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キリマンジャロ山のふもとで。 – Moshi, Tanzania

朝は宿の屋上で、トーストにバターやフルーツジャムをぬり、チャパティやスイカにコーヒー、パイナップルとパッションフルーツのジュースをいただく。

雨期の今の時期、キリマンジャロ山は雲に覆われている。

マサイ族の男性が赤いマサイ布を身体に巻きつけて門番をする宿を出発し、街を歩く。モシの街はさほど大きくなく、のんびりとしている。店の外では女性がミシンで服を縫い、その女性を囲んで幾人かの女性たちがおしゃべりに夢中になっている。

道ばたでは果物、野菜、サンダルや籠、サッカーのユニフォームなどが売られている。大きな火のかけられた料理中のフライパンは、ほったらかしにして放置されている。「ドイツ」とパッケージに大きく書かれた、ドイツ市場向け中国製熱湯機も売られていて、思わず買い求める。

この街には、HIV患者支援NGOであるKiwakkukiという団体がある。1990年設立、NGOとして正式登録されたのが1995年の組織で、ノルウェーやドイツ、米国、オランダ、アイルランドやモシ市などにより寄付を得ている。ボランティアは500人を数える大きな団体である。

この国もエイズ感染率、国平均5.7%、エイズが人々の生活を脅かしている。この辺り、Arusha地区は1.6%だが、ダル・エス・サラームでは9.3%、南のIringa地区は15.7%の感染率だという。

先日ダル・エス・サラームで話をしたイタリア人も、南部はまだ経済的に遅れもあり、HIV感染率が高く、ボランティアで南部に滞在しているのだと言っていた。

受付のテーブルには”From the People of Japan”と日の丸のシールが貼られたHIV検査キットが置かれている。

モスクや学校、Kiwakkuki団体オフィスなどで、地元の人たちによるエイズ教育が行われているものの、教育の行きとどかないタンザニアの南部などは感染率が高い。この団体の活動もあって、モシ周辺地域のHIV感染率は低下しているという。

団体では無料のHIV検査を提供していて、この日も幾人かが待合室でその検査結果を待っている。待っている間に観れるよう、ドラマも流れている。

かつて離婚を経験した男性が、新たな女性に求婚をした。それでも男性の家族が精神的障害をもっていることから、女性は求婚を受けられないと言って、男性は困り果ててしまう。女性にも別れきれない昔の恋人がいる、といったふうのゴタゴタドラマである。

直接にHIVとは関係のないように見えるドラマだが「家族問題を表現しているのです」と事務所のスタッフは言う。教育が、ここから始まっている。

この街の中心もクロックタワーだ。その時計盤にもコカコーラのロゴ。タワーの前にもコカコーラのボトルとともに「安全な運転を」とうたっている。バスターミナルもその広告で赤く包まれ、ホテルも商店も看板にコカコーラのマークがあり、郵便局の位置もコカコーラが指し示している。

ルワンダまでの経由地点となるムワンザに向かうチケットを買うため、バス会社A.M. Coach社に向かう。オフィスには、リビアのカダフィ大佐の写真がでかでかと載った2012年のカレンダーが貼られている。

そこには「A Great Son of Africa」と書かれ、その下に「軍人でもあり、ヒーローでもある」「42年間の統率 1969-2011」とある。カダフィー大佐は、カレンダーの中で、こぶしを振り上げ、または手をぴしりと揃えて額に斜めにあてている。

オフィスの職員は言った。「カダフィー大佐は、アメリカやフランス、イギリスに殺されたんだ。ひどい話だ。」

同時にそばにいた別の職員は「タンザニアのイスラム教徒の間ではカダフィー大佐を支持している人は多い。考え方は人によるけれど。」と肩をすくめた。

イスラム教のモスクやヒンズー教寺院、シーク教の寺院が、この街にはある。

コーヒーを飲みにThe Coffee Shopに入る。ここでは地元のタンザニア・コーヒーや紅茶が可愛らしい布のパッケージに包まれ、売られている。地域の修道女が手作りをした石鹸も売られ、孤児院の子どもたちを救うために役立ちますと、書かれている。

1996年に開業したこの「The Coffee Shop」は、利益のためではなく、雇用創出も目指している。利益はキリマンジャロ山の教会、教区にも使われます、としている。

落ち着いた木目調の店内や明るいテラスには人々が午後のひとときを過ごしている。それでも、白い看板の隣には、街にあふれるコカコーラ社の赤い看板にThe Coffee Shopと書かせている。

この街を歩いていると、あちらこちらからキリマンジャロ山のガイドや宿の客引き、一般の人々から声がかかる。そして、時に挨拶がわりにこぶしをぶつけ合う。力強いので、痛いことも少なくない。

一日中雲に覆われていたキリマンジャロ山が、18時ころ、ほんの少しの間だけ雲からその姿を現した。先ほど話をしたキリマンジャロ山のガイドの言った通りだ。

まずは、マウエンジ峰、そしてキボ峰。クロックタワーのほうまで行って、その姿を眺める。青い山の頂上が白い雪で覆われている。

すると、そばにいたガイドがまた声をかけてきて言う。「キリマンジャロ山に登るのは、すごく値段が高い。でもアメリカ人は値段が高いほど良いもんだと思っているんだ。」

夕焼けの見えるころ、高台にのぼり、キリマンジャロ山のほうを眺めてみる。やはり、山はその姿をまた雲の向こうに隠してしまった。「もうお休みの時間なんだ」とガイドたちは説明をする。

黒と白の鳥がたくさん飛び、がーがーと鳴いている。
錆びついたトタン屋根ばかりが見える景色を夕焼けが包み、ほっそりとした月が空に浮かぶ。

夜は、レストランBig Biteに立ち寄る。ここもイスラム教のレストランでアルコールはない。

卵と牛肉と野菜を生地で包んだザンジバルピザののったプレートに、きゅうりやトマトのサラダが添えられ、それに牛肉の串を合わせる。

ビールが売っている店には食べものが軽食ふうになり、食べものをしっかり提供する店には、ビールが売られていないというふうな日々である。