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女子の戦いとマヤ文字 – Palenque, Mexico

朝の5時半にパレンケに着くために勢いよくサンクリストバルを出発したバスはがらがらで、座席は使い放題、眠りたい放題、ぐーぐー放題。でもその深い快適な眠りは、4時頃におしまいとなった。バスが壊れたので降りて別のバスを待つように、ということだった。

サンクリストバルからパレンケまでは2等クラスのバスをとった。2等クラスは1等クラスと何も変わらなくて快適だと喜んでいたところだった。メキシコ、バス、キレイ。

降ろされた道の脇には「PALENQUE 96」の標識がある。待つこと約1時間。地元の人でいっぱいの乗合バス、コレクティーボがやってきて、バスの上にバックパックを乗せて出発することとなった。

コレクティーボに一人50ペソを支払い、
8時にようやくパレンケに到着した。
一緒に乗っていたイスラエル女子3人組はこの遅れにより
乗り継ぐ予定だったグアテマラ行きのバスを乗り逃したという。
その3人組と共に、
厳しそうなADO社パレンケバス乗り場トップ女子ボスに対して返金要求を行う。
わたしたちも、昨日El Horno Magicoで買っておいた
「めがねチョコレート」という名前の、
マルが二つくっついた形のチョコレートパンと
チーズとベーコンの入った「朝食パン」をかじり、
売店で買ったイチゴヨーグルトを飲みながら、ささやかに参戦する。

最初は眉間に皺をよせて、ノーと繰り返していた女子ボスも、
イスラエル女子のジェスチャーたっぷりスペイン語に根負けして、
とりあえずサンクリストバルからパレンケ間のバス代全額を返金すると応じた。

こうして無事に女子3人組とも友だちとなった末、
コレクティーボで30分ほど行ったところにあるパレンケ遺跡に向かう。

パレンケ遺跡は、
7世紀にパカル王とその息子チャン・バールム王の時代に最盛期を迎えた、世界文化遺産にも登録されているマヤ古典期後期を代表する遺跡。
800年近くジャングルに眠っていたが、
18世紀になってスペイン人宣教師によって発見されたのだという。

頭蓋骨の神殿にはウサギの頭蓋骨のレリーフが柱に残り、
十字架の神殿にはタバコを吸うおじいちゃんの浮彫りが施されている。
葉の十字架の神殿には目がぎょろりとした口を一文字にしている神が描かれ、
太陽の神殿にはおおきな被り物をかぶって上を向いている戦いの神、L神が見られる。

太陽の神殿と向かいの葉の十字架の神殿は遠く離れているものの、
エコールームになっていて、お互いの声を聞くことさえできる。

マヤ文字も残されている。たとえば、こんな風に写真の文字の一部は解釈される。
文字1.764年、3月4日
文字2.パレンケのナワ族(タイトル)
文字3.K’inich K’uk’ Balam Ⅱ(名前)が
文字4.王位についた。
文字5.Manik’の9日目
文字6.彼は聖職者として任命された。
一文字にこれだけの意味をもたせるのだから、複雑だ。
文字一つ一つがロボットに見えてきたり、うさぎに見えたり、
手のひらに見えたり、まるで漫画のようだ。

観光地らしく、マヤカレンダー(Solkin)やアステカカレンダーを売るおじちゃんたちがいる。
遺跡は高くそびえたっているが、
足の不自由な男性が自力で上がり降りをして、
降りきったときは周りが拍手で迎える。
博物館近くはリゾートホテル並みに整備されたジャングルになっている。

そんな遺跡からパレンケの町に戻り、
Pollo El Realで今日も鶏のグリルとModeloビールをオーダー。
付け合わせでキャベツや豆のスープがついてくる。
隣のメキシカンハットを被ったおじちゃん3人集団は、
ビール缶をあけながら、70年代風シュールなショートフィルムが流されるテレビをぼんやり眺めている。
次に入ってきた家族は、大した会話もせずに、
父親はテレビを凝視し、
顔立ちの整った母親と子どもはもくもくとトルティージャをつまんでいる。

場所を移動してwifiのとんでいるcafe de yaraで、
伝統的なチアパスの飲み物だというTascalateを飲む。
とうもろこしとカカオをそのままガリガリと混ぜたような飲み物。
その素材そのままのドリンクを飲んだあと、
次の目的地メリダまでの23時発のバスを待つ。

そこには昨日一緒にオベンティックまで行った
韓国人の男の子、キムさんがいた。