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ザンビアからタンザニアまで2泊3日鉄道の旅 – Lusaka / Kapiri Mposhi, Zambia

今日から2泊3日で鉄道に乗って、ザンビアのKapiri Mposhiからタンザニアのダル・エス・サラームまで向かう。

ザンビアの首都、ルサカからはバスに乗ってKapiri Mposhiへ行く。まだ暗いうちにタクシーで宿からターミナルへと向かう。朝6時発のバスを待つターミナルには、「倉敷天領太鼓」と書かれたトラックが停まっている。

バスの通路では、発車時からキリスト教について説く男性が演説をしている。彼がアーメンとつぶやけば、乗客も、アーメンと続く。

上海建工と書かれた建築現場や、Disneyという名の渋い店舗がある。途中、Kauiの町で途中停車をしながら進む。休憩する旨の車内放送が流れるくらいだから、しっかりしたバス会社なのである。町には砂埃が舞っている。

草葺き屋根の円錐形の家、ロンダベルがとうもろこし畑の間にぽつりぽつりとしている。まっすぐに伸びた道に、自転車を乗ったり、歩いたりする人々がいる。そうかと思えば、突然に建て売りらしき、真新しい家が現れたりする。

備え付けのテレビからは、中国語の字幕をつけた英語の映画が流れ始めた。

9時15分ころにはKapiri Mposhiに到着する。前から後ろから斜めから、どこに行くんだ、タクシーに乗らないか、と声がかかる。ルサカの道ばたで少年から買っておいた揚げパンをほおばる。

ここはルサカと比べるとずいぶんとゆったりとした雰囲気で、あちらこちらでこんにちは、と挨拶が向けられる。道を尋ねても、的確に親切丁寧に教えてくれる。混沌としたバスターミナルを離れ、舗装道路を曲がれば、のんびりとした赤茶けた砂道が鉄道の駅まで続いていく。のどかな道をてくてくと歩いていくこと、約30分、ふいに目の前に新しい建物が見えはじめる。

建物の上にはNEW KAPIRI MPOSHIと書かれている。ザンビアの前副大統領が亡くなったためか、わきにはザンビアとタンザニアの国旗が半旗になって掲げられている。

チケット購入時に、14時出発の2時間前、12時には駅に来てくださいと言われていた。指示どおりに早く到着したものの、駅ではチケットオフィスに予約時の切符を見せるだけで、特に2時間前に来る必要もないようなものだ。

しかもこの列車、出発が8時間以上遅れることもあるという。国際列車であるものの、荷物検査もパスポートチェックもない、のんびりとしている。

13時50分になろうとするころ、ゲートが開き、頭に器用に荷物をのせた人々がわんさかとゲートに入っていく。

大幅に遅れることもあるこの列車、無事に10分程度遅れるだけで、がたりと出発した。列車は中国製でところどころに中国語の表記が見られる。まくらぎにも「中華人民共和国制」と書かれている。

子どもたちが線路沿いに立ち、こちらに手を振っている。あるいは鉄道を追って走ってくる。この列車の通過を心待ちにしているのである。

とうもろこし畑や草の大地が広がる中をがたりがたり、ぎしりぎしりとバスはゆっくりと進んでいく。

食堂車もあり、そこで昼食をとることにする。プラスチックと鉄の簡単なテーブルと椅子が並べられた車両には、人々がのんびりと座り、ある者は食事をし、ある者はコーラを飲み、ある者はぼんやりと窓の外を眺め、ある者はテレビから流れる映画を眺めている。先ほど道ばたで少年から買ったじゃがいもとソーセージのパイに、昨日屋台で買ったバナナをほおばる。

列車が停車をすれば、ピーナッツやスナック、アボガド、バナナなどのフルーツを抱えた女性や子どもたちが窓の外からそれを売ろうとする。

食堂車から一度コンパートメントに戻り、3段ベッドの一番上に文字通りむぎゅりとよじのぼり、眠りにつく。眠る前の儀式がアクロバティックに過ぎる。

日が暮れて、窓の汚れで外のかすかな明かりがぼんやりと見えるしかなくなったころ、再び起きだして食堂車に行き、夕食をとる。人々はまばらで、黒人男性が微動だにせず手を膝の上に置いてテレビを見つめてる。彼の頭上にはAfriroots Adventuresという広告が貼られている。

パンにペーストを塗って、バナナとほおばる。洒落た包装のほどこされたペーストは、なるほど南アフリカ産のものだった。

時折がたがたと大きな音をたてて、列車が停まる。すると、辺りは途端に静けさに囲まれて、食堂車はぽつりと薄暗く灯された明かりと、テレビの音に包まれるだけだ。

夜中、酔っ払った男性同士が廊下で怒鳴りあっているのが聞こえてくる。「とっつかまえてやる」、そう何度も男は繰り返した。