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ケープタウンの街を歩き、ヨハネスブルグへ降り立つ。 – Cape Town / Johannesburg, South Africa

朝はコッペパンをこんがりと焼いてバターを塗り、目玉焼きとチーズ、コーヒーミルクと合わせる。

今日は夕方にヨハネスブルグへ戻るフライトがあるので、それまで買い出しをしたり、街中を歩いたりすることにする。

今後必要になるマラリアの薬を買い求めに近くの薬局屋へ出向くと、「処方箋がないと販売できません。」と言われる。「でも、Travel Clinicなら、処方箋なしでも買えますよ。」

購入しようと思っていたメフロキンという薬は副作用が強いので、Doxycyclineという薬を勧められる。メフロキンは週に1度の服用で済むが、Doxycyclineは24時間ごとに服用しなければならない。両方ともに効果は90%程度だという。

でも、長期マラリア汚染地域にいるならば、Doxycyclineが良いです、と言う。メフロキンは、頭痛、抑うつ感、吐き気などなど、しまいには悪夢をみるといった強い副作用があると聞くから、恐ろしい。

とりあえずTabardという虫よけを購入し、Doxycyclineを買いに、Travel Clinicまで歩いていくことにする。

ケープタウンの街を囲む山々を眺めながらオレンジ通りを抜けて、ハット・フィールド通りにある南アフリカで最も古いユダヤ教のシナゴーグを眺め、南アフリカ国立美術館前の公園を歩き、南アフリカ最古の公園カンパニー・ガーデンズや図書館を左に見ながら進み、国会議事堂にたどり着く。

細い公園に面して入口をもつ国会議事堂は白と深い赤色に塗られ、付近の公園ではベンチに腰掛ける人や散歩を楽しむ人が溢れ、木々の合間から光が注ぎ、リスが駆け回り、子どもたちがはしゃいでいる。

近くの煉瓦造りの聖ジョージ大聖堂の前には、赤い服を着て「南アフリカ共産党」と旗を掲げた男性たちがのりのりに歌を歌いながら、行進していく。

かつてオランダ東インド会社の奴隷宿舎として建てられ、その後最高裁判所として使われていたスレイブ・ロッジの前を通り、銀行やブランドショップ、露店の立ち並ぶ道を過ぎて、ストランド通りのTravel Clinicにたどり着く。

ビルの11階まで上がると、洗練された受付がある。氏名、住所や連絡先、職業、誕生日と訪問予定エリアや健康に関する質問事項に関して用紙に記入する。パスポートを求められることもない。手慣れた様子でDoxycyclineが処方される。肌が敏感になるので、日焼け止めを適度に塗ってください、胃腸に刺激がある場合があるので、食事の後、たっぷりの水とともに薬を飲んでください、と指示される。

無事に薬を手に入れ、近くの「strictly halaal」と書かれたイスラム教フードの屋台、CRUSH CHILLIでBOEREWORSという太いソーセージとチーズやレタス、トマトをパンにはさんみ、こってりとしたソースのかかったサンドイッチを買い求めてほおばる。

そこから、ローズ通りとチャッピニ通りを中心とするマレー・クオーターを通り、宿まで歩く。ここは、オランダ統治時代にマレー人奴隷移住者の子孫が住んでいるエリアである。四角い箱の家がピンクや水色、黄色、紫、オレンジといったキャンディーカラーに塗られて、太陽の光を浴びている。街角にはイスラム教系商店もあり、頭をヒジャブで覆った女性などが買いものをしている。

カラフルな家の並ぶ道にはモスクもあり、目だけを出した黒い二カーブをかぶる女性の姿も見られる。

ヨハネスブルグは治安も悪く宿から出られない、という話も聞いていたので、スーパー、SPARで買い物を済ませて、宿から荷物を取り、MyCitiバスに乗ってシビックセンター経由空港へと向かう。

行きと同様、落書きのされたバラックの並ぶ道を通り、空港へと到着する。やや渋滞があったものの、シビックセンターから30分ほどで空港だ。

SAMSUNGの広告が全面的に貼られた空港でチェックインを済ませ、荷物検査を済ませて、搭乗口に進む。搭乗口にはHyundaiの広告がロゴとともに貼られている。

こうして予定通り、18時50分に南アフリカ航空の飛行機はケープタウンを発ち、「世界で一番危ない都市」とも言われるヨハネスブルグに向かう。

眼下に広がっていた街の灯りもやがてなくなり、黒い大地が広がり、時折灯りが集まっているのが見える程度になる。

飛行時間は約2時間。

ヨハネスブルグを目の前に、今回ばかりは遠慮がちにアルコールを控えて、おとなしく南アフリカ産コカコーラを飲む。にんじんとパイナップルにレーズンやきゅうりのサラダ、牛肉とカリフラワーやパプリカなどのスパイシーなトマト煮にパンやバター、キャラメルのスポンジケーキとチョコボールを食べていれば、あっという間だ。

全ての荷物をしゃんとまとめて、ゲートの外へと踏み出す。ゲートでは出迎えに来ている人々が数名、名前をもったカードを手にしている。

カージャックも多発しているヨハネスブルグでは、宿に空港からのピックアップをお願いしている人がたいていである。見習って、わたしたちもオンラインで宿を予約し、空港までのピックアップをお願いしていた。それでも、空港からダウンタウンをはさみ、その反対側に位置する宿を予約してしまったものだから、おそろしい。

赤信号で停まったら、やられてしまう。

ゲートを出て、はらはらと迎えがどこにいるかと見渡すと、わたしたちのカードを持った人は、見当たらない。

迎えに来ていないのであった。後から分かったことだが、どうやら別の空港に迎えにいってしまっていたらしい。

やれやれ、と思うと同時に、それなら気を取り直して、空港近くの宿を取ろうと少し安堵もする。

空港は思っていたよりも明るく、優しく声をかえてくれる女性やセキュリティの男性もいる。とりあえず、インフォメーション・デスクに行きなさい、と言われ、教えのままに、インフォメーション・デスクに向かい、気になっていた空港近くの宿、Lakeside View Hostelに電話をしてもらう。明るい声で、30分後に迎えに行きますよ、と応対があった。

インフォメーション・デスクには、15年柔道をしていたといい、柔道関連の日本語も知っている男性がいた。開業10年になる宿をもっていて、今から帰宅するのだという。

ヨハネスブルグはワールドカップで警察が数回掃討作戦を行い、500人の最重要犯罪者を逮捕してから、治安は比較的に良くなったという。

彼は、タケシ・キャッスル(「風雲!たけし城」)や日本女子サッカーの澤選手についても褒めたたえ、日本は素晴らしいと連発する。

しばらく待っていると、Lakeside View HostelのRunelさんが迎えに来てくれる。彼女はもう何千回とこの空港に送迎をしているのだという。

カージャックが多いっていうのは本当で、やっぱりヨハネスブルグではいろんな事件が起こっている。だから赤信号が見えたら、徐行するようにしているの。こうして今日も空港に3回迎えに行って、多いときには10往復もするけれど、怪我をしたことは一度もない。運転をしていて、一生何の事故に合わない人もいるから、運に任せるしかないの。そう考えないと、なにもできないから。

そういえば、ケープタウンの宿の女性もヨハネスブルグ出身で、家は2度強盗に入られたが、幸運なことに自身は強盗に襲われたことはない、と言っていた。

ヨハネスブルグの道路、22時半ころでも、他の車も走っていた。約15分ほどで、宿になっている彼女の豪邸に到着する。まずは、無事に宿にたどり着けたのだった。

空港からは、夜遅くまで飛行機の音がガーガーと聞こえてくる。ソファに腰掛けて眺めるテレビからは、日本語字幕 戸田奈津子と流れ、英語の映画に日本語字幕がついた映画が続いた。