Top > ブログ

虐殺と、今。 – Kigali, Rwanda

今日土曜日の午前中は、国中が町内会で掃除などをする「コミュニティ・ワークの日」だということで、タクシーもバスも走っていない。街を見ても、なにやら人通りも少なく、のんびりとした雰囲気だ。

宿のSlyvioさんは、前回「コミュニティー・ワーク」をしたので、今日はお休みなんだ、と言った。現在はタクシー運転手、1975年1月1日生まれの37歳、22歳の恋人がいる。この国にはベルギー、フランス、ノルウェーなどからビジネスで訪れる人も多いという。

ツチ族であった彼は、1992年から2009年まで兵士として、議事堂などにおいて大統領を守っていた。ダルフール紛争では国連のダルフール派遣団として1年に赴いたといい、それぞれの写真を誇らしげに見せてくれる。

そして、現大統領のカガメ大統領は軍人であり、ツチ族なのだと、付け加えた。 

最後に「僕は機械について勉強をしたい。日本は自動車製造大国だ。日本で勉強をしたいので、なんとか援助をしてくれないでしょうか。」と遠慮がちに言う。

この国では、1994年に多数のツチと穏健派フツが虐殺されたという過去を持つ。ツチだけでなく、お金持ちのフツなども殺されている。Slyvioさんは続けて言う。「ぼくたちは一つなんだ。過去に起きたことは忘れ、発展を続けることが大切だと思う。」

昨年亡くなったお父さまには5人の妻がいて、合計20人の子どもがいる。Slyvioさんのお母さんとの間には3人の子どもがいる。広大な農地や5つの山を持っていたが、お父さまが亡くなり、今は土地を分けたという。

「コミュニティー・ワーク」が終わり、13時ころになると、また街の店などが開き始める。宿の近くにある看板のない食堂で昼食をいただくことにする。

メニューの紙はなく、今日の献立を尋ねる。ご飯にじゃがいもの煮込み、パスタに豆、キャベツとにんじんの煮込み、バナナ煮、それに牛肉のトマト煮という、ボリュームいっぱいのランチメニューである。こうして、客は全員男性となる。

わたしたちがテーブルにつき、食事をしていると、その間にあった椅子に身なりの良い男性が一人、どかりと座って腕組みをし始めた。そっぽを向いたままだ。

他のテーブルはがらりと空いているので、なにやら不可思議だと思ったものの、どうやらこれはルワンダ人の「話しかけたいけれど、恥ずかしい」という気持ちの表れらしい。

男性と言葉を交わした後、ほど近いキガリ・メモリアルセンターに向かう。

道には点々と軍人やら警察が銃を手に立っている。木の陰にふいに立っていたりするので、なにやら驚いてしまう。

このキガリ・メモリアルセンターでは、虐殺が起きる背景となった植民地時代の歴史、虐殺、身近な人を亡くした人々へのインタビュー映像などがある。

1932年ベルギーの統治下で人種IDカードの導入が決まった。フツ族とツチ族は、所有している牛の数によって分けられたと書かれている。それが後の虐殺の際に出身民族を確認するカードとなっていく。

センターには、反ツチ族のプロパガンダ紙Kanguraに掲載された「フツ族の10のおきて」も貼られている。

ツチ族が一人残らずいなくなるよう、女性や子どもは直接のターゲットとなった。多くの女性がHIV感染者により性的虐待を受けた。虐待被害者は50万人にものぼる。

人々は、なたで切られ、殴られた。トイレに投げ込まれ、死ぬまで岩を一つずつ落とされていった。虐殺の犠牲者は、仲間を殺すことも求められた。

家族を亡くしてインタービューを受けた男性は言う。「銃を撃ち込まれ、大けがをして苦しんだ。数日後少しだけ回復をしたところで再び戻ってきて殺されたんだ。すぐに殺してくれたほうがまだ良かった。」

生き埋めにする際に使用されたチェーン、犠牲者の写真、殺された子どもたちの写真とそれぞれ好きだったスポーツ、食べもの、それに死亡した理由が置かれている。

最後にこう書かれていた。
「過去を忘れることはできません。そして、思い出すこともまたとても辛いものです。でも、同じ惨事を繰り返さないように、過去を心に刻んでおきましょう。」

お墓の上には、花束が置かれ、紫と白のリボンがかけられ、ろうそくが灯されている。

メモリアルセンターのショップには、Tシャツも売られている。「虐殺を繰り返さない」と書いたものから、「ルワンダで起きたことから学ばなかった者が、ダルフールで同じことを繰り返している」と書いたものもある。

ずらりと並んだバイクタクシーのわきを通り、宿へと戻ってからお友だちの家へとお邪魔する。

ここルワンダに来た目的は、JICAの青年海外協力隊員としてキガリに滞在している、みこうちゃんに会いにくるためである。

タクシーに乗って、みこうちゃんの住むニャミランボ地区へと向かう。塀のある家、に住むことが求められているそうで、厚い門を開けてお邪魔する。

近くのレストランに一緒に夕食を食べに行く。

ルワンダのレストランでは注文から一時間待つことも少なくないらしく、さすが待つ間につまむポテトチップスを持ってきている。

キンヤルワンダ語を使って、オーダーをしてもらう。フランス語をみな話しているのかと思ったら、日常会話はキンヤルワンダ語らしい。

山羊の肉とティラピア魚の揚げものの串、それに、フライドポテトにたまねぎをいただく。
ビールはPRIMUSにSKOL。

みこうちゃんは、役所でビジネス支援をしていて、協同組合で石鹸などを作って販売をしている。バスが通っていないというその場所まで、片道1時間ほどかけて徒歩で通勤している。

周りに海がないルワンダでは、モノを輸入するとなるとなかなかに費用がかかるうえ、新しいものを受け入れるのに抵抗がある人も少なくない。

例えば、チョコレートを売ろうと思っても、その新しい味はすんなりとは受け入れられない。そこで石鹸が良い、ということになる。特に青い石鹸は、売れるらしい。

日本のJICAの方法はモノを買って差し出すのではなく、現地の人々が自立できるような形をとるのだといい、韓国国際協力団、KOICAなどの支援方法はまた異なっているという。

お家に帰り、ルワンダのお茶を淹れていただき、それにシャワーのための熱湯をつくっていただく。

シャワーからは冷たい水が出るので、それを別に沸騰させたお湯と混ぜて使う。昨晩泊まった宿もそうだった。世界最貧国の一つだというルワンダには、水や電気がない家がまだまだあるのだそう。

既に学校ではフランス語ではなく、英語に切り替わっているそうで、街の看板も以前と比べて英語表記が多くなったという。

ここでは牛の数によって裕福さを図られる。そういえばTazara鉄道で話をしたザンビアの女性が、結婚するときには相手の家に牛を貢いでもらうといっていた。

恥ずかしがりやのルワンダ人気質は、ところどころでみこうちゃんを驚かせるという。髪がくるくるで長く伸ばせないという黒人女性にとって、みこうちゃんの髪はうらやましいようで、ふいに後ろからばっと触られたりすることもあるという。そして、すれ違った後、後ろから声をかけられることもまたある。

仕事の中で一番うれしいことは、地元の人たちが自発的にアイディアを出し、自分たちだけで仕事が回ってるのを見るとき、大変なことはお金を求められることだという。

シンプルな生活で大丈夫だというみこうちゃんは、このルワンダという国で、とても明るく前向きに、仕事をしている。