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コロンビアのお医者さん – Cali, Colombia

朝食は、昨日Merced教会近くの台車のおじさんから買ったマンゴーに、Av 6N沿いのMetro Panというパン屋から買ったパンをトーストして、温めたミルクにひたしながらいただく。

山の上に立つ十字架を眺めながらCalle5の歩道橋を渡り、白とクリーム色の市立劇場を通り、国立銀行が管理する黄金博物館や音楽ルームなどの入ったカルチャーエリアを抜けると、Inmaculadaチャペルやサンフランシスコ教会のある広場へと出る。

広場では、太鼓とドラムを背中にしょってギターをひきながら足でリズムをとって熱唱する男性がいて、それを数人が腕を組みながら聴いている。

れんがを主に使用したInmaculadaチャペルは、その外観とは異なり、白と水色を基調としたすっきりとした内装で、中では幾人かが祈りを捧げている。

辺りでは、新しい建物と、ポスターのはがれた古い建物が道をはさんでたっている。その間をスーツ姿の男性が並んで歩き、またある男性は携帯電話を片手に歩いていく。

昨日と同じように、Caycedo広場を通り、薄いグレーの、装飾のほどされたErmita教会を眺めながら茶色に濁ったカリ川を渡り、Av 6Nをまっすぐに進む。

13時半に今日の診察が終わるというカルロス先生に会いに、病院へと急ぐ。

夜はイルミネーションで明るかったAv 6Nも、昼は人通りが少なく、落ち着いている。

先生の働くClinica de Occidenteに到着すると、今日も30人以上を診察した先生が笑顔で迎えてくれた。新しく清潔で、設備の整った診療所である。

先生は、85年からメキシコに住んで歯医者になるための勉強をしていたが、大地震に見舞われ、知り合いであった医者に中国医療について話を聞き、そのまま中国に渡ったのだという。

その後針治療の専門医となり、リハビリや神経科、整形外科の医者とともにClinica de Occidenteの1フロアを購入し、現在は心理科の医者も含めてFundalivioとして治療をしている。

コロンビアの健康保険制度には国民も不満をもっているようで、私立病院の場合にはコネクションのない場合には診察費用を全額負担をしなければならないこともある。

実際に先生の治療を受けるためには初診が100,000ペソ、二度目は40,000ペソと費用がかかる、現地の人々にとっては高価なサービスなのである。カリでの平均月収は550,000ペソで、その内の100,000ペソは住宅費にあてられ、1回の外食が4,500から6,500ペソだとすると、人々の生活は厳しいのだと言う。それでも先生の患者のほとんどはコロンビア人だそう。

そんな話も聞きながら、バスで1時間ほどのBugaで医者をしている奥さんのことも話をしてくれた。その先のTuluaにも先生は診療所をもっており、週の半分はそちらで治療をし、奥さんと会ったりしているのである。

今夜も奥さんに会ってその後Tuluaに行くというのだが、一緒にビールを飲もうと、Club Colombiaに、今日は黒ビールまでごちそうになって、すっかりふらふらしてしまう。

エクアドルのガラパゴス諸島に旅行で行ったことがあるという先生から、エクアドルについてのメールをもらうことにしてお別れをした後、ふらふらのまま、レストランKikiricoに入る。

ここコロンビアにはいたるところにKokorikoという1969年生まれのチェーンファーストフード店があるのだが、その名前と、よく似ている。日替わりメニューであった、揚げバナナにフリホーレス、トマト、ライスといった定番メニューに、ハワイアン風パイナップルをあわせたチキンやとろりととろける牛タンとサンコーチョとレモネードがついてくる。

Caycedo広場には多くの人が集まり、サンペドロ教会ではミサが始まり、先ほどまで扉の閉まっていたサンフランシスコ教会も開いている。

歩道橋のふもとで売られていた、見かけが柿に似たチョンタドゥーロを買い求める。塩と蜂蜜をかけてもらいながら、そのヤシ科の植物について聞いていると、隣にいた男性が文字が書きやすいからと自身のボールペンをわたしたちに手渡して、そのまま人ごみへと消えていってしまった。

宿からほど近い丘の上にあるサン・アントニオ教会に行く。丘からは街を一望することができる。子どもたちも、カップルも、家族連れも、教会を訪ねる人も、犬を連れた人も、丘に集まってくる。教会では一人のシスターがそっとろうそくを立てる。そしてもう一人のシスターは日の暮れゆく丘で女性と話をしている。

丘に座り、カリの町を眺める。
月はほっそりと教会の上に浮かんでいる。
外れた音程でギターをひいて歌う若者たちがいて、犬は元気に駆けてゆく。
街には徐々に明かりがつき、山の上の十字架も光がつき、浮かび上がっている。
チョンタドゥーロはその見かけによらず、芋のようにふかふかとしていた。

これからコロンビアを離れ、エクアドルに向かう。
「唯一のリスクはコロンビアを離れがたくなることだ」 –
その通りだった。

宿から鞄をとり、タクシーに乗り込んでバスターミナルへ向かう。花屋以外は申し合わせたかのようにぴしゃりとシャッターを閉じている。地面に落ちた紙切れが風で舞う。黄色いタクシーが延々と道沿いに並んでいる。そんな殺風景な風景が10分ほど続き、ターミナルに到着する。

Transipiales社の11時半のチケットを買う。乗客一人一人の顔は撮影した後、15分ほど遅れて発車したバスは、警察の力が届かず治安が他地域と比較して良くないといわれる国境付近へと進んでいく。