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ぽっぽー機関車と、ビールおじさんたち – Trinidad, Cuba

トリニダーはかつて周辺のサトウキビのプランテーションにより、奴隷売買や作物の取引の中心地として繁栄した街でもある。トリニダー駅とロス・インヘニオス渓谷のGuachinango駅を、かつてサトウキビを運んでいた蒸気機関車が走っている。

今日も朝ご飯は宿のテラスでバターとキューバ蜂蜜にハムとパン、オレンジとパイナップルにオレンジジュースとコーヒーをいただいたあと、約1キロ程離れたトリニダー駅まで歩く。トリニダー中心地はまるで観光地と化しているが、少し離れると、人々の生活がそこに息づき、馬車も日常生活に利用されている。

機関車は1906年米国製で客車は木でできている。定刻の9時半、ぽっぽーという音とともにがしゃりがしゃりと走り出す。とたんに街から抜け出し、あっという間に辺りは山に囲まれ、牛と白い鳥のペアの群れ、放牧されている馬や羊や山羊、その子ども、たわわに実をつけたバナナの木を見つつ、時には高い鉄橋を渡っていく。

木材を燃やし水を沸騰させて動いているため、鉄路には水をくみ上げるポンプがついていて、時折機関車は水を補給するために停止する。そして、水をくみ上げた後は辺りに水しぶきが飛び散る。黒い煙がもくもくと空にあがり、線路を覆う木々を、黒い煙で噴き上げる。

列車の中にはバーカウンターさえついていて、メキシコ産コーラ、国産コーラ、BucaneroやCristalビールにモヒートなどが用意され、蝶ネクタイをつけたお兄さんさえいる。そしてギターを持ったおじさんが音楽を鳴らし始める。

途中、黒いハットを被ったおじさんが「ぼくはここに以前50年間住んでいて、今日は友だちを訪ねに来たんだ」と言い残して、まっすぐに進む砂利道の、名前さえないような場所で降りて行った。

1時間半弱でイスナガ駅に到着する。駅近くの沿線に住む人々は一日一本の機関車の到着を楽しみにしているのか、多くの人が家の外で到着を待ち、手を振る。この駅には世界遺産でもあるロス・インヘニオス渓谷の一部であるサン・ルイス渓谷を見渡すことができるマナカ・イスナガ塔がある。

ロス・インヘニオスは植民地時代に大規模なさとうきび農園だった場所で、数多くの奴隷が働かされていたという。このマナカ・イスナガ塔から奴隷を監視し、その鐘で労働者に合図を送っていたのである。

このイスナガ塔、急な木の階段に歪みのある不安定な地面で、なかなか恐怖心をそそるものであったが、登りつめると広大な平原にバナナの木やレンガ造りの家、馬乗りやさとうきびを入れたという大きな鍋、当地の手芸品であるファゴッティングという手法で刺繍をほどこした白い布地がはためくのが見渡せる。

駅付近にはさとうきびのジュースをその場で機械で搾ってジュースにしているスタンドもある。地元の人もぱっと来て、支払いを済ませて一気に飲みほして去っていくといった形でこのスタンドを利用している。

12時にはまた機関車が出発して15分程先にあるGuachinango駅に到着する。ここにもかつてさとうきびのプランテーションのオーナーであった人の大きな家がある。

より平地で肥沃な土地を求めてさとうきび畑は別の場所へと移動していったようで、今この辺りはバナナ畑が広がり、牛や馬、山羊や鶏や犬がゆったりと暮らしている土地となっている。そののんびりとした雰囲気の中、オーナーの家ではバンドが音楽をならし、わたしたちはそれを聞きながら、Bucaneroビールとともに草原に寝ころがる。

13時半にGuachinango駅を出発し、トリニダーに戻る機関車に乗っていると、おじさんが今もぎとったものだとグアバを差し出してくれた。この機関車にはトイレも完備されているが、いつの間にかその中にはまだ熟していないバナナがどっさりと詰め込まれ、トイレを占領していた。

帰りももくもくと黒い煙をあげながら、機関車は進む。太陽の光が黒い煙に包まれると、光の線がよく見える。時に停車して線路脇に積まれていた木材を載せて、水をポンプから吸い上げる。

機関車の運転席にも車体の上にも乗ることができる。車体の上は不安定でひやりとするが、Cristalビールを飲みながら陽にやけた身体で仕事に励む機関車のおじさんたちは、頼もしい。

トリニダー駅に戻っててくてくと歩いていると、ある家の庭でドミノをしている人たちが集まり、大盛り上がりを見せていた。10つのパイを手にして、パイに書かれた丸の数を合わせて並べていくゲームで、若い女性やおじさんなどがVCと書かれたアルコール度数40%のウォッカや38%のMulataというラム酒を片手にどんちゃんとわいわいしているのである。

日本人、スズキイチロー、と言いながら、わたしたちにラム酒を勧めたおじさんは、ここにいるみなが友だちなんだとつぶやいた。

セスペデス広場付近で子どもたちはキックベースをしている。キューバはヨーロッパ系が約4分の1、アフリカ系約4分の1、半数が混血と推定されているそうで、さまざまな肌の色をした子どもたちが同様に遊んでいる。人種差別はほとんどないのだという。わたしたちはEmpanada Gallegaというほんのり甘い餡の入ったパイを屋台で買ってつまむ。

夕食は、道を歩いていて声をかけられたMarin Villafuerteというレストランで、Pollo Napolitanoという鶏肉にチーズをのせて焼いたものにご飯とサラダ、バナナフライがついたセットを注文する。チーズのたっぷりかかった鶏肉はジューシーだ。

宿に帰ってきて、おじさんが差し出してくれたグアバを切って食べる。キューバで食べることのできるメニューは限られているが、それでも、日本人の口には合う味付けなのである。