイに立ち寄りながら、入口へと進む。
入口に入ると、クフ王のピラミッドがそびえ立っている。一つの石が自分の背丈ほどあるものだから、ぐっと顔を上に向けて全体を眺める。
ピラミッド周辺にいるラクダ引きは「極悪」だと有名だ。しつこく声をかけてきて、だますことも多々あるという。昨日も、宿に宿泊していた男の子がラクダ引きに財布からお金を盗られたと言った。
やはり、あちらこちらからラクダ引きが声をかけてきた。
彼らは一様にエジプトの混乱で観光客が激減していることで打撃を受けていた。
ある男性は言った。
観光客が減っている。それで、家族を養うために、2頭のらくだのうちの1頭を手放したくらいだよ。ラクダを飼うのにもお金がかかるからね。エジプトが安全だということをお友だちに伝えてほしいんだ。それでまた観光客が増えてくれるとうれしいよ。
ラクダ業を営む人もそれぞれさまざまな事情を抱えている。
クフ王のピラミッドは、本来高さが146mあったというが、今は頂上の部分がなくなり、137m。てっぺんには、その部分に、鉄の棒がにょきりと空を向いている。平均2.5トンの石を約230万個積み上げて造られたというから、迫力がある。
カフラー王のピラミッドには表面を覆っていた化粧岩が今も残っている。その後ろにメンカウラー王のピラミッドを見る。これらは、紀元前の2550年ころに造られている。
クフ王のわきにある女王のピラミッドのうち、メリテレスのピラミッドに入ってみることにする。小さな入口から、後ろ向きに階段を下っていく。しばらく下ると、そこにぽかりとあいた玄室にたどり着く。中はほんの少し涼しくて、湿気がある。
最後に、人面獣身のスフィンクスを眺める。鼻はアラブ人の侵入後に削られ、髭はイギリス人に取られたというそのスフィンクスも、手を前に突き出し、しっぽをくるりと巻いている。
スフィンクスの前にあるKFCの2階と3階にあるピザ・ハット店で、3つのピラミッドにスフィンクスを眺めながら、セブンアップをごくりと飲み干す。太陽が窓からさんさんと店内を照りつけている。
バスと地下鉄を乗り継ぎ、Attaba駅からイスラーム地区へと向かう。夜遅くまでクラクションが鳴り響き、店は開いている。
人々や車の活気であふれる中、コシャリ屋に入って、コシャリを食べる。ぽつりぽつりと客が来れば店のおじさんが対応するといった具合で、外の喧騒におかまいなく、店内はひっそりとしている。
帰り道、Attaba駅に向かう際に道を聞いた男性は、地下鉄の駅までわたしたちを送ってくれ、切符を買って手渡してくれた。
6月16日、17日に大統領の決選投票が行われる。7000年の歴史で初めての民主主義が始まってるんです、と彼は言った。
スーダンに入ってお酒が売られていない状況になってから、ビールを飲みたいという気分になぜかならない。欲しているのは、いつもジューススタンドだ。今夜はメロンミルク。まるでキャンディーカラーのお菓子のような甘さだ。
2012/06/04 23:37 |
カテゴリー:Egypt
朝に目が覚めると、タフリール広場から聞こえていた昨晩の掛け声がやや小さくなっていた。
宿の居間に座り、朝食をいただく。アエーシ・フィーノという細長いパンにバターやいちじく、それにゆで卵とチーズ、リプトンの紅茶が銀のトレイにのせられている。
日差しが降り注ぎ、開け放たれた窓からは涼しい風が吹いてくる。
外に出るとタフリール広場には国旗を携えた人がいて、地べたで売られている新聞を熱心に眺める若者たちがいる。
宿泊していたホテルの朝食はシンプルなエジプト朝食であるものの、お気に入りだった。それでもインターネットの使い勝手があまり良くなかったので、隣のNasser駅にある宿に移ることにする。
宿の近くには高等裁判所があり、その前でもまた抗議デモが行われていた。天秤のシンボルが彫られた建物の入口付近は赤や黒のペンキで落書きがほどこされ、ポスターが貼られている。
人々は手をつなぎ、国旗をふりあげる。年を重ねた女性も、声をあげている。
移動した宿のあるビルのエレベーターは、使われなくなって久しい。高層階まで階段で上る。
熱っぽさがぬけないので、昼は宿の近くのフルーツ屋でスモモと林檎とオレンジ、それにパン屋で揚げパンとなつめやしの餡をつめたスイーツを買い求めて、宿でかじる。
夜になると、涼しくなり、歩きまわれるようになる。近くの老舗カフェでは、水たばこを片手に、バックギャモンやトランプ、ドミノなどのテーブルゲームを楽しむ人で賑わっている。
商店の前ではずらりと男性が座り、祈りを捧げている。
食堂に入って、ターメイヤやサラダをはさんだアエーシに、フライドポテトと茄子のピリ辛揚げ、それに野菜のピクルス、トルシーをオーダーする。
エジプトでは黒人を見かけることはほとんどなく、色の薄いアラブ人がほとんどだ。いわゆるブラック・アフリカがスーダンの途中で終わったことを認識する。スーダンで、ちょうど両者が混ざりあっていた。スーダンで問題がおこっている背景の一部をかいまみる。
ここでは、黒いアバヤを着た女性と、洋服を着た男性が手をつないで地下鉄に乗ったりしている。男性と女性が手をつないで外を歩いていることをスーダンで見ることは一度もなかった。
商店で買い求めてきた大きな瓶に入ったマンゴージュースをごくりごくりとやる。
2012/06/03 23:05 |
カテゴリー:Egypt
朝方、列車がカイロ駅手前のギザに到着すると乗客たちはどっと降りた。冷え切った身体を抱え、ようやく座席に着き、一休みをする。
6時前にはカイロに到着する。駅に降りれば、暖かい。
Al shohadaa駅から地下鉄に乗り、宿のあるタフリール広場、Sadat駅まで向かう。Al shohadaa駅は、かつてホスニ・ムバラク駅と呼ばれていたが、その元大統領ムバラクの名をつけた駅は塗りつぶされ、新たな駅名に変わっている。
久しぶりのエスカレーターだ。マクドナルドにピザハット、ケンタッキーフライドチキンまである。
カイロには、古びたビルが数多く残っていて、宿はその上層階を利用していることも少なくない。その場合は、手動式の古びたエレベーターに乗るか、あるいは動かなくなったエレベーターを横目に階段で上がることになる。
今回の宿イスマイリア・ハウス・ホテルでは、まだ手動式のエレベーターが動いていた。古びたエレベーターのボタンを押す。ボタンを押しても、なぜか自分たちの階で停まらず、一つ上の階の中途半端な位置で止まったり、じっとしたりしている。そのうちに、思い立ったように、またわたしたちの目の前を通り過ぎ、一番下へと向かっていく。エレベーターのボタンを連打し、いくどかすれ違った後、運よく目の前に止まる。
宿のテレビの前には、宿泊客たちが集まり、真剣な面持ちでテレビを見入っていた。ムバラク元大統領の裁判が行われているのだった。
一人の男性がテレビから目を離さずに言った。
「今日はエジプトの歴史に残る日なんだ。」
そして、終身刑がムバラク元大統領に言い渡されたとき、窓の外から歓声が沸き起こった。
今日とった宿は、ちょうど昨年の革命時にデモの中心部となったタフリール広場に面していた。
しばらくして宿から広場に出ると、そこには既に人が集まっている。若者が肩車をされ、こぶしを振り上げる。それに周りも同調し、手をあげる。子どもも肩車をし、ピースをする。人々は携帯電話を取り出してその様子を撮影し、大きな機材をもったテレビカメラマンも街灯インタビューを行っている。
身体をはって、車を止める人たちがいる。
それでもまだ昼の間はいつもと同じように、店の角で祈りをささげる男性がいて、男性同士手をつなぐ人々がいて、造花をつけたジュースボトルを抱えながら売り歩く男性がいた。
近くのジューススタンドでタマリンドのジュースを飲み干し、そばの屋台でターメイヤと揚げ茄子、フライドポテトときゅうりやトマトのサラダをはさんだアエーシをオーダーする。
エジプトには、エジプト米とマカロニや短く切られたスパゲティ、それにさくっと揚げた玉葱やレンズ豆やひよこ豆をトッピングしてトマトソースをかける、コシャリと名の国民に愛されている料理がある。
昼食は、コシャリの有名店アブー・ターレクに行き、名物のコシャリをオーダーする。ビルそのものがコシャリ屋になっている老舗だ。
お米もパスタもソースも玉葱も豆も混ぜ合わせて、そこにチリソースやお酢をかける。お酢とトマトソースが、またよく合う。
外の暑さに比べて冷房がかかった店内は、冷え切っている。スーダンから続いた灼熱と砂埃に、昨晩の列車の冷房がたたって、どうにも熱っぽく、体調がすぐれない。
今朝の判決に抗議をするために、17時からタフリール広場に集まるように国民の間で呼びかけが行われているらしい。
17時も近づくころ、街には取っ組み合いのけんかをする男性たちがいる。
街の壁には、No SCAF(エジプト軍最高評議会)、Fuck SCAFと落書きがされている。
ジューススタンドでイナゴマメのジュースを飲んでいるうちに17時を過ぎ、タフリール広場には国旗をもった大勢の人々が集まってきている。
夜の19時を過ぎて、宿から外に出ようとすると、既に門の外に人が押し掛けていて、門番がゲートをコントロールしていた。
なんとか外に出てみると、外は既に人だかりで、熱気に包まれていた。怒りや悲しみに満ちた調子でテレビインタビューに応える人々がいる。前に進もうとしても、身体のあちらこちらを触られるだけだ。
街灯によじ登り、国旗を振る人がいる。こぶしをあげ、掛け声をかける。
全身黒い布で覆ったアバヤを着た女性たちも、同じように叫び、こぶしを振り上げる。
イスラエルや米国の国旗にばつ印をつけたカードを持つ人がいる。
エジプト国旗を身にまとう人がいる。
シリア騒乱でもアサド政権反対派によって掲げられている、1963年以前のシリア国旗を頭上に振り上げる人がいる。
夜も更けたころ、真っ赤な炎が人々を照らす。目の前の広場の様子を、宿のテレビが流している。
太鼓と手拍子、掛け声、口笛がいつまでも鳴りやまない。そして、時折、地の底からぐおーと湧き立つ声が鳴り、一層手拍子が強まり、太鼓はどんどんどんと鳴り続け、ひゅーと口笛が鳴る。
2012/06/02 23:40 |
カテゴリー:Egypt
宿の近くのジューススタンドでぎゅっと絞ってもらったオレンジジュースを飲んで一日を始める。
頭に白いターバンを巻いたおじさんの食堂に入り、豆の煮込みfuulにターメイヤ、サラダやパンがついたセットをオーダーする。スーダンと似たメニューであるものの、ターメイヤの豆はソラマメに代わり、パンは、スーダン国で一種類かと思われる平たいパンから、丸型パン、アエーシへと代わる。
徐々に気温があがるので、商店で水のペットボトルを買い求める。そのうえ久しぶりにアイスクリームを見かけたので、ついでにネスレ社アーモンド入りチョコレートとバニラのアイスクリーム「Mega」も買い求める。
昼間の太陽のもと、再びジューススタンドに駆け込み、今度はさとうきびジュースをぐびぐびとする。ジューススタンドの一番人気は、さとうきびジュースである。
店の並びには、スーダンで見ることなかった酒屋まである。
茶色の建物の並ぶ街の中、ルクソール神殿の前には、真っ赤な看板を掲げたマクドナルドが派手に建ち、ロナルドが片手をふりあげている。
カトリックの教会も、ある。
アムン大神殿の付属神殿として建てられたというルクソール神殿には、ヒエログリフがぎっしりと刻まれたオベリスクが一本すらりとたっている。その右側のオベリスクは、パリのコンコルド広場にあるという。
塔門の前には、巨大なラメセス2世像が腰をかけている。そこから、かつてはカルナック神殿とつながっていた参道にスフィンクスがずらりと並んでいる。
神殿を眺めていると、観光にやってきたというエジプトの学校の先生集団に囲まれる。あちらこちらから一緒に写真を撮ってほしいと、肩を組まれる。陽気な先生たちである。
ルクソール神殿にある、アブーイル・ハッガーグ・モスクに入る。そこは、ルクソール神殿そのものの柱を残したまま、木造のモスクと融合されている。
モスクの中からは、神殿内部の、ヒエログリフやレリーフの刻み込まれたラメセス2世の中庭やそこに立ち並ぶ大きな柱を眺めることができる。
イスラム教徒にとっての休日である金曜の午後、祈りを捧げる人々、ゆっくりと昼寝をする男性や家族連れ、おもちゃの銃をもった子どもたちがいる。集まっていた信者の人々に、ターメイヤのはさまったパンを差し出され、ごちそうになる。
そこから、やや離れた場所にあるカルナック神殿に向かう。ルクソール神殿からバスで行こうと思っていたら、サングラスをかけてバイクに乗った男性が、乗せていってくれると言う。お言葉に甘えて、後部座席に二人またがり、ルクソールの町を疾走する。
カルナック神殿は歴代の王が増改築を重ねてできた複合施設。中心はアメン大神殿で、入口前にはスフィンクスがずらりと並んでいる。なにしろ大きな神殿だ。
ナイル川に沿う道を走るバスに乗って、ルクソール神殿近くまで戻る。エジプトの最近の混乱によって旅行者が激減しているようで、ルクソール神殿もがらりとしていて、馬車駐車場には馬が集まり、馬車乗りおじさんたちも暇そうに客引きをする。
暑さから逃れるため、冷房の効いたカフェ、Snack Timeでスプライトをオーダーする。ルクソール神殿の向こうに、夕日が沈んでいく。
今日はこれから列車でカイロに向かうので、水のペットボトルを買い、駅前のEl Hareefレストランで、細長い肉のかたまり、コフタをパンにはさんだものを買い求める。
同じ店で幾度も大きな水のペットボトルを買うものだから、店員もこちらの顔を覚えるほどだ。それほど、水をごくりごくりとやる。
ルクソールからカイロまでの列車のチケットは、窓口に行っても「いっぱい」だと言われていた。ただ、列車に乗ってからなら買えます、それで問題ない、の一点張りだ。
しかも、列車の時刻を聞いても、窓口の担当員、それにインフォメーション・センターの受付の人々、みなそれぞれに違う答えを返してくるものだから、一体何時にカイロ行きの列車が出るのか、てんで分からない。
とにもかくにも、ルクソール駅で停車していた列車に乗ってみる。座席はまだ空席が目立ち、2等車の空いている席に腰掛ける。
19時にはがたりと発車をした。車内は冷房が効いていて、涼しい。快適にすぎる。コフタをはさんだパンに、添えられていたサラダやペーストを加えて、ほおばる。
心地よさにつられてうとうととしていると、途中で多くの乗客が乗車してきた。これが、チケット売り場で言われた「いっぱい」の意味だった。
あっという間に座席は埋まり、指定座席を取れていない仲間たちと、席を立つこととなる。
既に通路では立っている人もいて、わたしたちはわずかなスペースを求めて、列車を歩く。
車両最前列の乗客の足元にわずかのスペースがあった。人気スポットでもあるようで、わたしたちも男性二人の足元にお邪魔することにする。
二人は、ソーシャル・ワークを学ぶ大学院生と教授だった。足元でうずくまっていると、Dairy milkのチョコレートバーやファンタ・オレンジをどうぞと教授に差し出される。
夜中の1時半を過ぎても教授と学生は議論を続け、教授はそのうちに羊肉の入ったボリュームたっぷりのパンをわたしたちに差し出し、自分も大きなそれを口に放り込む。
やがて車内はがんがんに効きすぎた冷房で冷え切ってくる。ぎゅうぎゅうのすきまに脚を折りたたみ、ただじっとうずくまる。
なかなかに眠れない。
2012/06/01 23:16 |
カテゴリー:Egypt
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