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2012年01月

日本という国

ハンガリー人の男性は、言う。

「友だちで熱狂日本ファンがいるんだよ。僕に日本人の友だちができたなんて言ったら、すごく嫉妬されそうだ。友だちは、日本に行きたくて行きたくて2年必死に働いてお金をためて、いよいよ日本に行こうとしたところ、あの地震がおきて。それで、日本に旅行じゃなくて、ボランティアで行くことにしたんだ。日本は、最高だって言っていたよ。」

日本を回ったことのあるイギリス人男性は、言う。

「日本は島国で、建築も文化も、世界のどこにもない国だと思う。高層ビルに、伝統建築、最新電子機器、寿司に大仏。東京も、京都も、ほんとうに特別な街だよ。」

メデジンで働くボゴタ出身のコロンビア男性は、言う。

「今まで中国やインドに数年住んだことがあるけれど、日本は最後の、最後のとっておきの目的地なんだ。」

巨大岩とカラフルな町 – Piedra de Penol / Guatape / Medellin, Colombia

メデジンに行ったら、「岩はどこだ」と周りの人に聞いて、そこに行ったほうが良い –
カルタヘナで出会ったアメリカ人女性に、そう言われていた。

その「岩」とは、高さ220mの一枚岩、Piedra de Penolのことである。

今日もココナッツの入ったグラノーラとコーヒーをいただいてから、出かけることにする。Piedra de Penol経由Guatape行きのバスが北バスターミナルから出るので、メトロに乗って最寄りのCaribe駅へ行く。

駅近くには、現在のメトロの路線と並行して、かつて使われていたのだろう線路が雑草に覆われ、駅舎が黒く放置されている。

バスカウンターがずらりと並ぶ中から、Guatape行きのバスを出しているSotrasanvicente & Guatape La Piedra社を探し、チケットを購入する。

定刻9時半を5分ほど過ぎて、バスは出発する。途中、豚の積まれたトラックと走りながら、山道を進むこと2時間ほど、湖の向こうに突如、GIと大きく白字で書かれた巨大な黒い岩が現れる。

黒く見える岩も近寄ってみてみると、岩肌に、白い線がうっすらと入ったり、草花や苔が生えていたりする。

岩は花崗岩、石英、長石などで構成されていて、火山噴火によってできたという説もあるという。それを今から25年ほど前に造られた湖が囲んでいる。岩には、じぐざぐにこしらえられた659段の石の階段が設置されている。

半分ほど登ったところに、マリア像と、サンタ・ベルナルディタ像が向かい合わせに置かれている。階段から針金がぴょこりと飛び出していたり、今日も岩に金属を埋めて工事をしている男性がいるなど、おっかないのも30分ほど、岩の上にたどり着く。

岩の上には思いがけずレストランや土産物屋があり、音楽まで流れている。さらに上に設けられた展望台を上がると、360度、はるかかなたまで辺りを見渡すことができる。オレンジ色の蝶々が舞い、鳥は下を飛んでいく。

木々があふれる緑の土地に湖が入り込み、島々が浮かんでいる。それを橋がつないでいく。時折通る船が湖に曲線を描き、町に影をおとす雲が動いていく。

岩の上ではボゴタで司祭をしているという男性と女性二人に一緒に写真を撮りたいと話しかけられ、また階段途中でも同じように話しかけられる。こちらが日本人だと分かると、絶賛の嵐である。マンゴーまでごちそうになり、岩から降りる。

岩から歩いて1時間ほどいったところにあるGuatapeという町へ、ヒッチハイクをして行く。Guatape在住の男性が、かつてのトヨタのクラウン車でわたしたちを運んでくれた。

Guatapeに着いてまもなく、ホテルEl CastilloのレストランでBandeja Paisaをオーダーする。困ったら、セットのBandeja。目玉焼き、フリホーレスにライス、フライドポテト、薄切りバナナ揚げにサラダのセット、そして今回はお勧めされた豚肉グリルにする。

町の中心の教会とそれに面した公園を眺めながら、食事をいただいていると、食べ終わるころに雨がぱらりぱらりと降ってきた。どうやらここ最近は、午後に雨が降る。

そのうちにざあざあと本降りになる。

Guatapeの町の家々は、ピンク、茶色、水色、オレンジに黄色と色があふれている。市の建物でも、ピンクや黄色、青色や緑なのだ。家々にはそれぞれ羊や楽器、インディアンや鳩、キリンやパン屋、教会や花や壺、車などが描かれている。ダムを描いて水の流れを書いた家もある。

それぞれ好きな柄を壁に描くのだという。ある家庭にとっては、それが名前からのモチーフであり、ある人にとっては職業からのモチーフ、ある家庭にとっては、好みによるモチーフである。Zocaloと呼ばれるそのモチーフは、粗雑に書かれたものもあれば、繊細に描かれたものもあって、とてもかわいらしいのだ。

すっかり雨も止んだ。

17時半に再びバスに乗り込んで、メデジンに向かう。2時間ほどで、広く橙色の灯りが散らばるメデジンの夜景に戻ってくる。

宿の近くの9時半まで開いているスーパー、exitoをすっかり気に入り、ソーセージやきゅうり、トマトとチーズ、ナッツとパンを買う。飲み物は、メデジンのラム、Ron Medellin Anejo3年もののボトルとコーラを買って、ラムコークを作ることにする。

Poblado駅から丘に向かっては、高層ビルがいくつもそびえている。そこから放たれる光は、橙色ではなく、白いのだった。

コロンビアの本気。 – Medellin, Colombia

メデジンは、パブロ・エスコバルにより創立されて主に1970年、80年代を通して活動していたたメデジン・カルテルという麻薬犯罪組織でその名を知られており、治安の悪さで名高い町であった。ところが、彼の死も影響し、かつてより現在はずいぶんと安全な町になっている。

朝はexitoで買っておいたココナツの入ったグラノーラにミルク、パパイヤとコーヒーを食べる。

メデジンには、コロンビア唯一のメトロが走っており、ケーブルカーにも乗ることができる。Poblado駅から、ケーブルカーの始発駅、Acevedo駅へ向かう。メトロは濁った川沿いに走り、川にはところどころゴミが山積みになっている。小さなボートが沈んでおり、男性が腰までつかって、それを動かそうとしている。川に崩れ落ちるような家もある。

メトロでは一枚一枚切符を購入して乗車することもできれば、割引特典のあるカード、Civicaを使って乗車することもできる。カードはSan Antonio駅の窓口で購入できるが、長い列ができている。

Acevedo駅からSanto Domingo駅までのケーブルカーK線に乗って、Parque Biblioteca Espaniaという図書館まで向かうことにする。メデジンのいくつかある図書館は、建築面からも注目されているのである。

茶色い煉瓦づくりの家々やモノクロの大きな写真が屋根に貼られている家々を眺めながら、ケーブルカーは上がっていく。

同じ車両に座ったNancyさんは、San Antonio駅からさらにバスでいったところに住んでいて、今日はケーブルカーのPopular駅に住む家族に会いに来たのだという。日本人は頭が良いと繰り返した。

約15分ほどでSanto Domingo駅に到着する。Giancarlo Mazzanti氏設計の、巨大な黒いParque Biblioteca Espaniaは、木々の緑と煉瓦造りの家々の茶色の間で異様な存在感を保っている。

この丘の上のほうはかつて治安がとても悪かったという。バスや5年ほど前にできたこのケーブルカーが走っていなかったころ、丘の上から下に下がるのは大変困難だったのである。だから丘の上に上がってきた者を襲うしか生きる術がなかったのだという。

丘の上まで上がってくる人は住人以外ほとんどいなかったが、このケーブルカーにより、丘の上に住む人々も容易に下ることができ、治安がずいぶんと改善されたのだという。

それでも、閑静な住宅の並ぶPoblado駅と比べると、この辺りはどこか殺伐とした雰囲気をかすかに残している。

そんな中でも制服を着た子どもたちは遊び回り、デザインしつくされた図書館が丘の上に建ち、明るくさわやかな空気を室内に取り込んでいる。

建物は、Biblioteca、Formacion、Auditorioに分かれ、書籍が閲覧できるだけでなく、インターネット接続のコンピュータが並び、写真などの質の高い展示も行われている。

じゃがいもとひき肉を揚げたボールと、ライスとひき肉の入ったエンパナーダを屋台で買い、再びケーブルカーに乗って、更に山の上に位置するArvi公園と向かう。

ボストン在住のコロンビア人4人組と同じ車両になった。Parque Biblioteca Espaniaはスペインからの寄付金により賄われたこと、その建築とケーブルカーの設置により辺りの治安が改善したと言った。

Arvi公園の駅まで約20分、強い雨が降り始めた。煉瓦づくりの家々が、資材をつぎはぎして作られた家にかわり、その内に、辺りは木々に囲まれる。森は霧でおおわれ、小道は泥道となり、黒いビニール袋をかぶった男性が馬に乗り、森に入っていく。

Santo Domingo駅に戻ってからは、町の中心地であるBerrio公園までバスに乗ることにする。

ケーブルカーではまっすぐに下っていくところはをバスは丘に沿ってぐねりぐねりと曲線を描いてゆっくりと下っていく。道に沿って並ぶ小さな商店をながめながら、20分ほどで丘を下り、30分ほどで町の中心にたどり着く。

Berrio公園にはグレーと褐色の格子模様のPalacio de la Cultura Rafael Uribe Uribeがあり、またメデジン生まれの画家・彫刻家フェルナンド・ボテロの23ものふっくらとしたブロンズ像が雨に打たれている。

ここPalacio de la Cultura Rafael Uribe Uribeの館内では、歴史ある建物や重々しい金庫などが見られると同時に、現代アートの展示も見ることができる。去り際に、呼び止められ、建物が描かれたポスターを差し出された。

町のメイン通りは、メデジンの中心地らしく、雨でも人々で賑わっている。その喧噪のなかに佇むベラクルス教会では、17時から静かにミサが始まった。

Palacio Nacionalを改装したモール、Centro Comercial Placionacionalでは、人々がバルセロナ対リアル・マドリードの試合画面に集まり、一喜一憂している。JAPON(日本)と大きく建物に書かれたモールでは、偽ブランドものから電気製品、雑貨小物類やフィギュアまで所狭しと並んでいる。

その雑多な通りを抜けると、ただ一本の道を挟んで建築物としても著名な図書館、Biblioteca EPMが凛と建てられている。

そこから、光の公園であるCisnero広場、そして東側のLibertad広場や政府機関の建物を中心にPlaza Mayorまで広がる一区画は、デザイン建築が立ち並び、くらくらとするほどだ。UNICEFも、WWFもそこにがんがんと広告を打ち出す。

一つの建築物に驚いては、視界に別の驚く建築物が見えてくるといった具合だ。
そしてその向こうの丘には昔ながらの橙色の灯りがちりばめられ、教会も見える。

コロンビア人の、コロンビア政府の、メデジン政府の本気が、ここにある。

その強気の建築物に圧倒されて心を奪われると同時に、かつてそこに存在していたはずの小さな家々やそこに住んでいた人々を、思い浮かべる。

すっかりふらふらさせられていると、テレビ局で働いているという機材を抱えた男性が、ダウンタウンを歩くときは持ち物に気をつけなさいとアドバイスをくれる。

帰りがけに、レストラン、メトロ・サボールでBandeja con polloをオーダーし、近くの店からAguilaビールを買っていただくことにする。この辺りでよく食べられているセット料理で、目玉焼き、フリホーレスにライス、フライドポテト、薄切りバナナ揚げにサラダのセット、それにチキンである。

メデジンは、その本気に後押しされて、今後も変わり続けるのだろう。

■IDEA
www.idea.gov.co

■Alcaldia de Medellin
www.medellin.gov.co

■epm
www.epm.com.co

■comfama
www.comfama.com

メデジンに驚く - Medellin, Colombia

朝6時半ころに目覚めると、既に夜は明け、山々が霧に包まれている。Santa Rosaで一度朝食の休憩がありバスを下車すると、身震いするほど、寒い。

Santa Rosaからメデジンまでの道のりは緑があふれている。ゆるやかな丘に牛たちが放牧されており、ところどころに小屋があり、家々をつなぐように小道が伸びている。

窓の外では牧歌的な風景が流れ、車内のテレビ画面の映画ではストリップダンサーが踊っている。

10時を回ったころ、バスは無事にメデジンに到着する。Santa Rosaほど寒くはなく、ほっとするのも束の間、丘の上のほうまで茶色の家々がはるか遠くびっしりと並ぶメデジンの景色に息をのむ。

メデジンはコロンビアで唯一メトロが通っている町でもある。大きなバスターミナルのあるCaribe駅から、宿の多いPoblado駅へとメトロに乗る。

地下鉄は新しく、快適そのものである。町の中心であるParque Berrio駅を通り、約15分ほどでPoblado駅に到着する。Calle 10ホステルという、新しい宿に部屋をとり、勧めてもらった近くのレストランにお昼ご飯を食べに行く。

La Sazon de Mariaという、朝食と昼食のみオープンしているというそのレストランは、看板もなく、外からはレストランだと分からない。それでも、中には素朴な木のテーブルと椅子が置かれ、かわいらしい絵がかけられていて、センスの良いカフェのような店である。

Mariaさんという女性が料理を作るそのレストランは開店12年というが、どこも真新しい。本人はきっとこのセンスの良さに気付いていない、ふっくらとしたかわいらしい女性である。

メニューはなく、口頭で今日あるものを尋ねる。とうもろこしとミルクのスープに、付け合わせの赤く甘いお菓子をまず差し出された。そして、オートミールのジュースに、トウモロコシでできたarepaというパン、牛肉を焼いたものにブロッコリのサラダ、フリホーレスにバナナの薄切り揚げ、そしてモツであるモンドンゴスープがついたセットを注文する。

Poblado駅付近のPatio Bonito地区には小川も流れ、それに沿った道には落ち着いた佇まいの家が並んでいる。デザイン家具やオリエンタル雑貨、仏像などが照明に照らされてショーウィンドウに飾られている店舗が並び、その様子は東京の青山辺りの雰囲気である。そのうえ駅近くにはexitoという巨大スーパーマーケットチェーンがあり、住み心地は抜群なのである。

てくてくと歩いていると雨がざあざあと降り始め、外は雷の音で包まれた。

そこからほど近いLleras公園近くのZona Rosaは現代的なレストランが集まっていて、イルミネーションも鮮やかに夜まで賑やかな一角である。スポーツバー、タイ料理、メキシコ料理、アラビア料理に日本料理まである。

Burguesasというハンバーガー屋に入り、メキシカン・ハンバーガーとBBQハンバーガーのセットにスプライトやQuatroというグレープフルーツ・ソーダをオーダーする。
夜も23時を回るが、辺りの音楽は一向にやみそうにない。

宿に帰る道の向こうには、橙色の灯りが静かに丘全体に点々と広がっていた。

あぶない、のバス – Cartagena, Colombia

今朝もオールブランとミルクをテラスで食べて出かける。

元サンフランシスコ修道院で現在はRafael Nunez大学となっている敷地を訪ね、その後近くのTercera Orden教会に入る。青く塗られた壁、金色の模様の真ん中にイエス・キリストがはりつけになっている。

地元の人々が祈りを捧げているものの、オープンに開け放たれた教会がいくつも町に存在していたメキシコなどとは違って、カルタヘナ旧市街の歴史ある教会の多くが、観光客に向けたオーディオツアーなどを設けていて一般にオープンになっていない。

今日はすっかりと暑い。

コロンビアではジューススタンドが路上に数多く並んでいる。

時計台近くに、レモネードを透明のケースにたっぷりと入れて売っているおじちゃんがいる。スタンド下には果物が山積みになっていて、レモネードのケースには大きな氷の塊が浮かんでいる。おじちゃんは銀の柄杓でそれをガラリとかき混ぜ、コップいっぱいにレモネードを入れて無表情にこちらに差し出す。

そばではパタコンというバナナフライをつぶしたスナックのスタンドに列ができている。この店は新聞にも載ったようで、その切り抜きが壁にかけられている。バナナを切って一度揚げてから、木の板でそれをつぶし、赤いソースにくぐらせて再度揚げる。

塩味のつよいチーズの塊を付け合わせる。
バナナ揚げの作業をおばちゃんが淡々と続け、それを列に並ぶ人々がじっと見つめ、スタンドで立ち食いをする人々が眺める。さっくりと揚げられた味の薄いパタコンに、塩味のチーズが効いてくる。

カルタヘナにはカリブ海に面して大型ホテルの並ぶ半島部、ボカグランデがあり、その先端にはヒルトンがある。Parque de La Marinaから出ているバスに乗って、ヒルトンに向かうことにする。

裕福なコロンビア人や海外チャーター船顧客などのカルタヘナ宿泊先となっているボカグランデには、バーガーキングもマクドナルドも、CROCSもロクシタンもカルバン・クラインも、ある。でも、その前にはジューススタンドも、コーヒースタンドもあって地元の人たちがのんびりとしている。

少し手前のHOTEL CARIBEでバスを降りてヒルトンまで歩いていくと、ところどころでマンション、要らないですか?と声をかけられる。

軽装で歩いていて、マンションをぱっと買える人もいるのだろうかと思っていたら、どうやら100,000ペソほどで1日貸しもしているらしい。

白い無機質な建物に大きく青字でHiltonと書かれたそのホテルの外観はまるで病院のようだが、中に入ると冷房が効いていてビジネスセンターもある。ここにもコロンビア国旗のほかにカルタヘナの旗が掲げられている。

ホテル近くのカリブ海は茶色く濁っているが、太陽の日差しできらきらとしている。小さく黒い鳥がとまり、カップルが泳ぎ、地元の子どもたちはきゃっきゃと海に走っていき、時折ジェットスキーが勢いよく進んでいく。

海に面したレストラン、Brisas del Caribeに入り、昨晩NH Galeriaで勧めてもらったMote de Quesoというスープと、ココナッツライス、パタコンをオーダーする。Mote de Quesoにはチーズをちぎったもの、じゃがいもやタマネギが入れられ、ココナッツライスにはしっかりとココナッツの風味が香る。

バスで再びParque de La Marinaに戻る。運転手も途中スタンドでフルーツジュースを買ってそれを片手に運転する。なにしろ昼のカルタヘナは暑いのだ。

わたしたちもボリバール広場近くのLoncheriaボリバールに立ち寄り、トゲバンレイシとビワのフルーツジュースを飲む。氷とかき混ぜられたクリーミーなフルーツジュースは、身体をうまく冷やしてくれる。

次の目的地であるメデジンへの夜行バスまでにまだ時間があるので、サン・フェリペ城を見に行く。Getsemaniにある宿からラグーンにかかる橋を渡って、向かう。ラグーンの先にはクレーンがいくつも見え、工事中の建物がある。

城は、標高40mの丘に建てられた城塞で、1536年から20年近くかけられてつくられた。強固な造りで知られており、トンネル状の通路は長く、迷路のように複雑に組まれている。途中に真っ暗になり前が見えない箇所もある。

城の上からはカルタヘナを一望することができ、左手にボカグランデ、中央に旧市街、その向こうにカリブ海が見える。後方には、Popa修道院が150mの丘の上にちょこりと佇んでいる。

真っ赤な夕陽が、大きくはためくコロンビア国旗を照らし、かすかな余韻だけを残してカリブ海に沈んでいく。徐々に暗くなる町にぽつりぽつりと灯りがついていく。

カルタヘナの旧市街からメデジンまでのバスターミナルまでは、遠い。この時間にバスに乗るのはスリもたくさんいて危ないからタクシーで行ったほうが良い、交通渋滞がひどいから時には2時間ほどかかる、タクシーで行かないと間に合わない、という人もいれば、危ないなんてとんでもないという風に笑う人も、朝にはある渋滞も夕方にはもうない、という人もいる。

バスターミナルへ向かうバス停でタクシーに乗ろうか思いあぐねていると、コロンビアで英語を教えているという米国人女性二人とカルタヘナ出身コロンビア人男性が、危なくもないし、1時間くらいでバスターミナルに到着するというので、教えてもらったバスに乗り込み、向かう。

バスチケットの予約を頼んだ宿の女性には危ないからタクシーで行きなさいと言われ、身構えて乗ったバスでは、早々に席を譲られ、わたしたちの大きな荷物の移動に乗客が手を貸してくれる。チケット販売の男性も乗客に心を配り、席が空けば立っている乗客に手招きをして、座らせる。

すいすいとバスは進んだものの、40分ほどたったところで、別のバスに乗り換えなさいと言われ、指示に従う。

結局1時間ほどで無事にバスターミナルへ到着した。

各バス会社のカウンターが並ぶバスターミナルには、レストランもいくつかある。その中で、La Gran Paradaというレストランを選び、ハンバーガーとフライドポテトをオーダーする。

定刻9時半、バス乗車位置へと向かう。ちょうど同時刻にメデジンに向かうbrasilia社のバスが横並びに停車している。人々は列に並び、ゆるやかなボディチェックを受ける。

カルタヘナからメデジンまでのバスは極寒だという事前情報に基づき、長袖の上着に毛布を抱えて乗車する。確かに冷房が効きすぎるくらいに効いている。

定刻を20分ほど過ぎたころ、バスはゆっくりと発車する。隣に座ったカルタヘナで店を経営しているという女性は、発車時に目の前で十字をきって、眠りにつく。