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骨董市と、ドラマなサッカー試合 – Buenos Aires / La Plata, Argentina

朝起きると、朝日にブエノス・アイレスの街が照らされはじめていた。朝食に、チョコレートにキャラメルのはさまったGuaymallenとコーヒーが配られる。

7時半過ぎにはターミナルに到着する。前回このターミナルの近くで「黒い鳩のふん」をかけられたので、用心しながら、ぐんぐんと歩く。

立派なシェラトン・ホテルも見えるその辺りでは、既にスポンジケーキやパン、コーヒーなどを売る屋台が並び、ごみもあちらこちらに積まれている。

ターミナル近くのレティーロ駅には人だかりができている。駅入口のゲートが開くのを待っているというので、8時までの5分ほど並び待ち、駅へと入る。

名古屋から譲渡された車両や、ドイツで製造された車両を使っているというC線に乗って、宿のあるSan Juan駅まで向かう。その黄色い車体は、より派手な緑やピンクといった色で、一面に落書きがほどこされている。

日曜日の朝であるブエノス・アイレスは、電車の中も街中も歩く人は少なく、静かなものだ。大きな7月9日大通りのビルには、波乱の人生を送り33歳で亡くなったエバ・ペロンが描かれている。

毎週日曜日に、サン・テルモ地区のドレーゴ広場で骨董品市、Feriaが開かれているので、のぞきに行く。静まり返った日曜の街を歩いていくと、ふいに人で溢れかえるドレーゴ広場に出る。

そこには、絵画や写真、そしてヨーロッパや中国、はたまた日本からはるばるやってきた古い皿やカトラリー、花瓶や時計、アクセサリー、かつて炭酸飲料を入れていたという、透き通る青や緑のガラスでできたサイフォン瓶が露店にところせましと並べられている。

マテ茶を飲むための、ひょうたんからできたグァンバと、ストローであるボンビージャを買い求める。その店は1983年からやっているという店で、白髪に帽子をちょこりとのせた男性が、一人切り盛りしている。

広場ではタンゴが踊られ、石畳のDefensa通りでは、手品師や、ぴたりと止まって動かない大道芸人、酔いつぶれた労働者の人形を糸で操る男性、強風に吹かれたふうの服を着た芸人、ギターを弾くミュージシャン、ふさふさのほうきを何本ももった男性たちや、道に店を広げる人々がいて、そのそばを多くの人々が行き交っている。

Defensa通り沿いのEl Desnivelという店に入り、昼食にMorcipanを買い求める。ひき肉や臓物、血などを混ぜて詰めた黒くもっちりとしたソーセージを、パンにはさむ。そしてボールに入った酢漬けの野菜やスパイスなどをのせてかぶりつく。

店では、ごつい肉の塊をおじさんがつかみ、それを大きな包丁でおおぶりに切った後、手慣れたふうに後ろの網にぼんと乗っけていく。どのステーキもぶ厚く、てっぷりと重みがある。それが次から次へとオーダーされ、人々に食べられていく。

今日は、ブエノス・アイレスから1時間ほど列車でいったところにあるラ・プラタで、そこをホームとするエストゥディアンテスと、ブエノス・アイレスを拠点とするボカ・ジュニアーズとのサッカーの試合があるというので、訪ねてみることにする。

大きなヨーロッパ風のConstitution駅から、ラ・プラタ駅行きの列車に乗ることにする。ホームで売られていた、シロップとカラフルなチョコをふりかけた揚げパンを買い求めて乗車する。列車には飲み物を売り歩く男性もいる。

定刻14時20分、ピーと音が鳴った後、ガタリと列車が動き出す。爽やかな風を窓から吹き込み、低い緑の木がところどころに生える大地をガタリゴトリと進むこと1時間20分、終点駅でもある、大きなラ・プラタ駅に到着する。

そこでスタジアムの位置を確認すると、1駅手前の駅、Tolosa駅が最寄りだ、と言う。その通りに、乗ってきた列車に再び乗り込み、一駅戻る。

その小さく静かなTolosa駅で降りたものの、改札も地図もない駅では、どちらにスタジアムがあるのかさっぱり分からない。近くでサッカーを練習していた人々に道を尋ね、バスに乗り、スタジアムへと向かう。

バスに乗っていると、やがてエストゥディアンテスのユニフォームが草むらの上で売られているのが見えてきて、ようやくEstadio Ciudad de La Plata、スタジアムにたどり着く。

15時から当日券が発売されるというが、到着したころにはもうすぐ17時になろうとしていた。非会員向けの当日券は既に完売し、会員向けのみ販売をしている状態だった。

諦めきれない非会員の人々が、窓口などで大きな声で抗議している。それをみなが興味深げにのぞいている。警察隊も、盾をもって、入り口付近に横並びになっている。

赤と白のストライプのユニフォームや、赤い旗とアルゼンチンの旗を身体に巻きつけた人々がチケットを購入すべく、列にならぶ。ダフ屋はほとんどおらず、1組いたダフ屋からも、手にしていた通常の2~4倍の価格のするチケットは、すぐに買われていった。

1時間半ほど窓口付近で待ってみたものの、チケットはやはり買えなかった。同じようにチケットが買えずにいた、エストゥディアンテスのユニフォームを着た女性に、ラ・プラタ市内のスポーツバー、La TorattoriaとLa Modeloを勧めてもらう。

付近は、スタジアムへと向かう人々で活気をみせていた。ユニフォームだけではなく、大きな赤い旗を売る女性も立っている。軒をつらねるハンバーガー屋の屋台からは、もくもくと煙があがっていた。

スタジアムから、市内中心に向かうバスに乗り、La Trattoriaに向かう。有名な店のようで、街の誰に聞いても、的確な返事が返ってくる。店に到着すると、この店を紹介してくれた女性も友だちを連れて、席についていた。

店は洗練されていて、初老の男女もワインを片手に、テレビに流れるサッカーを時折眺めている。

バジルの効いた野菜などを詰めたパスタ、カネロニに、チーズをたっぷりとかけ、Quilmes Cristalのビールを、冷えたジョッキに注いでいただく。食事用のパンが数種類、クロワッサンにブルーチーズ、それにピーナッツが添えられている。

19時半に始まった試合は、2時間ほどで、ボカ・ジュニアーズ対エストゥディアンテスが2対0という結果で終わった。21時半になった店は、テレビがテニスの試合へと切り替わっても、更に賑わいをみせていく。

店を出て、ブエノス・アイレス行き列車の出るラ・プラタ駅まで歩き、座席につく。明るく輝く月の下、やはり落書きが派手な列車に乗って発車を待つこと1時間ほど、突然に「サッカーの試合で警察が出払っているので、列車は運行できない」と言われる。

時間はもう23時半になろうとしていた。列車は走らないが、ブエノス・アイレスまでバスはまだあると言う。

やれやれと腰をあげて、数ブロック歩いたところにあるバスターミナルへと移動し、バスで帰ることにする。

24時にバスは出発した。

うとうとしていると、ふいにバスの明かりがつき、「落ち着け、落ち着け」という男性の声がする。そこには、服をところどころ濡らした女性が、目の奥に怒りをこめて、立っていた。そのうちに、男性に向かって、拳を振り上げ、そして脚をあげて蹴り上げた。

女性は、周りの人に制止されながら、次のバス停で降ろされた。バスに向かって言葉を吐き捨てながら、物を投げつける。

女性が降りたバスは安堵に包まれ、殴られた男性を中心に冗談が行き交う。

サッカー試合時、スタジアム周辺は、とても治安が悪くなるという。スタジアムの周りには、これからも試合の度にさまざまなドラマがおこっていくのだろう。