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2011年11月

優しい、オアハカ – Oaxaca, Mexico

バスは6時前にはオアハカに到着した。

メキシコのコーヒー屋Ruta Cafeの温かなコーヒーを飲み、ウォルマートで買っておいた林檎をかじっていると、バスターミナルは朝焼けにおおわれた。

泊まろうと思っていた市内の宿、Don Antonioまでバスと徒歩で向かう。石畳の通り沿いにカラフルな家が並んでいて、通りいっぱいにタクシーが並んでいる。いったい、どうやって動かすのだろう。運転手同士でおしゃべりをしていて、わたしたちにもおはよう、と次々と挨拶をしてくれる。

メキシコ・シティには大都会らしい荒っぽさがあったが、
ここは穏やかな街だった。

Don Antonioで知り合うことのできた世界一周をしているご夫婦に
お誘いをいただいて、お昼をご一緒することとなった。

宿の近くのJeronimo’s cafeteriaで
ビステク・アラ・メヒカーナというメキシコ風味ステーキを注文する。
Horchataというお米のジュースもついてくる。
味が、洗練されている。

ご夫婦も世界一周予定であるが、
この1年間でメキシコ、グアテマラ、キューバ、カナダと行き、
また今メキシコに戻ってきたのだそうだ。
これから南太平洋の島々を回り、オーストラリアで働いた後、
世界をぐるりと回るのだそう。
自由な、大きな曲線。

オアハカ近郊にはティアンギスと呼ばれる青空市がある。水曜日にはオアハカから北西に20kmほど行ったところにあるビジャ・デ・エトラで市場が開かれているということで、行ってみることにする。

バス停であるコレクティーボ乗り場を町の人に尋ねつつようやく見つけ出してビジャ・デ・エトラにたどり着いた。
早速市場をうろうろとしていると店を広げているお兄さんがピザ生地の上にワカモレとチーズののったものを差し出してくれた。
ワカモレ、もう大丈夫。

お兄さんの前には日本でも見かけるようなバナナに加えて、
黒いバナナや黒紫色のバナナがあり、それを房ごと買っていく人々がいる。
恩返しにと、その黒いバナナを買おうとすると、今度はそれをくれると言う。
黄色いバナナとは種類も違うようで、
色合いから熟されているのかと思っていたら、
逆にまだ少し未熟のような味がした。

市場では、バナナの他にも、じゃがいも、にんじん、にんにく、さやいんげん、ズッキーニなどの野菜、
魚の干物や西瓜などのフルーツ、まんまるとしたパンに加え、
見たことのないミニトマトや分裂しているようなトマトも売られている。

薔薇に、金魚もあれば、雑貨もある。
子どもも店のすぐそばの道端で寝ていれば、
その横をたくさんの犬が行き交っている。

子どもとかくれんぼをしたり、
楽器やバスケやバレーボールの練習をのぞいたりする。

市場の賑わいから一転して
静けさに包まれていた教会では夕暮れの中で一人男性がぼんやりと座っていた。

とっぷりと日が暮れて、辺りは暗くなり始める。
オアハカに戻るバスが1時間に1本程しかないと言われ、
村の人も使っているらしい乗合いタクシーを使うことにする。

オアハカの丘に点在する家の橙色の灯りは
まるで星のように見えてくる。
フォルティンの丘のプラネタリウムに程近いエルミラドルで食事をしに、そこまで坂道を歩いて行く。

上品な服装をまとったおじいさんとおばあさんが、
ときどき触れ合いながら、ゆっくりと坂を登っていく。
ぽつりと灯りのついた店では、家族が賑やかに話をしている。

エルミラドルでは、オアハカ名物のチーズや肉、ソーセージの入った
ボタナ・オアハケーナとビクトリアビールをいただく。
オアハカは、優しい。

ハラペーニョと不思議な肉 – Mexico City, Mexico

宿から、書籍や海賊版DVDなどがずらりと売られているBalderas通りを歩き、小型バスであるペセロに乗ってチャペルテペック公園に向かう。

ペセロの乗り場らしきところで待っていたおばちゃんもチャペルテペック公園行きに乗ると言う。「バスが来るのが遅い遅い」と待ちながら、乗車すればまたすぐに降りてしまったことからも分かるように、このペセロは市民の足となっているのだろう。

公園の前では小鳥を使って勝手に占いを始めるおじちゃんがいたりする。
そして言う。「はい、10ペソ。」

すっかりお腹がぺこぺこになっていたので、公園近くの屋台で
美味しそうなトルティージャ・グランデをオーダーする。

肝のような肉のかたまりにライス、トマトやオニオンなどをのせた
ボリューム満点のトルティージャで、
その上、屋台に並べられたワカモレなどのトッピングは自由にどうぞ、と言う。
作り手は、人の良さそうなお兄さん。

ワカモレ。大好き。
お兄さん、ありがとう。
大口を開けてぱくりと食べる。

すると、そこにはハラペーニョ(青唐辛子)がたっぷりと入っていた。
とたんに舌はじんじんとし、頭がくらくらして、
意識が遠くなる気さえする。
隣の屋台にその文字が見えた「チョコレートミルク」をすかさず注文し、
大きすぎる容器に入れられたそれを一気に飲む。
変わったチョコレートの味がするが、気にしている余裕は、ない。

肝のような肉のかたまりも
どうもおかしな味がしていることが分かってきたときは、
身体の中ですでに不思議な動きが起こっていた。

あの小鳥は、数分後のこの状態を予測できていたのだろうか。

チャペルテペック公園のリスはひとなつこく、かわいらしい。
けれど動き回るリスを前に
こちらはすっかりぐったりとなってしまった。

それでもメキシコ革命勃発期に国を独裁したディアス大統領夫妻の公邸として知られる
チェペルテペック城までゆっくりと散歩をする。

メキシコ・シティは標高2240mにあり、
盆地で空気も悪く疲れやすいのだと聞いていた。
だから、ゆっくりと。
城からはメキシコ・シティを見渡すことができる。
教会も高層ビルも共存している。

ハラペーニョのご機嫌を伺いながら、メトロに乗って
スカロ広場近くのメキシコ独立の舞台となった国立宮殿を見に行く。

ここもアステカ時代のモクテスマ2世が居城としていたところを
アステカの征服者コルテスが破壊して、
植民地の本拠として宮殿を建てたものだ。

この宮殿には、フリーダ・カーロの夫でもあり、壁画家でもある
ディエゴ・リベラの最大の壁画「メキシコの歴史」があり、
アステカ時代から現代メキシコまでが描かれている。

食物を作り、布を染め、穏やかに暮らしていた人々が
銃や剣をもった人々に脅かされ、縛られ、
奴隷として過酷な労働を強いられる。

毎年9月15日の独立記念日の夜にはこの宮殿のバルコニーから
大統領が独立万歳、とソカロに集まった市民に向かって叫ぶのだ。

体調が徐々に戻ってきたので、
火災で一時休業していて数日前に再オープンしたという
ウォルマートに必要な品々を買いに行く。
中南米の蚊には中南米の薬で対策を、ということで
店員の方が一番効くと言った
Bye Bye Mosquitosという分かり易い名の薬を買う。

そして優しいヨーグルト飲料を袋に入れて
11時半の予定時刻通り、オアハカ行きの夜行バスは出発した。

Ciudad de Mexico – Mexico City, Mexico

朝にトルティージャをつまんだ後
オアハカまでのバスチケットを購入しに
再びAutobuses del Norte駅にメトロで向かう。

メキシコの国旗を先頭に描いたメキシコシティのメトロは、
容赦なく扉が閉じる。
敢えて客をはさんでいるのではないかと思わず疑いたくなるほど、
正確に、客を挟んでいく。
一人挟み、二人目を挟み、三人目を挟む。

だから、いつもメトロには飛び乗ることになる。
中ではおじさんやおばさんがCDを売っていたり、
小物を売っていたりする。

同時に、ウォークマンを耳につっこんだまま
直立不動で聞いている鬚を生やした伯爵風男性や、
目の不自由な方にそっと触れて誘導している男性、
マスカラが効いて睫毛がぐんと上を向いている女性、
いろいろといる。

平日にもかかわらず
スーツを着た、あるいは仕事をしている雰囲気の人々は数える程度で、
その他大勢は何やらとても嬉しそうに闊歩していく。

オアハカまでのチケットを無事に購入した後、
チャプルテペック公園の近くで
厚めのトルティージャに具をはさんだGorditaをつまみ食いしながら、
バスに乗ってPaseo de la Reforma通りをソカロ広場まで向かう。

スターバックスが数店もある。その整備された風景は
ここがヨーロッパではないかとふと思わせる。
街にごみも少なく、人々は秩序正しく、律儀で、前向きに見える。

ソカロ広場に着いて、メトロポリタン・カテドラルに入る。
ここは、メキシコにあるすべての教会を統轄する施設だという。
もともとここにはアステカ神話で最高神の一つの神殿があったが、
スペイン軍を率いてアステカの町を侵略したコルテスは
その神殿を破壊し、その石材でこのカテドラルを建造したという。

カテドラルの中では、ミサが始まり、
少しばかり音程のくるった歌が歌われている。
人々は跪き、手のひらを上にかざし、十字を描く。
過去と現在が、こうしてつながっている。

国立宮殿やソカロ地区の石畳でできた古い街並みを歩いた後、
コロナを売店で買って、
トルティージャにハムやチーズ、ピクルスとトマトを挟んだSincronizadasや
「草履」のように細長く焼いたトルティージャに煮豆や肉、チーズや唐辛子等をのせたHuaracheを、
屋台をはしごして食べる。

コロナをテーブルに出していたら、
屋台のおばちゃんが警察に見つかるとまずいからと
そっとナプキンを取り出して、コロナのラベルを隠すよう包んでくれた。

宿に帰ると、2階が停電したと言う。
こうして夜が更けていく。

55時間後のメキシコ – Mexico City, Mexico

朝にはバスがグアダラハラを通過した。夜中の間、バスはずいぶんと頑張ったようだ。

メキシコ・シティに近づくにつれ、辺りは徐々に都会の風景に変わっていく。高層ビルが見えてきてLGやフォード、マイクロソフトや鈴木、日産といった企業のビルや建物があちらこちらに点在する。

その頃こちらはおしりのあちらこちらの部分を駆使して
座っていくことになる。

こうして55時間のバス旅はようやく終りを告げ、
メキシコシティに到着した。
バスターミナルがメトロと隣接しており、
Autobuses del Norte駅からLa Raza経由でHidalgo駅まで向かう。
一人3ペソである。

Hotel Managuaという、廊下がピンク一色の
派手派手しい宿が空いていたので、
そこに部屋をとることにする。受付の女性は笑顔で明るい。

荷物も置いたところで、
念願のビールとメキシコ料理をいただきに
街に繰り出す。

宿の近くのTemplo de San Hipolitoではミサが行われていた。
今日は、約90%がカトリックというメキシコの日曜日だ。

アラメダ公園には屋台が立ち並び、
大道芸が繰り広げられている。
絵を描く人があり、歌を歌う若者がいる。

メキシコで最も格式の高い大劇場の一つ、
ベジャス・アルテス宮殿は
煌々と照らされている。

ラテンアメリカ・タワーは
黒々しく空に向かっている。

若い男女、年上の女性と若い男性、年上の男女は
至る所でキスを繰り広げている。
男性同士は仲良く手をつないでいる。

こうして石畳の5 de Mayo通りにあるレストラン、
Potzollcalliにたどり着く。
メキシコの郷土料理が味わえるということで、
早速Solビールを注文する。
明るく、ライトな飲み口で、乾いた喉にしみる。

それから、トルティージャに鶏肉などを挟み、
唐辛子、木の実、チョコレートなどを使ったモーレ・ソースをかけたEnchiladas de Moleと、
チーズやたまねぎなどを載せてもらったArracheraのタコスを頼む。

十分にメキシコ料理の一端を味わった後、
中央広場のソカロまで歩く。

広場にはメキシコの彫刻家Rivelinoによるインスタレーション、
Nuestros Silenciosが置かれている。
テーマは「表現の自由」。
2009年から11年までヨーロッパ各地を巡回し、
ここに戻ってきたそうだ。

そのインスタレーションの周りでは夜遅くまで
子どもが遊び、人々が集まっていた。

■Nuestros Silencios
http://www.nuestrossilencios.com/

バスの一日 – Los Angeles to Mexico City

7時頃に日が昇り始める。乾燥した土地に、ぽつりぽつりと家や商店が見える。

Hermosilloという町のターミナルでTamalesを買い込み、朝ご飯とする。Tamalesとは、古代マヤ伝来の料理で野菜の具などをトウモロコシの葉に包んで蒸したものをいうが、蒸しパンのような味だ。

そうこうする内に、
朝から元気いっぱいのテレビはセクシーさ満点の映画を
変わらない爆音で放映を始める。
時折、アクセサリーやタコスを売りに
おじちゃんやお姉さんが乗り込んでくる。

バスの乗客とも会話を交わすようになる。
子ども連れの家族は、
ワシントンからグアダラハラ近くの町に来ているという。
モノを落としたり、スペイン語にとまどっていたりすると、
声をかけてくれる乗客がいる。

バスターミナルでお手洗いに行くには4ペソ程が必要になる。
Los Mochisのターミナルでお手洗いを借りる際、
その4ペソを入れたまま入口の扉が開かなかった。

4ペソヲイレタノニ、ハイレマセン。

そう従業員に訴えると、
笑顔で隣の無料のお手洗いを快く案内してくれた。
この無料お手洗い、誰でも入れそうなお手洗いだ。

ありがとう。
でも、4ペソお手洗いとの違いは何でしょう。

わたしたちの乗り込んだバスは
どうもちょっとした高級クラスだったようで、
バスにお手洗いも付いているうえ、
バス内の清掃も定期的に行われる。
客層も良く、車内の治安は十分に確保されている。

こうして、夕陽が沈むのを眺めながら
VIVE MEXICO ELITEとかかれたバスはぐんぐんと南下していく。